故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
焼津港
こうであるべきだった。
でもそうならなかった。
都度、工夫をしたのである。
持てる力と材料で。
やり遂げた男たちの反省会です。
若い者たちの「足りない」を年寄りたちが反省しているのです。
ここが、まだ足りないと。
終わったから、出来たから。
笑えるのです。
ひたすら頑張ったことは、もう忘れているのです。
これからのことを皆は考えています。
しばしの休息をいっぱい飲みながら、くりごとを飲み下しているのです。
そうだ、そうだ、そうだった。
もう思い出話です。
自分の会社でない人達と和気合いあいと反省会です。
難しかったのは何処だったか、誰も知っているのです。
それを知恵で、気力で乗り越えた男たちの優雅な安酒反省会です。
これで思い残すことは無くなりました。
やり遂げて、構築物がまた残りました。
今日は草取りの仕上げです。
こちらもやり残したことはありません。
あとのものにゆだねるのです。
胸いっぱい 無色透明 秋の風
2015年9月5日
静岡で見た大海原です
自由について考えてみましょう。
カントは、
意志が感性的欲望に束縛されず、理性的な道徳命令に服することで、自律と同義。
サルトルは、
人間は構造上自由であり、したがって常に未来への選択へと強いられており、
それ故自由は重荷となる。
と広辞苑に出ていました。
どちらも、人間は自由であるべきと言っています。
誰かに言われて行動するのではなく、自分の理性で行動できるのです。
自由であるためには、
今にこだわらず未来はさらに自由であろうとするために苦労する。
と言ったことでしょうか。
私は、自分の考えで行動してよいのです。
そして少しずつ、過去にとらわれず明日に希望を持てば良いとも取れます。
勝手な解釈です。
哲学的には、難しいのでしょう。
冒頭の絵のように、
景色を素晴らしいと感じるのは、個人の感性によるのです。
だからと言って、「このまま、ここで」とはいかないのです。
生きていて、自由だと感じられると良いのです。
お金のために働きます。
誰かに指示されて、納得できなくても実行します。
こんなことは、毎日のことです。
少しの時間でも、物思いにふけり楽しいと思うことができたら良いのです。
自分が自由と感じられることにより、人も自由であってほしいと思えることです。
その人の自由を讃えてあげるくらいが良いのです。
よくやってるね。面白い。素晴らしいじゃない。
と言ってあげられると良いのです。
心に浮かぶこと(本音)を話せる友がいると良いのです。
お前、本当に馬鹿だね。
と言ってくれる友のことです。
友人に甘えてばかりもいられません。
自分も日々生き抜かなければならないのです。
心の自由を残すために。
あれはええ 海に叫びし 解き放つ
2015年9月4日
Chute Mt.Fuji
へちまの黄色い花が、夏と秋の間を行ったり来たりしています。
大いに助けてくれた、ベランダのへちまとカボチャの大きな葉っぱ。
役目も終わりに近づいたのか、葉の縁に疲れが出始めました。
虫たちは飽きることなく鳴きつづけています。
健康診断の聴力検査よりよく聞こえます。
そうです。酔いが冷めていません。
涼風が火照った体には何よりの休息です。
富士をバックに滑りたい気分です。
さぞ、爽快でしょう。
ダジャレを聞かなかったな。
いつも出るのでした。
それだけ、本音で喋ったのかもしれません。
何を話したのか覚えていません。
楽しかった記憶だけが、壺の底にふつふつと落ちていくのです。
思い出話は、遠い昔とは限りません。
昨日の出来事もすでに思い出話です。
今日がもう始まりました。
まともになるまでもう少しかかりそうです。
路地裏の 笑顔ほどける 赤提灯
2015年9月3日
無心にシャボン玉を飛ばす少女です。
アサヒスーパードライの功労者に良く会いました。
私がこのようなコンセプト(いっぱい飲んだ後に、また飲みたくなるビール)で
開発したのです。
そうですか、それは素晴らしい。
成功の蜜の周りには、さんざめく虫たちが寄るのである。
プロジェクトエンジニアーは、顧客に渡したら速やかに舞台から降りるのです。
私が、私がの人達に、いかようにも宣伝していただければよいのです。
華やかな舞台の黒衣です。
会社で偉くなる、出世街道から落ちこぼれる。
それで自尊心が傷ついて、自らの命を短くする。
それは、古今東西起こるべくして起きています。
それがどうしたと思うのです。
いや、出世して金をたくさん稼ぐ人が偉いのです。
私の心の羅針盤は、出世とは程遠い方向を指してしまった。
「お金は、あとからついてくる」と先輩に教えられました。
その通りでした。仕事が出来れば、それ相応の代金が支払われます。
お金を求めると、もっともっと欲しいと考えます。
お金のために、多くのものを捨てることができれば良いのです。
命を短くしないためには、心の毒を吐き出すことです。
友人に、愛人に。
冒頭の絵のように、
恋心は、パチンパチンとはじけるのです。
そしてまた次を飛ばす。
私には、心のバランスを保つためのこれだというものはありません。
ふらふらと振り回されています。
毎日絵手紙を描くごとに、均衡が保たれているようです。
難しいことに毎日挑戦ができるのです。
成功とは縁遠い作業です。今日が、今が大事なのです。
世界中まともに生きている人のほとんどが黒衣人生です。
それで良いのです。頭は二つは必要ありません。
ましてや勘違いの頭は捨てるほどいます。
屋根の上 飛んだシャボン また弾け
2015年9月2日
昭島駅から見た夕暮れです。
プレー中に、膝をつき動けなくなりました。
ドライバーを杖がわりに、片側は友人に支えられ、やっとカートに乗り込みました。
座席に座り込むや、白目をむきいびきをかきはじめました。
後の組のカートを借り、クラブハウスに駆け込み救急車を依頼しました。
友人は、2分後に意識を取り戻し、片言話せるようになりました。
考えられることはと聞くと、
糖尿病に低血圧ととぎれとぎれに答えるのがやっとでした。
突然のことでした。
友人は、救急病院で一命を取り戻し、
先輩が友人の車を運転し、自宅まで送りました。
冒頭の絵は、昭島駅で遭遇した夕焼けです。
闇が迫る中、あまりの碧き空に驚きました。
毎日の終わりです。
ドラマがあった日だったのか平凡な一日だったのか覚えていません。
あってはならない時に、また場所で突然やってくるのです。
あとは「ゆだねる」しかありません。
いつか誰にもやって来ます。
準備などいくらやっても足りないのです。
やっと終わったか。
もう少し先まで行きたかった。
家族がいれば、家族に。
家族がいなければ、通りがかった人に。
山で誰もいなければ、後は虫たちにゆだねるのです。
心配事は多いのです。
やり残したことが何なのか考えるこの頃です。
何者だったのか。
評価も噂話も、あとの人に「ゆだねる」しかないのです。
いつでも、ジ・エンドを受けられる人がいるのでしょうか。
仕事は、自分で幕引きをしなければならないと思っています。
いつもの仕事が出来なくなった時が幕引きの時です。
まだやれるじゃないが、丁度潮時です。
エンジニアリング会社に勤めていた頃、
60歳で定年を迎えた先輩に、
「よくぞ生きてこの日を迎えれました。」と一緒に喜んだものです。
平均寿命70歳の会社です。
明日から、農業をやるんだと喜んで定年の日を迎えた先輩は、
翌月亡くなられました。
ゆだねる家族や後輩がいるあなた、
幸せだと思いませんか。
どっぷり甘えてよいのですが、そうもいきませんね。
入れたかな また一からを 繰り返す
2015年9月1日