hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

お祭りの思い出

2007年10月31日 | 昔の話

前回につづき昔話をもう一つ。

子どものころの楽しみの一つに、隣駅近くにある八幡様で行われるお祭りがあった。八幡様の階段の登り口から、登った後の石畳の道の両側にお社まで出店が並ぶ。

小学校低学年の頃、お小遣いをもらいお祭りに行った。手をポケットに入れてしっかりもらった小銭を握ったまま緊張して歩いて行った。八幡様に着いて、出店を見て回り、いざ買おうと思ったら、お金がない。
青くなってそのまま家に帰って、「しっかり握り締めていたのにすられた」と訴えた。母は、「馬鹿ね。ポケットに手を突っ込んだまま歩いていれば、ここにお金を持ってますって教えているようなものでしょ」と冷たく言われてしまった。


居並ぶお店の大半はお菓子やお面などの店だが、ちっと変わった、というか、いんちきな店も多かった。

先に針をたらして回転する棒が円盤の上にあり、ルーレットのように棒を回し、針が止まったところの円盤に書いてある商品がもらえるゲームがあった。1回いくらだったか忘れたが、もう少しですばらしい商品のところで止まるのに、いつもわずか行き過ぎたり、手前で止まったりする。何人もの子供が失敗するのを見ていて、友達と、「あれはきっと板の下に磁石があって、おじさんが当たらないようにしているに違いないぜ」「インチキだ。止めだ、止めだ」と言いながら、ついつい見とれてしまう。


望遠鏡のような筒状のおもちゃもよく売っていた。おじさんが言う。「これで見ると、なんでも透けて見えちゃうんだ」。 指を広げて、のぞいて、「ほら、骨が透けて見える」。覗かしてもらうと、確かに手のひらが骨と肉に見える。
おじさんが追い討ちをかける。「女の子を見れば、洋服が透けて見えるよ」

色気が付いた中学に入ってからだったと思う。100円だか払ってさっそく買った。家まで待ちきれず、さっそく、「物」を見てみる。なんだか、物?の周りがぼやけて見えるだけだ。
家へ帰って、腹立ち紛れにばらしてしまう。目を当てるところに鳥の羽が入っていて、物がずれて二重に見え周辺がぼやけて見えるだけのものだった。

最近では大道芸の一つとしてときどきやっているようだが、がまの油売りもいた。道を外れた林の中のちょっとした広場で、竹棒で地面の円を書いて、「この線から入っちゃだめよ」と言ってから、「さあさ、お立会い、御用とお急ぎのないかたは、」と、あの有名な口上をはじめる。
日本刀を構えて、紙を何枚も切って切れ味を示し、そして自分の腕を切って血が出るのを示す。そして、がまの油をつけると、あら不思議、傷口もなくなっている。

なんだか、いんちきも今のようにギスギスしていないで、半分ユーモラスで楽しかった時代だったと思える。


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