hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

角田光代さんにつられて(2)

2007年04月02日 | 読書

昨日に引き続き、角田光代の「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。」ソニー・マガジンズ発行について書く。読者への疑問形になっている50のタイトルのうち、幾つか、概要を紹介する。そして、角田さんからのバトンを受けたつもりで、私なりに疑問に答える拙文を付け加える。

別れたのちのさみしさに、びっくりしたことありますか?
向田邦子の「家族熱」の中で、だめ男と別れようとする女性が、「今まで6切れ買っていたお魚が突然1切れになるのよ。・・・・」と嘆く。
角田さんも、かっては彼氏を部屋に招き得意の料理を作っていた。それを繰り返し当たり前になると、彼も礼を言わなくなる。だんだん腹立たしくなり、他のこともあり別れる。もう誰かのために食事を作らなくても良いのだとせいせいした。
買物に行き、2切れパックされたサワラを見て、ぞっとするほどさみしさを感じた。誰かのために料理を作ることは、何て幸福なことだったんだろうと思った。
一人分のサワラも二人分のシャケも考えることなく、母親の作ったものに文句言いながら食べていた20代はじめ、向田邦子の小説が読めるはずはなかった。

昔子供が小さく毎晩のようにおねしょしていたとき、わが奥様は毎日、山のように洗濯していた。おねしょというのは、前触れもなくある日突然しなくなる。喜んでいるのかと思ったら、奥様はなんだかしんみりしていた。今、同居している息子が土日に運動着をどっと洗濯機に放り込む。乾燥機だとシワになるとかで、それを全部外に干す。
「息子が家を出ても、がっくりしなくてもいいよ。そのうち俺がオムツの洗濯物をたっぷり作ってやるから」と励ましたら、「今は、紙おむつです」と言われてしまった。

かっこいいと思った大人になっていますか?
角田さんは20代のとき、「忙しい、忙しい」と言う大人になんか、絶対になるまいと心に誓っていた。麻雀、飲み会、テレビゲーム、おしゃべり、下等遊民だった。ところが、気が付いたら締め切り、出版社との打ち合わせで忙しい人になっていた。
そんな中、敬愛する作家に会って、「子供がいると楽しいですか」と馬鹿な質問をした。彼女の答えは、「楽しいって言えば楽しいけれどそれだけでもないわよね、でも人間って楽しいことばかりしているばかりじゃあないものね」と答えた。気負ってもなく、深刻でもなく、軽やかに言った彼女の言葉に30台半ばの角田さんは至極救われた思いがした。

私は若いときから頑張るなんてかっこ悪いと思っていた。会社に入っても好きなことは身を入れて自主的にやったが、嫌いなことは何と言われようと最低限のことを効率的に済ませた。高度成長期を経て、それでもきついこと、とくに精神的に厳しいことは多かった。給料をもらってやる一応プロなのだから、当然やるべき最低限のことはやったつもりだ。義務としてばかりでなく、消化していくよろこびをもとめて。

小さなことで心配してない?
角田さんは誰かと話しているとき自分の鼻毛が出ているか気になってしかたない。

私のズボンのチャックはときどき開いていることがある。外で心配になると、人が前にいないところへ行ってチャックに何気ないそぶりで触って確認する。これがしょっちゅう気になる。開いていることに気づくと、周囲に人がいないところをなんとか探して一気に上げる。その間の歩き方がおかしくなる。もっともたいていの場合、家に帰ってズボンを着替えるときにハット気が付く。この場合は問題ない。過去をくやんでもしかたない。そのまま脱ぐだけだ。

コメント
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