やっと、酒気が抜けました。
猫に小判、私に江戸切子てなもんで、
今一つ、切子のガラスコップの良さがわかりません。
手に馴染んでくるのでしょう。
物の良さが解らぬ者にとって、芸術品はやっかいなものです。
いつまでに何をやるから、こうして欲しいと宣言してしまいました。
そうでもしないと、プロジェクトが動かぬからです。
ああ、後に引けなくなりました。やるしかありません。
私は、時々このような無謀な宣言をすることがあります。
神の前で、この人を一生愛し続けます。
言ってしまいました。後悔はないのですが、本当かいな。
と反芻します。言っちゃったんだね。
雲一つない朝がやって来ました。
朝日が入る窓が、90度東に移動していました。
昨日も、駅を一つ乗り越してしまいました。
この頃は、やたら若い時のことが浮かんできます。
いよいよ、私にも記憶オーバーフローがやってきたようです。
新しいことが記憶出来なくなっているのです。
記憶の壺の奥深く納まっている塵のような事柄が、
ふつふつと湧き出してくるのです。
長い間、次から次に詰め込まれた良からぬ記憶と化学反応を起こし、
エッセンスだけになり、きれいな記憶になって現れてきます。
そんなこともあったねと。
セピア色の写真が、カラーではなく、
縁どりだけの記憶になっていくのです。
勝手な想像の人物に置き換わっているのです。
きれいな記憶にすり替えているのです。
こんなことをやってしまうのです。
そのうち、やることがないからこのままの格好でいようかな。
となるのでしょう。
宣言をしたからには、約束を守らなければなりません。
残った酒を、お湯で薄めながらふらふらと一日が始まりました。
2015年3月26日