八幡町をゆく(17) 大家・本岡家
八幡町下村に大家(おおや)という、近在に知られた旧家がありました。
一目で分かる杉の生垣のある大きな家でした。
大家は、元禄7年(1694)に建てられたもので、江戸時代前期の住宅構造を知る上で貴重な建築で、「県指定文化財」に指定されています。
八代当主の本岡嘉平治の時、大工船町八左衛門が建てた、と棟札に記されています。
大家(本岡家)には、当時の農家にしてはめずらしい平書院、長押などが配置されており、 土間は、竹の簀子(すのこ)天井で豪快な梁が縦横にとおり、上が「つし」です。。
(つし・・農家で天井や屋根の下につくった物置部屋)
本岡家は、「元、越中・越前に所領を持った武士でしたが、同地方に猛威をふるった一揆の鎮圧に失敗し、帰農を決意し、姻戚の野村城主(八幡城野村)をたよって、わずかな郎党とともに、この地に落ちのびた」と伝えられています。
四代当主、本岡治兵衛は、万治元年(1658)上西条・喜平次、中西条・才兵衛とともに、印南野(加古新田)の開発に当たりました。
寛文元年(1661)、藩の許可を受け、近郷の住民を指導し、ついに百十一町歩あまりを開拓しました。
現在、大家(本岡家)は、加古川少年自然の家のキャンプ場の奥に移築・保存されています。
*写真:現在、加古川少年自然の家のキャンプ場の奥に移築・保存されている本岡家。
*『ふるさと・やはた』(加古川農業改良普及所)参照