東神吉町をゆく(64) 上部用水(神吉庄水路・平津庄水路・伊保庄水路)
『砂部あれこれ』(喜多正人著)を読んでみます。地図を見ながらお読みください。
上部用水(うえべようすい)の取水口から取り込まれた水は、まず、神吉庄水路と平津庄・伊保庄水路に分かれ、さらにその先で平津庄水路と平津庄水路に分かれ流れ下ります。
これれらの水路が灌漑する地域を地図で確認ください。上部用水は、たいへん広い地域を灌漑する用水です。
升田村では、村の中を西へ流れる2本の水路(神吉庄と伊保庄・平津庄)を、それぞれ神吉川、向い川(平津庄水路・伊保庄水路)と呼んでいたそうです。
三つの水路(印南郡の1/3を占める)
俗に上部井の用水は、神吉庄2、000石(神吉1,200石、砂部347石、中西186石、大国267石)、伊保庄4,000石(伊保崎1,100石、中筋1,000石、南池300石、北池300石、曽根町1,300石)、平津庄4,000石(西井ノロ750石、岸500石、米田667石、塩市333石、平津750石、神爪500石、島500石)合計1万石の田を潤しているといわれ、印南郡全域石高の約三分の一を占めていました。
海岸部の用水
なお、高砂市西部の海岸部の用水は、もともと阿弥陀町にあるため池を水源にしていました。
しかし、水量は十分でありません。また、同地域には法華山谷川や天川が流れていますが、いずれも勾配が少なく海に近いために塩分があり、稲作には不向きでした。
そのため、苦労をして上部井水を用水路を築きました。
*『砂部あれこれ』(喜多正人著)参照
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