hiyamizu's blog

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県立公文書館を見学

2007年04月30日 | その他

神奈川の昭和史の講演会の後、普段は見られない県立公文書館の書庫を見学した。

公文書館は、県の機関が作成した公文書のうち歴史的価値の高いものを保存するとともに、
県内に現存する古文書を収集・保存し、長く後世に伝えるとともに、広く県民に公開している。

それぞれ定められた使用期間(保管期間)が過ぎた公文書すべてが県庁より公文書館へ送られてくる。年間みかん箱程度の箱で1万個になる。
この膨大な文書を基準に基づき、30年保存(永久保存という区分はなくなった)から1年保存に分類する。保存する文書は数%であり、残りの文書は特定業者に渡して溶解する。
年間1万箱とは、いまだに県庁では文書を作りすぎで、通常の会社と違うとはいえ、無駄な作業をしているとしか思えない。

古文書は、寺社や、民家から寄贈されたり、寄託されたりした神奈川県に関する文書を12万点保存している。いずれも、一般から要求があれば公開するという前提である。
これらは経済に観点で見ると、非常に効率の悪いことに思えるが、文化的に大切なことと思う。ヨーロッパなどでは何百年も前の家屋の取引記録や、教会での洗礼記録などが残されていて、いまだに大昔の偉人に関する新発見がなされることがある。文化の厚みである。


館の屋根は二重防水で、文書を保存する書庫は3,4階にある。壁は二重で、温度は22度から25度、湿度55%に保たれている。銀行の金庫扉のような分厚い鉄のドアで隔たれ、水まわり、火気や、窓もなく、紫外線カットの照明器具が使われている。収容能力は約100万冊である。

公文書書庫
歴史的公文書、神奈川県史編纂のために収集された資料を移動式書架に収蔵している。
戦前期の公文書(議会関係文書・郡役所文書)や、戦後から最近までの簿冊文書を18万点保管している。
戦前の公文書は1300しかない。これは、関東大震災や戦災のためもあるが、敗戦直後、国から破棄命令が来て、8月28日に駐留軍が来る前に県庁の地下にあった文書を破棄したためである。東京都は、当時文書が遠隔地にあったため、破棄の処置が間に合わず、結果的に戦前の文書が保存された。

古文書書庫
この書庫はコンクリートの建物の内側に全て木材が張り巡らされている。壁や天井・棚は栂(ツガ)の木、床材には堅いブナの木が使用されている。
中に木組みの棚を作り、その中に紙の箱を置いて、古文書を入れている。なかでも、歴史的価値のある重要文書は、特注の桐のタンスを作り、その中に桐の箱を置き、巻物の形で保存してある。
これは、書庫内の完全空調などと合わせて、木材の持っている特性も利用し、収蔵資料の保存にやさしい環境をつくり、カビや虫の害を防ぐためのものだ。
この書庫には、中世文書(後北条関係文書他)、幕末維新期に活躍した西郷隆盛・坂本龍馬らの書簡(山口コレクション)、県域の各地から寄託された近世古文書が収められている。

書庫の中の棚には場所が特定できる番号などが書かれたみかん箱のような箱の中に、関連するファイルが収められている。特に戦後の文書に使われた紙は傷みが激しく、黄色どころか赤色に変色しているものもある。したがって、収納する箱は中性紙で作られた特注品である。傷みの激しい文書からマイクロフィルム化を進めている。

すべての文書が、コンピュータで検索して、要求により、実物、あるいはコピーが閲覧できるようになっている。


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