八幡町をゆく(22) 下村困窮す(冨塚久衛門の墓碑)
八幡町下村に熊尾山萬福寺という曹洞宗のお寺があり、墓地に、ある人物の功績をたたえた碑があります。
下村の、本岡豊二さんは、『ふるさと・やはた』で、その墓碑を記録されています。
史料としてここに転載させていただきたい。
「一山突句居士」の碑
内容は、「延宝年間(1673~81)当地方は、凶作で大飢饉に困窮した。
年貢米はおろか、生活にも事欠いた農民の困窮を知った城の郡担当役人の冨塚久衛門は、城主に上奏し、二年間の年貢米取立ての中止の措置をとりました。
庄屋以下農民は、こぞってその慈悲に感謝ました。
その後、延宝九年冨塚久衛門は逝去したが、住民一同は感謝を表すために元禄十六年八月に、この碑を建て供養した」というものです。
延宝年間、ある記録によれば、当地方は、「延宝2年、70年来の大洪水、同4年、大洪水、それに旱魃に苦しむ・・」とあります。
当時の苦しい農民の生活のようすが浮かびます。
*『ふるさと・やはた』(加古川農業改良普及所)参照。
写真:冨塚久衛門の墓碑
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