●8月31日(金)
<政令指定都市政策協議会 仙台を視察>
朝9時過ぎ3台のバスに別れて実地視察。京都勢は、ぼくと安井、山本、松下の4人組は、当時津波で多くの犠牲者を出した沿岸部の蒲生地区のがれき処理の現場へ。
仙台市では、発災から1年以内の撤去、3年以内の処理完了を目指して民間の力を借りながら、3基の仮設焼却場を設置して、放射線量などを調査し、搬入場内で材木や家電製品、がれき、リサイクルに努めながら処理を進め、津波堆積物については、海岸堤防事業に再生利用を開始している。
また近くの南蒲生浄化センターを視察。説明の前に津波が襲ってくる映像が映し出されて、そのときの恐怖がよみがえる。浄化センターでは屋上に避難されてヘリコプターによって救助されて犠牲者はおられなかったのは不幸中の幸い。されど施設は壊滅的な被害を受けて、仮復旧に全力をあげているところ。
視察を終えて仙台駅に着いたのはお昼。昼飯はもちろん牛タン定食。
<沿岸部を南下、福島に>
ぼくは去年の9月に三陸から仙台に入り、また11月には連合京都の研修で福島から仙台に入ったが、あれから1年。
まだ被災地を見ていない山本、松下君を伴ってレンタカーで、沿岸部から福島に行くことに。
市街地を抜けて甚大な被害を受けた荒浜から仙台空港へと海岸沿いの道を走る。がれき処理のダンプカーが行きかい、名取市は閖上(ゆりあげ)浜に。消防署やかまぼこ屋だった建物の残骸がそのまま残っていた。日和山には向日葵が咲いていた。
さらに海岸の道路を南下。山元町の中学校の体育館は津波の被害にあったままで残骸のまま。校庭にはうず高く車の山。常磐線の鉄路はなく、雑草が生えている。
さらに南下して相馬市から南相馬に。原町の火力発電所の横のビーチから見る海は穏やか。海岸沿いの道を行くと立ち入り禁止の看板。国道6号に戻り、さらに浜通を南下。
去年11月には原発から20㎞のところに警察官が道路を封鎖していたが、今は10㎞のところまで行けるようになっていた。
<飯館村にて>
国道を引き返して南相馬から阿武隈山地へ。飯館村には着いたのは6時前。ガソリンスタンドは営業をしていたが、その他の商店は休業中。ススキが咲く畑では除染の実証中ののぼり。
村役場の線量計は、0・76の数字。去年の9月は3・07マイクロシーベルトだった。村民が住めるようになるのはいつのことだろうか。
新幹線の時間を気にしながら川俣町を抜けて福島駅前のレンタカー事務所に入ったのは午後7時をまわっていた。
かろうじて東京発の最終の新幹線に間に会い、帰宅したのは12時でした。もうクタクタ。
●8月30日(木)
<政令指定都市政策協議会が仙台で>
朝8時過ぎの新幹線で政令指定都市政策協議会に参加するため東京経由仙台へ。新幹線の中で、今朝、宮城で地震があったことを知るが新幹線は遅れることなく、12時半に仙台駅へ。
そこから送迎バスで会場の秋保温泉に。2時から役員会。20の政令指定都市のうち17都市が参加。午後3時から、粛々と総会。ぼくはこの1年も副会長。
<東日本大震災と議会>
4時から「東日本大震災と議会」と題して研修会。基調講演は、若林区長で現在は仙台市復興事業局長の山田文雄さんが、被害状況や復興に向けての取り組み、課題として政令指定都市として災害救助法の権限委譲や災害基本法の見直しを提起。当時、区長として避難者支援のことなど、文字どおり寝食を忘れて奮闘された様子がリアルに伝わってきた。
また、エフエムいずみの阿部さんの進行で、仙台市議の岡本あき子さん、河北新報社の瀬川記者、阪神大震災を経験した前島神戸市議と山田局長を交えてのシンポジウム。岡本市議は、3・11のその時刻の衝撃から安否確認から避難所の運営、仮設住宅の課題、放射能問題などご自身の取り組みと仙台市議会の動きを説明。そして復興への財源と権限の問題など、議員としての取り組みを披露。色々と考えさせられました。
夕方は、交流会。久しぶりに会う他都市の議員と意見交換。温泉につかって疲れをとってぐっすり。
●8月29日(水)
<京都自治体議員ネットワーク ジオパークを視察>
朝8時過ぎ、京丹後市は網野の旅館を出発。小天橋と呼ばれる久美浜湾にある京都府漁協湊支所にて「とり貝」の養殖についてお話を伺い漁船に乗り込んで湾内の養殖現場を視察。カモメが飛んでたよ。
それから鳴き砂で有名な琴引浜鳴砂文化館を見学、道の駅「てんきてんき」からは地元の校長先生だった中江先生がバスに乗り込んでいただいて、立岩や大成の古墳群、屏風岩や丹後松島まで、ジオパークとしての地質遺産の特徴などを駆け足で説明していただく。日本海が最高に美しい。
<北近畿タンゴ鉄道に乗る>
その後、バスは宮津駅へ。北近畿タンゴ鉄道の方から苦しい経営状況などの説明を受けたあと、タンゴ悠々2号に乗り込んで終点の西舞鶴まで。およそ30分、途中由良川の鉄橋や海岸が綺麗なところでは列車は徐行したり止まり、女性アテンダントがガイドをしてくれる。住民の足の確保とともに観光列車としてがんばってますよ!
西舞鶴からはバスで南丹市の山下議員のお世話で丹波ワインの工場で試飲。ほろよい気分まではいかなかったが、夕方、無事に京都着。
夜は相談ごと一件。
●8月28日(火)
<京都自治体議員ネットワークで京丹後市へ>
10時前、明星観光バスに東一条でピックアップしてもらって京都駅へ。11時、ぼくが代表幹事をしている京都自治体議員ネットワークの研修会で貸し切りバスにて出発。一路、京丹後市へ。
3時前から京丹後市は、網野町浜詰の区民センターにて、京丹後市の商工観光課の担当者から「ジオパーク」について説明を受ける。また宮津の北仲篤市議からKTR北近畿タンゴ鉄道の現状と特に各自治体からの補助金について説明を受けて質疑。北部の公共交通をどう守るかが課題。
第3部は参加議員から、特に議会基本条例と市民への議会報告会の現状について説明と課題について報告。議会報告会はどの自治体も試行錯誤の様子。
夜は、交流会。この4月に再選された谷口議員、そして谷口議員と会派を組む「みのり旅館」のご主人、堀さんはこの4月の選挙で初当選。お世話になりました。
●8月27日(月)
午前中、横大路にサッカー場建設誘致の議員連盟の会の視察があったが野暮用で行くのを止める。
午後1時から議員団と解放同盟京都市協議会と戸籍不正取得事件と市営住宅ストック活用計画と土地登記問題について懇談会。
その後、議員団室で雑用をしてから人権擁護委員会の研修会に。成年後見人制度について、新谷弁護士が講演、質問の時間に駆け込む。
夜は明日から4日間、京都を留守にするので雑務。
<政令指定都市政策協議会 仙台を視察>
朝9時過ぎ3台のバスに別れて実地視察。京都勢は、ぼくと安井、山本、松下の4人組は、当時津波で多くの犠牲者を出した沿岸部の蒲生地区のがれき処理の現場へ。
仙台市では、発災から1年以内の撤去、3年以内の処理完了を目指して民間の力を借りながら、3基の仮設焼却場を設置して、放射線量などを調査し、搬入場内で材木や家電製品、がれき、リサイクルに努めながら処理を進め、津波堆積物については、海岸堤防事業に再生利用を開始している。
また近くの南蒲生浄化センターを視察。説明の前に津波が襲ってくる映像が映し出されて、そのときの恐怖がよみがえる。浄化センターでは屋上に避難されてヘリコプターによって救助されて犠牲者はおられなかったのは不幸中の幸い。されど施設は壊滅的な被害を受けて、仮復旧に全力をあげているところ。
視察を終えて仙台駅に着いたのはお昼。昼飯はもちろん牛タン定食。
<沿岸部を南下、福島に>
ぼくは去年の9月に三陸から仙台に入り、また11月には連合京都の研修で福島から仙台に入ったが、あれから1年。
まだ被災地を見ていない山本、松下君を伴ってレンタカーで、沿岸部から福島に行くことに。
市街地を抜けて甚大な被害を受けた荒浜から仙台空港へと海岸沿いの道を走る。がれき処理のダンプカーが行きかい、名取市は閖上(ゆりあげ)浜に。消防署やかまぼこ屋だった建物の残骸がそのまま残っていた。日和山には向日葵が咲いていた。
さらに海岸の道路を南下。山元町の中学校の体育館は津波の被害にあったままで残骸のまま。校庭にはうず高く車の山。常磐線の鉄路はなく、雑草が生えている。
さらに南下して相馬市から南相馬に。原町の火力発電所の横のビーチから見る海は穏やか。海岸沿いの道を行くと立ち入り禁止の看板。国道6号に戻り、さらに浜通を南下。
去年11月には原発から20㎞のところに警察官が道路を封鎖していたが、今は10㎞のところまで行けるようになっていた。
<飯館村にて>
国道を引き返して南相馬から阿武隈山地へ。飯館村には着いたのは6時前。ガソリンスタンドは営業をしていたが、その他の商店は休業中。ススキが咲く畑では除染の実証中ののぼり。
村役場の線量計は、0・76の数字。去年の9月は3・07マイクロシーベルトだった。村民が住めるようになるのはいつのことだろうか。
新幹線の時間を気にしながら川俣町を抜けて福島駅前のレンタカー事務所に入ったのは午後7時をまわっていた。
かろうじて東京発の最終の新幹線に間に会い、帰宅したのは12時でした。もうクタクタ。
●8月30日(木)
<政令指定都市政策協議会が仙台で>
朝8時過ぎの新幹線で政令指定都市政策協議会に参加するため東京経由仙台へ。新幹線の中で、今朝、宮城で地震があったことを知るが新幹線は遅れることなく、12時半に仙台駅へ。
そこから送迎バスで会場の秋保温泉に。2時から役員会。20の政令指定都市のうち17都市が参加。午後3時から、粛々と総会。ぼくはこの1年も副会長。
<東日本大震災と議会>
4時から「東日本大震災と議会」と題して研修会。基調講演は、若林区長で現在は仙台市復興事業局長の山田文雄さんが、被害状況や復興に向けての取り組み、課題として政令指定都市として災害救助法の権限委譲や災害基本法の見直しを提起。当時、区長として避難者支援のことなど、文字どおり寝食を忘れて奮闘された様子がリアルに伝わってきた。
また、エフエムいずみの阿部さんの進行で、仙台市議の岡本あき子さん、河北新報社の瀬川記者、阪神大震災を経験した前島神戸市議と山田局長を交えてのシンポジウム。岡本市議は、3・11のその時刻の衝撃から安否確認から避難所の運営、仮設住宅の課題、放射能問題などご自身の取り組みと仙台市議会の動きを説明。そして復興への財源と権限の問題など、議員としての取り組みを披露。色々と考えさせられました。
夕方は、交流会。久しぶりに会う他都市の議員と意見交換。温泉につかって疲れをとってぐっすり。
●8月29日(水)
<京都自治体議員ネットワーク ジオパークを視察>
朝8時過ぎ、京丹後市は網野の旅館を出発。小天橋と呼ばれる久美浜湾にある京都府漁協湊支所にて「とり貝」の養殖についてお話を伺い漁船に乗り込んで湾内の養殖現場を視察。カモメが飛んでたよ。
それから鳴き砂で有名な琴引浜鳴砂文化館を見学、道の駅「てんきてんき」からは地元の校長先生だった中江先生がバスに乗り込んでいただいて、立岩や大成の古墳群、屏風岩や丹後松島まで、ジオパークとしての地質遺産の特徴などを駆け足で説明していただく。日本海が最高に美しい。
<北近畿タンゴ鉄道に乗る>
その後、バスは宮津駅へ。北近畿タンゴ鉄道の方から苦しい経営状況などの説明を受けたあと、タンゴ悠々2号に乗り込んで終点の西舞鶴まで。およそ30分、途中由良川の鉄橋や海岸が綺麗なところでは列車は徐行したり止まり、女性アテンダントがガイドをしてくれる。住民の足の確保とともに観光列車としてがんばってますよ!
西舞鶴からはバスで南丹市の山下議員のお世話で丹波ワインの工場で試飲。ほろよい気分まではいかなかったが、夕方、無事に京都着。
夜は相談ごと一件。
●8月28日(火)
<京都自治体議員ネットワークで京丹後市へ>
10時前、明星観光バスに東一条でピックアップしてもらって京都駅へ。11時、ぼくが代表幹事をしている京都自治体議員ネットワークの研修会で貸し切りバスにて出発。一路、京丹後市へ。
3時前から京丹後市は、網野町浜詰の区民センターにて、京丹後市の商工観光課の担当者から「ジオパーク」について説明を受ける。また宮津の北仲篤市議からKTR北近畿タンゴ鉄道の現状と特に各自治体からの補助金について説明を受けて質疑。北部の公共交通をどう守るかが課題。
第3部は参加議員から、特に議会基本条例と市民への議会報告会の現状について説明と課題について報告。議会報告会はどの自治体も試行錯誤の様子。
夜は、交流会。この4月に再選された谷口議員、そして谷口議員と会派を組む「みのり旅館」のご主人、堀さんはこの4月の選挙で初当選。お世話になりました。
●8月27日(月)
午前中、横大路にサッカー場建設誘致の議員連盟の会の視察があったが野暮用で行くのを止める。
午後1時から議員団と解放同盟京都市協議会と戸籍不正取得事件と市営住宅ストック活用計画と土地登記問題について懇談会。
その後、議員団室で雑用をしてから人権擁護委員会の研修会に。成年後見人制度について、新谷弁護士が講演、質問の時間に駆け込む。
夜は明日から4日間、京都を留守にするので雑務。