ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

八幡町をゆく(26) 清麻呂と猪(八幡神社の伝承)

2024-06-16 06:01:03 | 加古川市八幡町をゆく

       八幡町をゆく(26) 清麻呂と猪(八幡神社の伝承)

 奈良時代、大仏開眼を頂点に、天平の繁栄は終わりを告げようとしていました。

 聖武天皇、光明皇后はあついで亡くなりました。

 後を継いだのは、光明皇后の生んだ、ただひとりの娘の女帝・孝謙天皇(こうけんてんのう)でした。

 孝謙天皇は、信頼していた藤原仲麻呂(恵美押勝)にも裏切られ、悶々とした気持にでした。

 そんな時です。女帝(44才)の前に、英才の僧・道教が現れたのです。

 独身の女帝にとって道教は、初めての恋人であったとも言われています。

 彼は、呪術をもって女帝の病気を治してから、その寵愛を一心に受け、天皇の地位にも並ぶほどの「法王」の地位を授けられました。

 この時、朝廷を揺るがす大事件がおきました。

 「道教を天皇の位につかせたならば、天下は太平になるであろう」という、宇佐八幡宮(大分県)のお告げが朝廷にもたらされたのです。

 ことの真実を確かめるべく、和気清麻呂が宇佐へ使わされることになりました。

 (挿絵は道教と和気清麻呂・戦前の教科書より)

 ここで、八幡神社(加古川市八幡町)の伝承が登場します。

 清麻呂は、都をたって播磨の国・望理里宗佐(まがりのさとそうさ)までやってきました。

 道教の差し向けた刺客たちが清麻呂を囲みました。・・・その時、空がにわかに曇り、山から大きな猪が現れ、道教の放った刺客に襲いかかり、次々とけちらしたのです。

 そして、清麻呂は無事宇佐に着き、宇佐の神のお告を確かめました。

 その内容は「わが国は、開闢(かいびゃく)以来、君臣が定まっている。道教のような皇族にあらざる人を皇位につけてはならない」というものでした。

*『日本史探訪・4』(角川文庫)参照

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