hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

沖縄(6) 伊江島

2007年04月16日 | 観光

予定外だが、ひょんなことから沖縄の離島の伊江島に一泊した。

そもそもは、バンクーバーで知合った人から沖縄の人を紹介され、地元の人しか知らない寿司屋でご馳走になってしまった。その人から伊江島で民宿をやっている人を紹介された。知人、知人、知人と輪がつながって、せっかくの機会なのでホテルはそのままで途中、離島での一泊を経験することとした。

伊江島は沖縄本島の北部、本部半島の北西約9kmの洋上に浮かぶ南北3km、東西8km、周囲23kmほどの離島だ。南には美しいビーチが広がり、北海岸は高さ60mの断崖絶壁が続く景勝地だ。島の中央やや東よりに標高172mの城山(ぐすくやま、通称伊江島タッチュー)がそびえ、起伏のあまり無い地形に城山だけが目立つ特徴的な形をしている。下の写真は、本部から瀬底島へ渡る橋をフェリーがくぐるときに見た伊江島だ。



フェリー
本島の本部港と伊江港を日に4-5便、村営の伊江島フェリーが約30分で結ぶ。大人往復1,110円。このフェリーは車の出入り口が一方向なので、乗り込むときにバックでフェリーに入れないといけない。女性には脅威だ。米軍のトラックもこのフェリーに乗り込んでいた。伊江港はやたらと立派な建物だった。


 

島では、葉タバコ、菊、落花生などの栽培や、高級牛の伊江島牛の畜産を行っており、沖縄の他の離島に比べれば、比較的豊かと聞いた。人口約5千人。

我々が沖縄を離れる日、4月14日に伊江島一周マラソン大会が行われたが、道路が水没するほどの大雨だった。参加した方はご苦労さま。

飛龍庵
急遽泊めてもらった民宿は、飛龍庵といい、北海道から伊江島に移住してきた気さくで楽天的な千葉さんがやっている素泊まりの宿だ。
ログハウスのようにすべてが無垢の木で出来たおもむきある開放的な家である。素泊まりなので台所用品は完全にそろっていた。3人はゆうゆう入れる岩風呂があり、窓を開ければ海が見える。目の前の見晴台から見た港の写真ではっきり分かるように、庭から見える海の色はまばゆい水色だ。庭には石灰化したサンゴを敷き詰めてある(進行形)。
港から歩いて5分くらいだろうか。歩いて数分にところになんでもそろうJAのスーパーとコンビニがある。
今までは知合いに紹介された人しか泊めなかったそうだが、これからホームページでも作って宣伝するとのことなので、了解を得て、このブログで本邦初公開とする。のんびりするには最適な宿だと思う。
飛龍庵 郵便番号905-0502 沖縄県伊江村東江前 阿良639-2
    千葉春美 TEL: 090-8271-3593

        
                    

バイオマスエタノール・テストプラント
サトウキビ工場の跡地にサトウキビからエタノールを作る実験工場があった。バイオマス燃料は化石燃料を利用せずに植物資源から生産されるため、地球温暖化対策として注目されている。ブラジルと米国が促進しているが、日本でもガソリンに3%だけエタノールを混ぜて良いことになったので、アサヒビールがバイオ技術を応用して資源循環型で、かつ高効率の製造プロセスを実用実験中だ。年間30トンのサトウキビを収穫し、砂糖約2トンとバイオマスエタノール約1キロリットルを製造する。



リリーフィールド公園
島のシンボルであるテッポウユリが100万本以上植えられている。まだ少し早かったが、4月21日からは「ゆり祭り」が開催され大変な人出となる。純白のじゅうたんを敷き詰めたようになるようだ。



湧出(ワジー)
崖上の展望台からの眺めは、60mほどの断崖がつらなる絶景だ。崖下まで降りて行くことができ、そこは地下水が湧く水源地になっている。かっては、各家庭の雨水タンクと並ぶ重要な水源であった。現在はコンクリートのポンプ室が作られ米軍基地に供給されている。初心者でも楽しめるダイビングポイント、シュノーケリングでも楽しめるポイントとしても有名だ。ただし、潮の干満には十分注意する必要がある。

    

使われていない滑走路
米軍がいざと言うときには使用するという補助飛行場はただ広く長い道路になっている。伊江島空港はこれとほぼ並行する形で別の滑走路を持っている。写真の左にある白い筒状のものは、牛に与える草をまとめて保存するためのものだ。太平洋戦争時の歴史については最後をごらんください。



ニャティア洞
戦時中多くの人が艦砲射撃や空爆から避難したことから千人洞(ガマ)と呼ばれる。写真右手前の丸石は持ち上げると、子宝が授かるし、妊婦が持ち上げて軽いと感じれば男の子が生まれると言われている。前の海辺の色は明るい空を写してdeepskyblueと言うのだろうか、透明感あり、しかも輝くような水色だった。膝まで水につかり、気持ちよさにここでのんびりしたいと思った。すぐ東にあるGIビーチもはだしで砂浜を歩くと足の裏が刺激されて心地よい。沖縄の浜は石灰化したサンゴや、貝による白浜だ。



資料館
私設の伊江島古民具資料館と、反戦平和資料館を見学した。
前者は駄菓子屋の缶など「あった、あった」と懐かしくなるような物から、あらゆるものを集めている。写真は、戦時中の訓練用の木製銃剣だ。こんなもので砲弾の嵐に対抗しようとは。
後者は戦争の残酷さと戦後に反戦の戦いの記録品をただただ並べてあり、引き継いでいかなくてはならないが、若い人にはとてもプラスの影響を与えることはできない展示だと思った。1954年の米軍と話すときの心得として、「手に何も持たないで座って話すこと、短気、悪口、ウソを言わないこと、不幸な土地問題が起きたのは日本が仕掛けた戦争の結果でもあり米国民を不幸にするようなことはつつしむこと」など自制の態度が見える。このような考え方が長期間、闘争を継続できた原因だと思った。

    

アダンの葉
アダンの葉を裂いて、加工して、織って、昔はパナマ帽、手提げ鞄、ぞうりなどを作っていた。畳がなかった時代は、沖縄の各家庭で板の間にアダンのゴザを敷いていた。今は、その技術も消えようとしている。飛龍庵ではこの編み機を作って、技術を継承しようとしている。

    

タバコの花と電飾菊
主要生産品のタバコの葉は高く売れるが、農薬を多量に使用する。写真の花も葉に栄養を集中するために摘まれてしまう。また、ビニールハウスで栽培されている菊は、成長を抑え時期はずれに開花させるために夜に電灯をつけるので、電飾菊と呼ばれる。夜は異様な光景になるらしい。いずれも多額の費用を使って高額な収入を得る非エコ産業が行われている。離島で、いや離島だからこそ、なのだろうか。

城山(ぐすく)
島の東側中央にそびえる標高170mほどの岩山で、島の第一の聖地であり、車で中腹まで行き、そこから10分ほどキツーイ階段を上って頂上に着いた。翌日はなんともなかったが、翌々日に膝にきた。
頂上からの360度パノラマ展望は絶景だ。パッチワークのような畑が広がる。頂上の石版には、「昔、伊江島にいた大男のタンナーパが隣村との戦いで城山に登り敵に大きな石を投げて退散させた。そのときの踏ん張った足跡が残った」とある。

    

すぐ下での大規模工事は、地下に水を貯めるタンクを設置する300億円の公共事業だ。地元業者では対応できない規模の事業の、金額だけが喧伝されるが、対沖縄、対離島の公共事業は有効なのだろうか。



軍基地
島の西側にあり、一時よりは減少したがまだ島の面積の3割以上を占めている。
賛成も反対も複雑な事情がある。借地料をもらって本島や本土に住んでいる人。米軍は基地の周辺の土地をいざというときのために確保している。この予備の土地を貸して借地料をもらいながら、畑を耕している人もいる。借地料を値上げするために基地反対を唱える人もいる。

歴史
この項(歴史)は、「Come in 伊江島」: http://homepage1.nifty.com/IE-island/ から抜粋させていただきました。

1942年-44年、日本軍は一日2500人もの人海戦術で伊江島に全長2kmほどの2本の滑走路を持つアジア最大の飛行場を建設した。
しかし、44年から45年にかけ、米軍の爆撃により滑走路も被害を受け、
日本軍は米軍による占領に備えせっかく完成した滑走路を破壊する。

1945年3月、島の周囲の海は米軍軍艦に覆い尽くされ、空爆と艦砲は約3週間にも及び、1平方メートルごとに一発落ちた計算になる爆弾は島を完全に叩きのめした。4月16日から始まった上陸作戦により、年齢男女を問わず島民を動員した竹槍や爆弾を抱えた特攻、集団自決により島は地獄となった。4月22日、約5千人の犠牲者を出し戦闘集結した。沖縄における終戦記念日が6月23日であるように、伊江島では4月22日こそが「終戦記念日」といえる日である。




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沖縄(5) 海洋博公園3 人工尾びれのフジ

2007年04月16日 | 観光

海洋博公園には、沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館があるが、別にマナティー館、ウミガメ館、オキちゃん劇場(イルカショー)とイルカラグーンがある。

マナティーはジュゴンの親戚で、草食だ。次々と投げ入れられるレタスを、ヒレを使って口に押し込んでいた。

    

隣のウミガメ館には多くの種類のウミガメがいた。骨格が面白い形をしている。

    

オキちゃん劇場はイルカショーの時間でないのでパス。隣のイルカラグーンに行く。イルカが自分達で勝手にどんどんジャンプしている。飼育員がプールサイドに来ると、ジャンプした後で、頭を出して餌をねだる。



ジャンプできない一匹のイルカがいる。良く見ると尾びれがない。
その無くなった尾びれの部分に飼育員が消毒をし、次に人口の尾びれをねじ留めした。イルカはすぐにジャンプして、飼育員のところに行って餌をねだる。

    

近くの売店にこの人工尾びれプロジェクトの説明パネルがあった。
バンドウイルカの「フジ」は病気で尾びれの先端から壊死がすすみ、手術で尾びれの75%を切除した。これによって、フジは十分に泳げなくなり、体重、コレステロールが増加してしまった。そして、人工尾びれプロジェクトがスタートした。

動物は身体に異物を付けられるのを大変嫌がるため、小さなものから徐々に大きくしていった。人工尾びれを改良しつつ、フジにも使いこなせるように訓練、リハビリを繰り返した。そしてついに、仲間のイルカと並んで泳ぎ、ジャンプできるようになった。






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