hiyamizu's blog

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荒川洋治『文学の門』を読む

2010年02月13日 | 読書2
荒川洋治著『文学の門』2009年11月、みずず書房発行を読んだ。

あとがきで著者はこう述べる。
この1年間のうちに発表したものを中心に、54編のエッセイを収めた。表題の「文学の門」など3編は、書き下ろしである。
 詩、歌、小説、批評などの「ジャンル」は、いま、どのような門をかまえるのか。これからどんな力と、役割にめざめるのか。その点を考えたい、整理したいと思った、おそらく「文学の門」は、ひとつではない。ひとつが消えても、あたらしいものが現れる。これからも眼の前で、生まれるだろう。そんなことを、いつもの散文で書いてみた。


地理やプロ野球の話題などさまざまなテーマのエッセイが収録されている。もちろん、文学に関するものが多く、著者は文学の現状に強い危機感を持っている。しかし、当然ながら、今後の明確な方向などが提示されるわけではない。

いつものように2つだけ引用してみる。

ただきれいなだけの文章を読みたくない。・・・文芸誌の現在の編集者の多くは「国語教育」という小さな世界から、ぬけだせない。才能ある新人たちの小説の文章やことばに意見をいい、いいところを生かすのではなくて、実はいいところを消すよう、変えるよういう。・・・そのためパスする作品の文章は、つるつるのものになる。

本を読む人が少なくなった。本らしい本を読む人の姿が見えない。・・・実用的な本は話題になるが、教養とつながるもの、思考力をためす書物は、遠ざけられる。




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

問題提起の多くはもっともだと思うのだが、いろいろなメディアに書いたエッセイを集めたものなので、徹底的に掘り下げてないし、テーマが広すぎる。ただ、細かいところへの指摘は、独特の視点があって、なるほどと思わせる。生意気に言わせてもらえば、著者は鋭い感性の批評家であって、構築者ではないのだろう。

また、紹介されるのが昭和初期など古い作家が多く、さらに、よく知られていない作家、例えばイヴァン・クリーマ、プラムディヤ・アナンタ・トゥールなどの著作について述べる部分もあり、とてもついていけない。



荒川洋治(ひろはる)は、1949年福井県生れ。現代詩作家。1972年早稲田大学第一文学部卒。1976年詩集『水駅』でH氏賞、1998年詩集『渡世』で高見順賞、2000年詩集『空中の茱萸』で読売文学賞、2004年エッセイ集『忘れられる過去』で講談社エッセイ賞、2006年詩集『心理』で萩原朔太郎賞 、2006年評論集『文芸時評という感想』で小林秀雄賞を受賞。

最後に、裏表紙にある池内紀氏の推薦文を転記する。

「人間とはなんだろう。/人は苦しいときに、どんなことを思い、/何を残そうとするのか。/ことばは、作品は、/自分のためにあるだけのものでよいのか。/作家の目は、いま輝いているのか。」

「…「文学者」がいたことを、/今日の読者は知らない。/まわりにそういう人の姿をみかけることがなくなったからだ。/作品だけを書いて、/みちたりる作家しかいないからである。
興味の幅がせまくなった。/興味をひろげるための空気を/どのようにつくりだすかという心のはたらきもにぶる。」

「いま歌をつくる人たちは、/自分が歌をつくることだけに興味をもち、/歌をかえりみなくなったように思う。/これまでの名歌をそらんじたり、/しっかり文字に記すことのできる人は少ない。/歌の歴史への興味もうすい。/おそらく自分が「濃い」のだ。/自分を評価しすぎているのだ。」

詩、歌、小説、批評などの「ジャンル」は、いま、/どのような門をかまえるのか。/これからどんな力と役割にめざめるのか。

現状をなげくのではなく、/かつて書かれたものを読み返し、/「実学としての文学」を考える新エッセイ集。/「同時代に荒川洋治という書き手をもつのは、/この上なく幸せなことなのだ」(池内紀氏)

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