中岡慎太郎館に行ってきました。今年は、慎太郎・龍馬が暗殺されてから、140年目ということで、特別展示が行われています。『中岡慎太郎館』では、『土佐勤王党』の特別展示が行われています。この特別展示は8月28日までです。
慎太郎館には何度も行っているのですが、土佐勤欧党の特別展示をしている部屋は普段は、ドアが閉じられている部屋です。慎太郎館の玄関から二階に上がって、右手の部屋が『土佐勤王党』の特別展示の部屋になっています。
幕末の頃は、いろいろな人物や、政治組織が活動していたので、『土佐勤王党』がどういう組織であったのか、ある程度の知識を持っていると、展示内容の意味を深く理解できると思います。
『勤王』とは、天皇に忠義を尽くすという意味だと考えていいと思います。そうすると、『尊皇攘夷』と、思想的には、近いものになると思います。『土佐勤皇党』は、武市半平太によって結成されたもので、その組織のメンバーには、龍馬・慎太郎も名前を連ねていました。
『土佐勤王党』の政治的思想は、かなり過激なものだったようで、龍馬は半平太とは、意見が合わず、途中で、メンバーからははずれています。
『土佐勤王党』の展示の中で、特に、目を引いたのは、慎太郎と龍馬の肖像画と、武市半平太が描いた美人画でした。慎太郎と龍馬の写真はよく見かけるのですが、肖像画は見たことがありませんでした。武市半平太の美人画も見事です。
龍馬の肖像画は、有名な写真と同じように、目を細めて、柔和な表情で遠くを見ています。一方、慎太郎は、するどい目つきで、まっすぐ前方を見据えています。この肖像画からも、2人のキャラクターの違いが分かります。
慎太郎は、質実剛健、文武両道の秀才型で、一方の龍馬は、あまり、型にはまった堅苦しいことは嫌いで、ゆったりと構えて、全方位的に物事をとらえることのできる、自由な発想と、懐の深さがあったのではないかと思えます。
全く相反するキャラクターの両雄ですが、薩長連合は、どちらか一方だけのキャラクターでは成しえなかったのではないかと思います。薩長連合に関して言えば、駿馬にたとえると、龍馬がその駿馬の前脚で、慎太郎が後脚だったのではないかと思います。
2人の協力(前脚と後脚の協力)なくしては、薩長連合という駿馬は幕末を駆け抜けることはできなかったのではないかと思います。薩長連合を成立させ、一心同体となった慎太郎と龍馬は、死ぬ時も、同体のままだったわけです。2人が同時に死亡することは、薩長連合を成立させたがゆえの、歴史の必然だったのかも知れません。
『もし、・・・だったら』ということは歴史には禁句ですが、もし、あの近江屋に、2人同時にいなければ、あるいは、慎太郎・龍馬以外に誰かがいれば、刺客が襲ってくることを予見できていたかもしれません。
キャラクターが相反する2人ですから、あの時も、白熱した議論を戦わせて、2人は議論以外の部分に注意力が届かなかったのではないかと思います。もし、2人が、静かに会話を交わしていた程度であれば、階下の不穏な空気の動きに気づいたかも知れません。
返す返すも、2人が同時に殺害されたことは残念です。
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ジャズコァフライブルグコンサート
日時 2007年9月1日(土)
会場 室戸市保健福祉センターやすらぎ夢ひろば
18:00会場、18:30開演 全席 自由
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慎太郎館には何度も行っているのですが、土佐勤欧党の特別展示をしている部屋は普段は、ドアが閉じられている部屋です。慎太郎館の玄関から二階に上がって、右手の部屋が『土佐勤王党』の特別展示の部屋になっています。
幕末の頃は、いろいろな人物や、政治組織が活動していたので、『土佐勤王党』がどういう組織であったのか、ある程度の知識を持っていると、展示内容の意味を深く理解できると思います。
『勤王』とは、天皇に忠義を尽くすという意味だと考えていいと思います。そうすると、『尊皇攘夷』と、思想的には、近いものになると思います。『土佐勤皇党』は、武市半平太によって結成されたもので、その組織のメンバーには、龍馬・慎太郎も名前を連ねていました。
『土佐勤王党』の政治的思想は、かなり過激なものだったようで、龍馬は半平太とは、意見が合わず、途中で、メンバーからははずれています。
『土佐勤王党』の展示の中で、特に、目を引いたのは、慎太郎と龍馬の肖像画と、武市半平太が描いた美人画でした。慎太郎と龍馬の写真はよく見かけるのですが、肖像画は見たことがありませんでした。武市半平太の美人画も見事です。
龍馬の肖像画は、有名な写真と同じように、目を細めて、柔和な表情で遠くを見ています。一方、慎太郎は、するどい目つきで、まっすぐ前方を見据えています。この肖像画からも、2人のキャラクターの違いが分かります。
慎太郎は、質実剛健、文武両道の秀才型で、一方の龍馬は、あまり、型にはまった堅苦しいことは嫌いで、ゆったりと構えて、全方位的に物事をとらえることのできる、自由な発想と、懐の深さがあったのではないかと思えます。
全く相反するキャラクターの両雄ですが、薩長連合は、どちらか一方だけのキャラクターでは成しえなかったのではないかと思います。薩長連合に関して言えば、駿馬にたとえると、龍馬がその駿馬の前脚で、慎太郎が後脚だったのではないかと思います。
2人の協力(前脚と後脚の協力)なくしては、薩長連合という駿馬は幕末を駆け抜けることはできなかったのではないかと思います。薩長連合を成立させ、一心同体となった慎太郎と龍馬は、死ぬ時も、同体のままだったわけです。2人が同時に死亡することは、薩長連合を成立させたがゆえの、歴史の必然だったのかも知れません。
『もし、・・・だったら』ということは歴史には禁句ですが、もし、あの近江屋に、2人同時にいなければ、あるいは、慎太郎・龍馬以外に誰かがいれば、刺客が襲ってくることを予見できていたかもしれません。
キャラクターが相反する2人ですから、あの時も、白熱した議論を戦わせて、2人は議論以外の部分に注意力が届かなかったのではないかと思います。もし、2人が、静かに会話を交わしていた程度であれば、階下の不穏な空気の動きに気づいたかも知れません。
返す返すも、2人が同時に殺害されたことは残念です。
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ジャズコァフライブルグコンサート
日時 2007年9月1日(土)
会場 室戸市保健福祉センターやすらぎ夢ひろば
18:00会場、18:30開演 全席 自由
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