ベトナムから無事に帰国しました。
ぼちぼちベトナム視察記を書き始めますよ!
●4月15日(日)
<ベトナム ホイアンを歩く>
朝目覚めもよし。かつては戦場となっていたベトナム中部のダナンも町を出れば、静かな自然と稲田が広がる。およそ1時間程、古都ホイアンへ。
かつての米軍基地跡はいまではリゾート地。プライベートビーチがあり、外国資本のホテルもある。
ホイアン市は、観光地として多くの観光客が小さな街を散策する。シクロに乗って街をひとまわり。瓦屋根が美しく、京都でいうところの町家が残って日本の宿場町のような風情。
朱印船貿易が盛んな頃日本人街があって日本橋と言われた来遠橋が名所。海のシルクロードと呼ばれた時代もあり、陶磁会館もあり、世界遺産に登録もされている。海の女神を祀った福建会館は中国文化を色濃く残している。また刺繍など手芸品の工場も観光客で賑わう。古いベトナムの町並みを暫し散策。
<フエ市へ>
昼食の後、ハノイとホーチミン市を結ぶ国道を途中真珠の養殖などしている海岸沿いや峠を越えながらバスで4時間近くフエ市へ。日本が売り込んだ新幹線は、国会で採算性の問題とかで否決されたという。国道筋のところどころには星ひとつの赤い旗、ベトナム国旗が旗めく。緑深い山々や畑では民族解放戦線ベトコンがゲリラ戦をしていたことやアメリカ軍がナパーム弾で空爆していたことを思いながら、またベトナム人通訳の生い立ちを聞きながらバスの旅。世界歴史都市会議の会場であるフエ市に着く。
5時から京都市の代表団と市民交流ツアーのメンバーとフエで日本語を学ぶベトナム人学生や今回の会議に色々と協力されたJASSベトナム事務所小山道夫さんをはじめ「こどもの家」のスタッフにフエ高等師範大学日本語学科学生の交流パーティ。市長に「鈴木議員、ひとこと挨拶を」と声がかかったので、特訓したベトナム語でメモを見ながら「シンチャオ。アンデントウキオト」と一言。冷や汗をかいたよ。小山道夫さんとはもちろん初対面。でも友人の豊田陽君が紹介してくれていたし、またベトナム反戦運動の同時代を生きてきた同世代として親しみを感じて少しの時間四方山話。
<フエ・フェスティバル>
午後8時からはパトカーの先導でフエ・フェスティバルの閉会式に。赤い星ひとつの国旗が夜空に翻り、王宮の城壁と濠を正面の舞台に、そして巨大な観覧席が設置された大イベント。政府関係者と思われる主催者が長々と挨拶。えらく時間がかかったが、舞台では色とりどりのベトナムの民族衣装を着た集団の踊りや太鼓と笛?の演奏や外国からの参加者の大道芸や中南米のカーニバルの踊りや紅白歌合戦のときのベトナムの小林幸子や五木ひろしのような歌手が熱唱。
最後は花火が打ち上げられてのフィナーレはなかなかのものでした。会場の外には多くの市民が詰めかけて日本の花火大会のようなもの。国営放送のテレビニュースでも流されていた。
このフエ・フェスティバルは7回目を迎えるとかで、「文化遺産と発展・参入・歴史都市の出会いの場」がテーマで1週間ほど市内を会場に開催されて、28の国と地域、65の芸術団が参加したという。外国人観光客も多く新たなベトナムの観光イベントになっているようだ。
夜、一人でホテル近くを歩く。オートバイに乗ったニイチャンが声をかけてくるが、屋台で333ビールを飲んで就寝。ベトナムの夜は、静かに更けていきました。
●4月14日(土)
<いざベトナムへ>
朝7時前の「はるか」で市長らと関西空港に。ほとんど寝てないので眠い。
世界歴史都市会議に参加する京都市の代表は市長と国際交流推進課室長らと、議長、市会運営委員会の各会派代表の5人の議員と市会事務局長らの公式代表団グループと、市民ツアーで参加するのは、佛教大学の7人の学生と、どういうわけか安孫子和子さんとわが悪友山本恵の3人組み。学生諸君と空港カウンターで合流。
10時30分発のベトナム航空で一路旧サイゴンはホーチミン市タンソンニャット空港へ。5時間半ほどのフライト。暑いよ!
代表団とは空港で別れてぼくらのグループはダナンへ。ダナンは米軍基地のあったところ、夜の街をバイクの集団が大きな道路を埋め尽くす中をバスで夕食会場へ。ベトナム海鮮料理の店では大正琴のような楽器での演奏もあり学生諸君と乾杯。さっぱりした味で美味かった。やってきましたベトナムへ。町からはずれた高層ホテルが最初の宿泊地。疲れていたので熟睡。