いしいしんじの「みずうみ」河出書房新社 を読んだ。
身体から大量の水が流れ出すなどの荒唐無稽なわけの解らない話が続く。この種の非現実的な小説は、大半は途中でバカバカしくなって投げ出してしまう。ごくたまに、カフカの「変身」や、笙野頼子の「タイムスリップ・コンビナート」のように私の感性にたまたまぴったりくる小説もあるが極めてまれだ。読む人によって評価は極端に大きく分かれるのではないだろうか。この小説はともかく最後まで飛ばしながらでも読み終えたので、私として一応及第点をあげ、感想を述べることにした。
3章構成になっていて、第一章は、子どもの口から語る、もっともあり得ない、夢のような話で、毎日水汲みに行く湖からときどき骨董品が取れたり、小さなカバが登場したりする話が続く。童話的雰囲気はあり、お好みの人はいるだろうが、私はとても付いていけない。この第一章が「文藝」に載ったというから、驚きだ。と言うか、私が時代に取り残されているのだろう。そうであっても、べつに気にしないし、かまわないのだが。
私にとっての良い小説とはこの私をどんどん引きずり込むものでなくてはならないと思う。世間一般の評価は、一応の一次選択の参考に過ぎない。
ところが、第二章の冒頭からはごくまっとうなタクシー運転手の話で始まり、再び読む気が起こる。しかし、しばらく読むと、ところどころで、また身体から水が溢れ出し、ひどい目にあうという話になる。それでも一応の筋はあるので、けっこう読み進めてしまう。
第三章になると、これが一気に現実的な慎二と園子の夫婦と友達の話になる。ネットで「いしいしんじのごはん日記」を読むと、松本に住んでいる園子さんという奥さんらしい人が出てくる。と言うことは、一気に私小説かと思う雰囲気になる。もっとも、日記も含めてどれほど本当なのかはっきりしない話であるが。
話が進むと、またまた、溢れる水が出てくる。しかし、この章では話の筋は最後の手前まではおかしくならない。
最後まで読んでくると、第一章の子どもの話がベースになっていて、何かと言うと湖の水に戻っていくという構成になっていることが解る。最近の、そして今後の小説はこのような夢のようなものになって行くのだろうか。絵画に続いて小説も私にとってわけの分からないものになって行くようで、そうなれば過去のものしか楽しく味わえないということになる。
いしい しんじは1966年 大阪生まれ。京都大学文学部仏文学科卒業。 元々画家志望であり、イラスト、自分の小説の挿絵を描くこともある。坪田譲治賞を受賞し、三島由紀夫賞候補に3回なった。