hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

昭和記念公園へ

2009年04月29日 | 行楽

立川警察署で国際運転免許証を取ったあと、昭和記念公園へ行った。といっても、ほんの入口部分のみどりの文化ゾーンだけだ。

立川駅北口にもっとも近い「あけぼの口」を入ると、道の向こうに「花みどり文化センター」が広がっている。



センターから振り返ると、芝生の「ゆめひろば」の向こう遠くに多摩モノレールが走っている。



かなり広い広場だが、地図を見ると、「みどり橋」の向こうに、10倍もの広さの公園がある。




とりあえず、「花みどり文化センター」に入ると、小規模な催し物がいくつか並んでいる。

「日本庭園展~小形研三の世界~」は有名な造園家であるらしい小形研三氏の造園観の展示があった。



その他、

「こもれびの里展『炭を大地へ!』」:お花炭や炭の鉄琴などの作品、炭焼きの活動の紹介

「日本の緑のパイオニア展」:日本の昭和初期の植物研究のパイオニアである牧野富太郎、南方熊楠、三木茂の軌跡の紹介
南方熊楠というと出てくる気味悪い「粘菌」なるものの写真をじっと眺めた。

「東京花紀行~瀬戸豊彦写真展~」:花をテーマとした写真作品30点の展示があった。
下の写真は、展示してあった昭和記念公園のコスモスの写真だ。



エスカレータで上へ上り、「みどり橋」を渡る。



橋の下は、153号だ。



橋を渡り、広場を行くと、「立川口」がある。柵の間からのぞくと、花が一杯、小学生も一杯だ。



独りで入ってもしかたない。奥様とまた来ることにしようと引き返した。開花情報を見ると、

終了:コブシ モクレン、ユキヤナギ、ソメイヨシノ、オオシマザクラ

見頃過ぎ:クリスマスローズ、ナノハナ、サトザクラ、ウコン ギョイコウ

見頃:チューリップ、ムラサキハナナ、ハナミズキ、アイスランドポピー、ネモフィラ リナリア

とある。

帰りがけに、「花みどり文化センター」内の「昭和天皇記念館」に寄った。昭和天皇については、戦前はもとより、戦後、全国を行脚したお姿も私は覚えていない。後年の「あっそ」という好々爺の印象が深い。



入って目に入るのは、旧御料車のメルセデスベンツ770Kだ。1932年型で、長さ5490、幅1850、高さ1930mmとかなり大きい。正面の菊の御紋章が立派だ。
お召し列車の1/10の精巧なモデルもある。

宮殿表御座所「菊の間」でご公務する天皇が山のような書類に印を押す写真がある。その前にある机と椅子は本物だ。机は立派だが、椅子はどこにでもあるもののようだ。

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ ・・・」という「終戦の詔書」の御署名原本(複製)があった。確かに、ラジオでこれを聞いても、なんだかわからない人がいたのも納得できる。

また、玉音放送の朝の予告アナウンスの他、昼の玉音放送前後のアナウンス原本があった。
「全国民に対し畏くも・・・」で始まり、最後は「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」だった。

長らく望まれていたという沖縄訪問が、1987年(昭和62年)秋の沖縄国体で実現する予定であったが、ご病気になり断念された。皇太子が名代として伝えた「おことば」とお歌があった。

「思わざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果たさむ つとめありしを」

天皇陛下ばんざいを叫んで多くの人が死んでいった沖縄へどうしても行きたかったのだろうとお気持ちをお察しする。

1975年(昭和50年)に米国のディズニーランドに行き、腕時計を贈呈された。中央にミッキーマウスの絵のある子供向け時計だが、長らくご愛用になっていたという。あのお顔でミッキーの時計をはめている写真が掲示されていた。





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