元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

ヒロシマ・ナガサキから70年   8月6日ー9日

2015年08月12日 | 日記

    <お知らせ>

吉田文化サロン 「朝粥の会―朝粥食べなが らお喋り会」

 特別企画「戦後70年目の夏 鶴見俊輔先生を偲んで」

◎8月16日(日)午前9時―10 時30分

◎話題提供  鈴木正穂

◎会場「カルチャーガーデン吉田の森」(鈴木マサホ事務所一階)(左京区東山通近衛東入ル 761-5537)

◎参加費(朝粥代)300円

なお準備の都合上8月13日までに 参加ご希望の方はご連絡ください。

●戦後70年目の夏。哲学者・鶴見 俊輔先生が亡くなりました。
鶴見先生に出会ったのは19歳のとき。同志社の鶴見研究室が京都べ平連(ベトナムに平和を市民連合)の連絡先でした。
べ平連運動に参加しながら「思想の科学」の研究会の「家の会」にも参加。
反戦脱走米兵の援助や岩国での反戦喫茶「ほびっと」など大きな役割を担われました。
30歳の時に京都市会議員選挙に立候補したときも鶴見先生は推薦人にもなっていただきました。
不肖の弟子ですが、わが師でありました。

●鶴見先生の訃報に接し、大文字の送り火の日の朝、戦後70年目の夏、反戦平和を誓い、
先生との思い出を語り、みなさんと先生を偲びたいと思います。

お気軽にご参加ください。   

            京都市会議員 鈴木マサホ


●8月9日(日)

     <ナガサキから70年 平和宣言>

 このところ、毎朝6時過ぎごろから我が家の庭ではクマゼミが大合唱!五月蝉い!睡眠不足です。

 ナガサキから70年。田上富久長崎市長の長崎平和宣言を引用しておきましょう。
「現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。
 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。」
 どこかの国の首相とえらい違いや!
 
 午後、国際交流会館での「インドネシアの夕べ 2015」。カラフルな民族衣装を着飾った留学生や子どもたちが張り切ってました。

 その後、小学校の5.6年のときからの、まさに竹馬の友が脳梗塞で入院したということで、見舞いに。涙を流さんばかりに見舞いを喜んでくれた。思っていたより軽症で、話もできたし、顔色もいいので一安心。早く元気になって社会復帰せえよ!と激励。
 
 夜は、11日に公営企業の決算審査の監査委員協議会があるので、事前に渡された資料読み。

●8月8日(土)

     <左京女性消防隊激励会>

 10時から宝ヶ池の球技場で第22回 全国女性消防操法大会に京都代表で出場する修学院の左京女性消防隊「京の火消し屋小町」の激励会に。夏空の下、そして妙法の山麓のグランドでこの1年以上の練習の成果を披露され感動しました。10月15日が全国大会、「頂点を目指してがんばって!
 女性消防隊激励の後、久しぶりに北山通の松ヶ崎駅東の北山ラーメン「てっちゃん」に。夏は汗をかきかき、カレーラーメン!美味かった!大将も娘さんもお元気でした!
 
 午後の事務所への来客は、選挙のこと、今のご時世のことなど色々と話して、アドバイスなど。ともあれ、がんばって!とエールを送る。
 その後、事務所で雑務。要は資料の整理などだが、雑紙として分別して、古紙回収業者に出すために紙袋につめる。なんと7袋ほどの紙の山。ゴミ減量、リサイクルに協力しなくては!

●8月7日(金)

 毎週金曜日は近衛広場で公園体操。桜の木の下が、日陰。汗をふきふき体を動かす。いつも終わりに。「今日の日はさようなら」を手話で唄うのだが、覚えられないなあ。

 そして今日は、終わった後、寿会や近衛広場みどりの会のメンバーで草引き。暑くて倒れそう!でも綺麗になりましたよ!


     <京都創生推進フォーラム>

 午後は、京都国際会館での京都創生推進フォーラム。宗田教授の軽妙な司会。青柳文化庁長官のフランスはナント市の文化都市に再生される話は興味深かった。京都精華大学の学長が漫画家の竹宮さんだったとは。イギリス人のデビットマークアトキンソンさんは流ちょうな日本語でお喋り。町家を2億円で買ったとか。楽吉左衛門さんの話は、暗かった(笑い)。
 京都創生!京都創生!とわが小林あきろう前議員がよく言ってたなあ!外に出たら入道雲!結局雨は降りませんでした。雨乞いでもしないと涼しくなりそうにないなあ。

 夜はカミサンが留守で、久しぶりに近衛の大龍亭でビールセットで水分補給してあんかけ焼きそば。あかん!食べ過ぎや!

●8月6日(木)

    <ヒロシマから70年 父のこと>

 今日は8月6日。夏の高校野球が始まった!そしてヒロシマから70年目の夏。久しぶりに親父とお袋に会いに。学徒動員で広島にいた親父は爆心地から4・5㎞の草津東町で被爆している。26歳の時。地獄の中を生き延びて帰京。
 ぼくが生まれたのは、それから4年後、1949年(昭和24年1月)。父は、昭和33年に被爆者健康手帳を交付されている。京都大学の図書館に長年勤務していたが、被爆の後遺症か、微熱が続き、体がだるいとよく言っていたのを記憶する。ぼくは、被爆2世だ。多感な高校時代は、白血病で早死にするという不安の中で生きていい、若禿になる、頭髪が抜けるという恐怖もあった。案の定、祖父からの遺伝でもあろう、50代前半から禿げて、今では、年相応の禿げ頭。
 ともあれ、早死にすることもなく、大病を患うことなく66歳の馬齢を重ねた。感謝したい。父は、この5.6年マダラ症候であるがこの夏で96歳。ヒロシマから70年。この5月に圧迫骨折で入院、退院したもののこの暑さもありだいぶ参っている様子。一緒に暮らしているおふくろも夏バテ気味でちょっと心配やね。

 ヒロシマから70年。未だ核兵器の廃絶はならず、好戦的な安倍政権が、安保法制を数の力で押し切ろうとしているのに怒りを覚える。

 午後4時からまち美化事務所の担当者とともにとある町内の資源物のゴミの集積場のことで住民のみなさんとの懇談会。20人ほど参加者がそれぞれの要望を話される。まち美化事務所の判断を待ちたいが、いずれにせよ課題は多い。
 
 そして夜は「屯風」でおでんをつつきながらこの8月29日に開催する「吉田東通の夜市」の打ち合わせ。今年で5回目。昨年来、大変盛り上がってきて、交通安全の面から色々と工夫が必要。迂回路を確保して、期間中、通行止めの方向で対策を進めたいね。
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