ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

東神吉町をゆく(64)  上部用水(神吉庄水路・平津庄水路・伊保庄水路)

2024-02-01 09:50:12 | 加古川市歴史探訪・東神吉町編

     東神吉町をゆく(64) 上部用水(神吉庄水路・平津庄水路・伊保庄水路)

 『砂部あれこれ』(喜多正人著)を読んでみます。地図を見ながらお読みください。

 上部用水(うえべようすい)の取水口から取り込まれた水は、まず、神吉庄水路と平津庄・伊保庄水路に分かれ、さらにその先で平津庄水路と平津庄水路に分かれ流れ下ります。

 これれらの水路が灌漑する地域を地図で確認ください。上部用水は、たいへん広い地域を灌漑する用水です。

 升田村では、村の中を西へ流れる2本の水路(神吉庄と伊保庄・平津庄)を、それぞれ神吉川、向い川(平津庄水路・伊保庄水路)と呼んでいたそうです。

        三つの水路(印南郡の1/3を占める)

 俗に上部井の用水は、神吉庄2、000石(神吉1,200石、砂部347石、中西186石、大国267)、伊保庄4,000(伊保崎1,100石、中筋1,000石、南池300石、北池300石、曽根町1,300)、平津庄4,000(西井ノロ750石、岸500石、米田667石、塩市333石、平津750石、神爪500石、島500)合計1万石の田を潤しているといわれ、印南郡全域石高の約三分の一を占めていました。

         海岸部の用水

 なお、高砂市西部の海岸部の用水は、もともと阿弥陀町にあるため池を水源にしていました。

 しかし、水量は十分でありません。また、同地域には法華山谷川や天川が流れていますが、いずれも勾配が少なく海に近いために塩分があり、稲作には不向きでした。

 そのため、苦労をして上部井水を用水路を築きました。

 *『砂部あれこれ』(喜多正人著)参照

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