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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

一勝一敗

2015-01-16 03:51:42 | プロジェクトエンジニアー
  石採集

皆さんの勝率はどのくらいでしょう。
自らの人生の勝率です。

勝ち組ですか、それとも負け組ですか。

若い現場監督や職人と話すことがあります。
彼らは、少しいじけていたり、強がっていたりします。
事務所に座っている同僚(設計者、営業)がちょっぴり羨ましいのです。
彼らは、女性との出会いも多く、車も持ち週末のデートを楽しんでいるのに、
自分は今日も暑い寒い現場です。

現場の仕事は、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)です。
ベテラン職人からはこづかれ、施主からは無理難題を押し付けられやってられないのです。
めぐりあわせを嘆いたりしています。

貴方たちは、金持ちになりたいか、偉くなりたいかと聞きます。
ほとんどの若者が、目を輝かせ、「そうなりたい、今の生活から抜け出したい」と答えます。

そうかな。と私が投げかけると、
そうでしょ。と納得がいかない顔です。

金持ちは、車に乗って美味しものを腹いっぱい食べて、女にも不自由しない。
だけど、運動不足で早くから糖尿になり、女ともできなくなって、早死にするかもしれないよ。
それに引き換え、お前たちは車にも乗れないから歩くしかない、貧しいから旨いものも食えない。
だけど、馬鹿ばっかり言ってるからいつも笑って元気だね。太ることもできないから病気にもならない。

人生二勝ゼロ敗はないんだよ。一勝一敗なんだよと言いますと、若者達は妙に納得顔になりました。
経験したことのない優雅な生活が、こともなく崩れていくようでした。

私も夢中で現場を這いずり回っていました。
自分のプロジェクトが、可愛くて仕方がなかったのです。
台風が来ると、夜でも事務所から車を飛ばして現場に駆けつけました。
残っている心配顔の若者達が、一様に安心した顔をしました。
一緒に現場を回り、点検をし予防をしました。

自分には、これしかない。
と思うまで時間がかかるのです。

前にも言ったかな。
説教話にならないように、いっしょに馬鹿を言っています。
私は、答えが落ちている現場が好きです。

2015年1月16日
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表現の自由

2015-01-15 06:42:31 | プロジェクトエンジニアー
  空を飛ぶがごとく

防寒対策をばっちりしました。
そして今日も書き始めます。

1月12日放送のNHK番組「プロフェッショナル」で、マツダのエンジン開発に貢献した
人見光夫さんを取り上げていました。
「振り切る先に、未来がある-自動車エンジン開発」がタイトルでした。
妥協を許さない挑戦こそ、この人の真骨頂です。

社長さんの一言が、印象に残りました。
「彼は、経営陣と話す時も同じ姿勢です。彼の大きな貢献は、ここまで言っても良いのだ。」と
会社の人に思わせたことだと思います。
会議に出席して、報告だけ求める上司と上司からの指示を待ち続ける部下の構図が目に付きます。
これは、会議ではありません。上司が、一人ずつ聞いて回れば、会議で皆が浪費する時間の
1/10ので済みます。
イエスマン(自分のコピー)を作ることが、技術伝承と思われている経営者(成功者)が
多いように思います。
そんな会社は、センチュリーカンパニーにはなれないし、社会貢献もできないのです。
ソニー、パナソニック、ダイエー、シャープと枚挙に限りがありません。
会議は、技術伝承とは次の世代の方に考える機会を作り、その腹積もりの精神を受け継ぐことなのです。

下の者は、自由に言いたいことを言わなければならない。
上の者は、そんな雰囲気や環境(社会)を作らなければならない。
やはりNHKの朝番組、「ごちそうさん」で主人公が言っていました。

こうして、毎日文章を書いていると、日記のような表現では限界があると感じました。
私が表現したいことは、自分の世界では限界があると感じたのです。
これが、小説になると第三者である主人公に自由にものを言わせ、行動をさせることができます。
私ではない第三者で表現することで、私の考えを自由に表現できるのです。
昔から、表現の自由を束縛される事件、事象が世界中で発生しました。
言論の自由を奪われることで、文化や文明はそこで一休みとなり、窮屈さを感じます。
こんなことを考えていて、人見さんのことが気にかかりました。

私は、妻となんでも話せます。
これはとてもありがたいことです。
会社のことも友人のことも、やりたいことしたくないこと、
感じたことを自由に表現できます。
会話がない夫婦のことを、家庭内別居などと取り上げられることがあります。

私はここまで言っても良いのだと思わせてくれる妻に感謝します。
そうあるためには、これで良しのリミットは取り外した方が良いのです。
今日良くても、明日は普通になり、さらに高みがあるのです。
結婚するとき、「好きだ。」と言ったではないかは通じないのです。

人見さんの一言が聞こえてきそうです。

これで満足してはいけない。さらに高い目標を掲げて、挑戦し続けるのです。

2015年1月15日
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Nさんのこと

2015-01-14 07:10:15 | 思い出話
 背中に彼女をしょって

新横浜プリンスホテルに、成田から到着した外人のエキスパートを迎えに行きました。

探している者もどうやら私一人、人待ち顔の男も独り。
彼は、貴方の探している人は、私ですよと笑顔でサインを送りました。

私は、その人に声をかけにくかったのです。
半そでシャツの二の腕から、くりからもんもんが見えたのです。
こいつじゃないよな。笑った舌にはピアスが通してありました。

N(親しみを込めてこう呼びます)は,酒を飲みませんでした。
腕の良い日本人の同僚とそりが合いませんでした。
私も、ビールの担当になったばかりで様子が解りませんでした。
ミッションは、ビール用麦芽の粉砕機をスタートアップすることでした。

日本人の同僚は、1年後に、16年間勤めた会社を去りました。
Nは最愛の奥さんと別れたばかりでした。三者三様の事情を抱えていたのでした。
後から分かったことでした。

だらだら進むスタートアップの合間に、他のビール工場の機械を点検に行きました。
実に手際よく、点検していきました。
ありゃりゃ、殻と粉に分ける粉砕麦芽のシーブボックスにクラックが見つかりました。
近い将来、運転不能になる重故障でした。

さっそく、会議が持たれました。昼食返上で工場長も出てこられました。
「お前たちは、この事実を知っていて来たんだろう。こりゃ、リコールだ。」と
風向きはアゲインストでした。
「試しに聞くが、これまでこんなことは同じ機種であったのか。」の質問に、
しばし黙考し、
「20年間、この会社に入って世界中で機械を立ち上げて来たが、このようなことは2例目です。」と
彼は答えました。おきの毒ですというジェスチャーも交えていました。
出来た外人は、「今まであったことがない。」と決して言わないのです。
あろうが、なかろうが2回目だと答えます。
相手をリスペクトしている結果そうなるのです。
結局、この会社のエンジニアリング部長と交渉すること1年。
わが社に非が無いことを解っていただきました。

その日、二人で酒場に出かけていきました。
Nは躊躇なく、美味しそうにビールを飲み始めました。
背中の彼女も見せてくれました。別れた事情も。
荒れたそうです。年間、10ケ月の海外出張です。孤閨を守るのも大変です。

くすんだ色合いのそれは、正直今一つでした。
店の親父が、「なんじゃそれは、大したことはないのう。」と
「日本のが、よっぽど良かばい。」
こちらも、板子一枚、落ちれば地獄の海を生きて来た、今は気の優しい譲二さん。
その年、二度目の来日の時、Nは残っていた二の腕に日本のカラフルなもんもんを入れました。

「今日も、しょんべんをかけておいた。」と私に報告しました。
日本人の同僚と古い機械の点検に行ってきたのでした。
私の営業成績が上がるよう、彼は努力してくれるのでした。
続きは、今度にします。

今日も頑張って、働いてきます。

2015年1月14日
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七つの弁当

2015-01-13 07:04:04 | よもやま話

だんだんと、おかずの味が複雑になっていきます。
深みが、いや雑味が増していきます。

料理は味付けがすべてです。
美味しくできた炒め物が残ったら、次の料理の味付けに使います。
昨夜の野菜炒めは、朝の野菜炒めの味付けに変わります。
そうして、代々受け継がれる私の味付けです。

くさやのつけ汁、秘伝の焼き鳥のたれのごとくです。

妻が帰郷したので、ごはんは3食自前です。
余った朝ごはんを弁当に詰めて出かけます。
さすがに、三日にして終わりました。

友人の弁当は、ある一品をのぞいていつも同じおかずが二品入りました。
シンガポールでのこと。
食べ盛りの息子二人と自分用に、ドカ弁のごはんの上に野菜炒めがどかんと乗り
トマトと缶詰の魚(キャベツであったり)にマヨネーズをかけておしまい。
ごはんの上におかずを乗せて食べるシンガポール風です。
毎日変わるのは、一品のメインだけ。
食べたことはありませんが、正直食べたくないと内心思いました。
毎日、息子たちは完食だったそうです。
彼はこれを7年間続けたから偉い。耐えた息子たちも偉い。

さに言う私も二年間、かみさんに替わり毎日7つの弁当をこさえていました。
私のレパートリーは11メニューのみ、卵焼きを除いてこれらの中から3つだけ選択しました。
全部で4品のおかずでした。11メニューを回すことで結構頑張れました。
四時起き、一升の飯炊きから始まり、七つの弁当を包み終わって完成するのは六時頃でした。
ダイエットに興味がある娘たち3人は、申し訳程度のご飯の量でした。
弁当のふたを堂々と開けられるよう、彩りを添え詰め方に気を使いました。
どうにも困った時には、デパ地下に行き半額になったトンカツを買ってきました。
朝方、チンして詰めました。
「お父さん、今日の弁当美味しかった。」
複雑な気持ちでしたが、内緒にしておきました。企業秘密です。

妻が帰郷中のわずかな時間の奮闘です。

2015年1月13日
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来る者は拒まず、去る者は追わず(Part2)

2015-01-12 08:38:55 | 思い出話
 また、朝が来た

来者勿拒、去者勿追(公羊伝、隠公二年より)

Welcome the coming, speed the parting guest(ホメロス、オデェッセイアより)

若い時は、去る者を未練たらしく追いかけました。
想いを絶つために、わざと意地悪をして嫌われるような姑息なことをしました。

一秒の想いが、一生続くと思ったものです。
何でもありませんでした。縁がなかったのです。
ただ、それだけのことです。
桂米丸師匠が良く使うフレーズです。

''Welcome''がキーワードです。
(意見、機会など)を喜んで受け入れると広辞苑に出ていました。
洋の東西を問わず、歓迎されて嬉しくない人がいましょうや。
何も構えなくて良いのです。

''Speed''が次なるキーワードです。すみやかに帰らせるのです。
人には、事情と訳があるのです。
縁がなかったというより、快く送り出すという意味合いがあるように思います。
こちらも他意はありません。

私達の生活は、「こんにちは赤ちゃん」と生まれてきて、
「さようなら爺」と去っていくのです。
夜が開ける時、今日も無事に朝を迎えられたと感謝するのです。
まだ生きていていいんだよと言ってくれているようです。
人には言えないような馬鹿なことをし、醜い感情に囚われてきました。
それでも、「こんにちは」と迎えてくれる人がいます。

やれることを、やれる時に少しずつ挑戦します。
それには、朝ごはんを作って食べなきゃっと。

2015年1月12日
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