ペリー提督の子孫の方が室戸にもやって来たという事です。
ペリー提督といえば、幕末に、黒船で日本に現れ、開国を迫った人物です。
龍馬も黒船を見たといわれていますが、実際に、見たのかどうかは分かりません。
幕末に、室戸市出身の志士が黒船を見たはずもないと思います。
1853年6月3日に、ペリーが浦賀に入港以来、158年の時を経て、その子孫が、室戸にやってきたわけです。
その様子を、室戸岬に建つ慎太郎の銅像はどういう想いで見ていたのでしょうか。
慎太郎と、龍馬の直系の子孫がいれば、室戸岬か、桂浜でペリーの子孫との会合を持つというような事もできていたはずです。
ジョン万次郎の子孫は、いるのですが、龍馬・慎太郎、両雄の子孫がいないことは残念です。
【ストックフォトサイト】
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ペリー提督といえば、幕末に、黒船で日本に現れ、開国を迫った人物です。
龍馬も黒船を見たといわれていますが、実際に、見たのかどうかは分かりません。
幕末に、室戸市出身の志士が黒船を見たはずもないと思います。
1853年6月3日に、ペリーが浦賀に入港以来、158年の時を経て、その子孫が、室戸にやってきたわけです。
その様子を、室戸岬に建つ慎太郎の銅像はどういう想いで見ていたのでしょうか。
慎太郎と、龍馬の直系の子孫がいれば、室戸岬か、桂浜でペリーの子孫との会合を持つというような事もできていたはずです。
ジョン万次郎の子孫は、いるのですが、龍馬・慎太郎、両雄の子孫がいないことは残念です。
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