お寺さんぽ Ver.03

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甲府城 舞鶴城公園 (山梨県)

2011年05月08日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は山梨県甲府市は「甲府城」です。

甲府駅から徒歩数分。
駅前で「武田晴信」像を見た後、とりあえずすぐ行ける歴史スポットがこちら、「甲府城」こと「舞鶴城公園」です。
公園名にも含められた「舞鶴城」ほか、「甲斐府中城」、「一条小山城」などとも呼ばれています。
典型的な平城ですね。
戦略上、甲斐国は関東の「徳川家康」に対する重要拠点であり、戦国末期に築かれた「甲府城」もなかなか意味深いものだったようです。



天正十年(1582)
武田氏の親族衆「木曾義昌」の寝返りによって、「織田信長」はその支援と共に武田氏討伐を決意。
嫡男「織田信忠」を総大将に、大軍を出陣させました。
岩殿城の重臣「小山田信茂」の寝返りによって天目山へと追い詰められた「武田勝頼」・「武田信勝」親子はここで自害。
ここに武田氏は滅亡したのでした。

こうして甲斐国は織田氏の支配下となったんですが…それから約二ヶ月後。
勝利者だった信長も本能寺にて自害。
その混乱をついた「徳川家康」は、武田氏の旧領をちゃっかり奪ったのです。

その後、後継者となった「豊臣秀吉」の支配地域となっています。
甲斐へ入った甥「羽柴秀勝」・「加藤光泰」らが築城を開始し、五奉行の一人「浅野長政」・「浅野幸長」親子の時代に完成したようです。
これが慶長五年(1600)頃。
もしかしたら天守閣があったかも、とのこと。



なお、ちょうどその年の夏に「関ヶ原合戦」があり、結果として甲斐は徳川氏の支配となっています。
かなり支配者がコロコロ変化していましたが、九男「徳川義直」が入ってようやく落ち着くのでした。
宝永元年(1704)
「徳川綱吉」の側用人として有名な「柳沢吉保やなぎさわ・よしやす)」が甲府藩・藩主になっています。
この際に城・城下町ともに整備されたようです。


※城門です。
 階段途中の人で大きさが分かると思います。

明治時代になって廃城となりますが、明治三十七年(1904)には残った城郭と共に「舞鶴公園」として整備されるのでした。
城門や櫓は復元されたもの。
城壁などが立派ですが天守がないため目立つ写真ポイントがなく、面白さとしてはいまいち。
いわゆる戦闘城(山城みたいな)とは違うのでアクセスにも優れ、ふらふらし易いのが良いトコロ。
…ただ、本丸まで行った際には、ひでるさんやや息切れしてましたが(本当)


[住所]
 舞鶴城公園(甲府城) 山梨県甲府市丸の内1-5-4

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※武田と言えば…コレですか。
 漢字並ぶとかっこえーですよね。