故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

友達の輪

2015-01-10 05:58:15 | よもやま話

私は、会社を5回変わりました。

かみさんが、美術館もないところは嫌だと言いました。
札幌から、広島の小都市に越して来た時、
夕日に照らされる畦道を通りながら涙さえ浮かべていました。

4年後念願かなって、東京に引っ越してもかみさんは美術館に長いこと行きませんでした。
長い出張から帰った私は、武者振りついてくる幼子にお馬さんごっこをしてやり、
かみさんを組み敷いていました。
背中では、子供がきゃっきゃと喜んでいました。下では、どうだったでしょうか。
断りもなく、次から次にこさえおってとかみさんに怒られました。
これがすべてです。かみさんは、美術館に行けなかったのです。

子供が寝ている間に働くことはできないかと、見つけて来たのが新聞配達でした。
私は、かみさんを手伝いました。いや、使われました。二人で配ると半分の1時間で済みました。
団地でのこと、ドアポストに新聞を差し込んだら新聞が吸い込まれるように消えたことがありました。

子どもの誕生に合わせて、転職を繰り返しました。

ある日の夕方、先輩が経営する川崎の工場を訪ねて、川崎駅まで送ってもらいました。
自分で作った握り飯を忙しくて食えなかったから、
お前も食えと大きな握り飯をくれました。腹が減っていたので二つもいただきました。
食った後でした。これから寿司屋に行くかと言われました。
ええっ、早く言ってよ。

先輩から蒲田のあの寿司屋に飲みに来いと電話がかかってきました。
その寿司屋に待っていたのは、先輩の他に、私と同郷の方でした。
先輩の仕事仲間でした。
広島弁丸出しのYさんは、故郷を出てからすでに30年を経過していました。
この方の奥さんも同郷だからでしょうか。
広島弁で大きな声で話されて、好きなだけ飲まれて、食われてあっさりと帰って行かれました。
その後も、数回飲みました。いつも1時間で帰られました。ほいじゃと。

広島にある会社から電話がありました。
中学の同級生からでした。お前、Yさんと飲んだろうがい、今度東京へ出張するから会おうやでした。
この男、僧侶の息子でありながら無免許でカブに乗り、
隣の町までプレイボーイを買いに行き、つかまったやつでした。
それが、今ではYさんの上司で会社の役員でしたから驚きました。

一緒に飲みたい方がたくさんいます。
私は、会社を変わるごとに友人が、いや飲み友達が増えました。
ええい面倒くさいと、先輩と友人と仕事仲間とみんな一緒にセットしました。
私が行く飲み屋は、腹いっぱい飲んで食って、頭割りで、いつも3,000円以下の店です。
初めて飲む人たちですが、これが意外と良いのです。話の輪が広がります。
会社の愚痴を言っても意味がないのです。お互い知らないのですから。
共通項は、すべての人が技術屋さんです。

私は、初めての店でも机や座敷より、カウンターを選びます。
隣通し座った初めての人と言葉を交わします。
次に行った時は、すでに旧知の仲です。

先輩から教えていただいた友達の輪でした。

2015年1月10日
コメント
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