ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

八幡町をゆく(27) 望理里(まがりのさと)(1)

2024-06-17 06:41:18 | 加古川市八幡町をゆく

  

    八幡町をゆく(27) 望理里(まがりのさと)(1)

   『播磨風土記』が作られた奈良時代、八幡地方は、望理里(まがりのさと)と呼ばれました。

 風土記の一部を読んでおきます。



 ・・・景行天皇(けいこうてんのう)が巡幸の時、この村の川の流れが曲がっているのを見て「この川の曲がり具合は、はなはだ美しい」と仰せられました。

それで、この地を「望理里」という・・・



 加古川は、美嚢川(みのがわ)と加古川が合流点あたりから、流れは西に弧を描きながら流れています。

  『播磨風土記』が書かれた奈良時代、この辺りのかこがわ流れは現在の流れと大きく異なり、加古川は、宗佐(そうさ)の辺りから、国包(くにかね)の東を流れ、船町・下村のあたりから流路を変え、中西条の西に流れていたと考えられていたようです。

 八幡地区は、加古川が大きく曲がった東岸の地域に広がっていました。まさに「曲がりの里」でした。

 山頂から眺めた望理里は、まさに絶景であったことでしょう。

 「しかし」とその後を続けなければなりません。

  古代より加古川は、暴れ川でした。

  台風、それに長雨の時など、加古川は気決まったおうに洪水を引きおこしましたた。

 水は、まっすぐに流れようとします。

  望理里は、まさに洪水の直撃をくらう地域でした。

  そんな証拠が地形に残されています。

*『加古川の流れ(建設省近畿地方建設局・姫路工事事務所)』(1975)参照

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