ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

八幡町をゆく(17) 大家・本岡家

2024-06-07 07:56:40 | 加古川市八幡町をゆく

 

      八幡町をゆく(17) 大家・本岡家

 八幡町下村に大家(おおや)という、近在に知られた旧家がありました。

 一目で分かる杉の生垣のある大きな家でした。

 大家は、元禄7年(1694)に建てられたもので、江戸時代前期の住宅構造を知る上で貴重な建築で、「県指定文化財」に指定されています。

 八代当主の本岡嘉平治の時、大工船町八左衛門が建てた、と棟札に記されています。

 大家(本岡家)には、当時の農家にしてはめずらしい平書院、長押などが配置されており、 土間は、竹の簀子(すのこ)天井で豪快な梁が縦横にとおり、上が「つし」です。。

 (つし・・農家で天井や屋根の下につくった物置部屋)

 本岡家は、「元、越中・越前に所領を持った武士でしたが、同地方に猛威をふるった一揆の鎮圧に失敗し、帰農を決意し、姻戚の野村城主(八幡城野村)をたよって、わずかな郎党とともに、この地に落ちのびた」と伝えられています。

 四代当主、本岡治兵衛は、万治元年(1658)上西条・喜平次、中西条・才兵衛とともに、印南野(加古新田)の開発に当たりました。

 寛文元年(1661)、藩の許可を受け、近郷の住民を指導し、ついに百十一町歩あまりを開拓しました。

 現在、大家(本岡家)は、加古川少年自然の家のキャンプ場の奥に移築・保存されています。

 *写真:現在、加古川少年自然の家のキャンプ場の奥に移築・保存されている本岡家。

 *『ふるさと・やはた』(加古川農業改良普及所)参照

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