東神吉町をゆく(69) 砂部 日本毛織(ニッケ)印南工場(2):トロッコ橋
大正9年7月には加古川工場と印南工場をつないで専用の軽便鉄道加古川鉄橋が架設され、無人トロッコによる両工場間の輸送が始まりました。主なトロッコの荷物は、加古川工場で引き込み線から積み換えられた燃料用石炭でした。
このトロッコはワイヤーにより牽引されるケープル式で、電気を動力として昭和30年頃まで使用されていました。
私(喜多正人氏)の子供の頃は無人のトロッコに飛び乗って遊んで叱られたこともあります。
この専用橋を私たちはトロッコ橋と呼んでいました。その後、トロッコによる両工場間の資材輸送は行われなくなり、トロッコ橋だけが残っていました。
昭和34年(1959)国道2号線加古川大橋の拡幅工事が行われた時には、人と自転車専用の板張りのう回路がこの橋を利用して作られました。
その後も利用されずに残っていた橋は、昭和41年に洪水防止のため撤去され橋脚の基礎部分だけ残っていましたが、平成13年のJR新橋梁工事の際これも撤去されました。
大正11年には国鉄線路北側の船頭・出河原地区の用地に寄宿舎・社宅が建てられました。
敷地の一部に大きなグラウンドが作られ、年に一度はなやかに職場の大運動会が開催さ れ 、周辺の村からも大勢の人が見物に来ました。その後、繊維製品の国際競争力低下に伴い、工場の生産規模は徐々に縮小され、従業員数も激減して、社宅入居者はいなくなり、社宅等の跡地は現在ショッピングモール・イオンタウンやナフコ、マックスバリューとそ の他の店舗、乗馬クラブ・テニス練習場・ゴルフ練習場等スポーツ施設用地、加古川市の夜間救急センター、歯科保健センターとなっています。
*文:『砂部あれこれ』(喜多正人著)より
*写真:トロッコ橋 (対岸の工場は印南工場)
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