hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

プリンス・エドワード島 (6)  生家、博物館、駅舎

2007年10月15日 | カナダ東部

赤毛のアン一日観光に参加した。(1)から(5)までアンの家、郵便局、赤毛のアンの作者モンゴメリーの墓について書いた。

ツアーに含まれているビーチなどアン関連以外のキャベンディシュ全体は次回とし、今回は、モンゴメリー生家、グリーン・ゲイブルズ博物館(銀の森屋敷、輝く湖水)、ケンジントン駅舎についてご報告。

モンゴメリー生家
New Londonの「Lucy Maud Montgomery Birthplace  Nov. 30 1874年」と看板のあるモンゴメリー生家を見学した。モンゴメリーが、母が亡くなり、祖父母にひきとられるまでの1年9ヶ月を過ごした場所だ。



入るとまず彼女のウエディングドレスのレプリカがある。彼女は身長150cm位で、結婚当時は40kg程度で、ウエストがなんと55cmと本当にスリムな体型だったようだ。ガイドさんからこれを聞いた女性陣から悲鳴があがった。つぎに年取ったときの写真もあり、大分変化が見られ、女性陣から安堵のクスクス笑い。
ドレスの下にある靴が左右同形だった。当時はみんなそうだったようだ。



プリンス・エドワード島の日本人ガイドの人はアンに憧れて、とりあえずの形でこの島に来て、そのままはまってしまった女性が多い。したがって、アンに関する説明はどうしてもマニアックになる。小説の上のアンと、現実のモンゴメリーを切り分けながらの説明はなかなかのものだ。数週間前にはじめて赤毛のアンを読んだおじいさんの私でさえ、だんだんマニアックになってきて、「なんだか僕、怖い」

壁にかかっていたのは、髪の毛のリース。当時は固い絆を示す髪の毛でリースが作られた。



モンゴメリーはスクラップ・ブックを丹念に作っていて、一部が展示されていた。なかなか全部見ることができない貴重なものだそうだ。



モンゴメリーが、1911年の英国のISLESへの新婚旅行について、ご主人あてに出した手紙が展示されていた。38ページあるという。さすが作家。



2階には、生後まもない頃の部屋が再現されている。



グリーン・ゲイブルス博物館
「パットお嬢さん Pat of Silver Bush 」に出てくる銀の森屋敷には、現在もキャンベル家の人が暮らしている。モンゴメリーはこの家がお気に入りで、祖母の死後3ヶ月ここで暮らした。当時は花嫁の家で結婚式を挙げる習慣があり、両親、祖父母が居ないモンゴメリーはこの家の1階の客間で結婚式を挙げた。



入口を入ったところのストーブについて、陽気で美人の子孫の方が説明してくれる。
椅子と本箱があり、説明が貼り付けられている。
椅子には、「この椅子はモンゴメリーが母方の祖父母の家で赤毛のアンを書いていたときに、使用したものである」とある。
本箱には、「アンの魅惑の本箱」とあり、赤毛のアンからの引用で、「私がミセス・トーマスと住んでいたときに、彼女は居間にガラスのドアの本箱を持っていた。・・・・私はその中に住んでいるもう一人の小さな少女になっていることを想像し、願ったことがある。私は彼女をKatie Maurice と呼んだ。Katie は私の生活の楽しみであり慰めであった」とある。(手元に日本語訳の本がないので、私のいい加減訳です。自分なりの訳してみると、英語も日本語も、村岡さん、松本さんはたいしたものだとはっきりわかります。)
本箱は当時も食器棚 china cabinet として使われていたとも書かれていました。



プリンス・エドワード島は、冬は日照時間が短いうえに積雪で、家でできるキルトが盛んだが、モンゴメリー手製のクレイジー・キルトや、愛用のオルガンも展示されていました。




彼女は輝く湖水the Lake of Shining Waters をこのひずんだガラス越しに眺めるのが好きだった。



ガラス棚の中に彼女の署名がいくつか見られる。彼女は猫がとても好きだったのでどれにも猫が描いてある。



遅れていたアンがようやく、弟と犬と一緒にお父さんの車で駆けつけてくれた。ソバカスもあり、素朴な感じでなかなか可愛い子だ。奥様が「cute!」と言うと、ハニカミながら、ニコッとした。写真撮影が終わると、裏の芝生で帽子を押さえながら弟と遊んでいた。
奥様が、「赤毛のアンを小さいときはアンの気持ちになって読んでいたが、今回読み直したらマイラになってアンを見て読んでいた」と言っていたのを思い出した。





裏手に大きな建物があり、その向こうに輝く湖水が見える。手前の道は見事なほど赤い。



最後にケンジントン駅舎に行った。今はプリンス・エドワード島には鉄道は走っていないので、レールは駅のところに残してあるだけだ。この島は手で簡単に崩れる砂岩でできているので、建物に使える石がなく、石造りの家はほとんどない。この駅舎の石も船でカナダ本土から運んで来たものだ。



これでツアーのうちのアン関連のところはすべて述べた。アン関連の主な場所で行かなかったところは、ただの礎石しか残っていない「モンゴメリーの住居跡」と、アン関連の野外博物館兼ショッピング村(小さなテーマパーク)であるアヴォンリー・ビレッジぐらいだろう。


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