ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

八幡町をゆく(12)  行者塚古墳③・加羅への援軍

2024-06-02 10:09:26 | 加古川市八幡町をゆく

 

   八幡町をゆく(12)  行者塚古墳③・加羅への援軍

 古代史の専門家は、行者塚出土の大量の埴輪(写真は一部)の研究等から行者塚は、5世紀初期の古墳であると結論づけています。

 ここからは、素人()の無責任な想像を書いてみます。

 行者塚古墳の出土品の中には朝鮮半島南部からの遺物が多くあります。

 これは中央(奈良地方)の豪族が、朝鮮南部から得た品物を、地方の豪族に与えたものとも考えらますが、それにしては行者塚古墳には多すぎます。

 行者塚古墳の主は、中央の豪族にとって、それほど特別な豪族であったとも思えません。

 5世紀の朝鮮半島の情勢は、百済・高句麗・新羅・加羅(から)、それに中国が複雑に絡み合っています。

 つまり、お互いに相手の領土を狙っていたのです。

 行者塚古墳から出土品から考えて、行者塚の主は加羅(任那)と関係が深いと想像されます。

 加羅は、これらの国の中でもっとも弱小の国(地方)でした。

 とするなら、当然加羅は、他国と同盟を結んだり援軍を求めたりしたのでしょう。

 西日本や北陸の海岸にある古墳にも、行者塚と同じく、加羅地方の遺物を多く持つ古墳があります。

 これらの古墳の主は、加羅へ直接援軍を送ったのでしょう。

 そして、「その見返りとして、加羅からたくさんの宝物を得たのではないか」と考えるのです。

 あくまで、素人の推測として読んでください。

*写真(行者塚古墳出土・盾形埴輪)

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