八幡町をゆく(30) 農民運動家・行政長蔵(2)
「 運動を進める中で、大正二年(1913)県会議員選挙に、当時の加古郡より立候補し、最高点で当選しました。
しかし、選挙違反があったとデッチあげられ、失脚させられてしまいました。その裏には、ある衆議院議員の指図があったとのうわさもありました。
行政の人気は大変なものであったらしく、行政の演説のポスターが電柱に貼られると、続々と演説を聞きに行きました。
彼は、どなるがごとく、炎のごとく演説したといいます。さあ、警官の弁士中止の声がかかるぞ・・」と、聴衆は今か、いまかとかたずをのみました。
その時、行政は「・・政治の腐敗を追求し、農民よ、団結し立ち上がろうではないか・・」と叫ぴます。すかさず、警察の「弁士中止1」という命令です。
しかし、行政は演説をやめません。警察は演壇から彼を引きずり降ろします。そんな時、聴衆はきまって警察官に対し、叫ぴヤジるのです。
「ああ、今日の演説会はおもしろかった」と、行政の演説を聞きに行った人も多かったようです。
こんなありさまでしたから、日常の生活にも毎日警察の監視がついていました。
田んぼで働いている時も、警察は近くの山の上からずっと監視しているのです。
行政は昼になると「さあ、ここで飯を食うからナァ、お前そこで見ていてくれヨ・・」と言って警官をからかったりしました。
こうして行政は宗佐(そうさ)で、自らも田畑で働きながら農民運動を指導を行っていたのです。
やがて、日本は敗戦を迎えました。
行政は、時代はよくなるに違いないと信じていました。
波澗万丈の生涯を送った彼は、戦後まもなく突然その姿を消してしまいました。政敵に消された
とも、いずれかの国へ密航したとも諸説はあるのですが、その真相はわかっていません。
〈余話〉
昨年、80歳を記念して高校の同窓会がありました。皆さんお元気でした。たまたま隣の席に「行政」名札の同級生でした。
学生時代、かれは優秀な生徒で話はあまりしなかったのですが、「もしや、行政長蔵さんと関係のある方ですか」と尋ねると。「長蔵のことはあまり覚えていませんが、私の祖父です」との返事でした。ビックリ!
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