私の大事な大切な時間に闖入者がいます。
朝の数時間は、私にとって至福の時間です。
一人もの思いに更ける。
コーヒーを淹れ、朝ごはんを仕掛ける。
これは、妻へのほんのささやかな感謝の気持ちです。
これが終わると、さあ自分の時間です。
ところが、おびただしい数の虫がコンピューター画面に飛来してきます。
つぶしてもその数は減ることはありません。
そして、もう一人の闖入者、妻が私の前でコンピューターをセットしています。
新しく購入したコンピューターの初期設定を楽し気にやっています。
同じ時間に寝て、今までは朝まで寝てくれていたのが、今や同じように起きだす始末です。
時々話しかけられて、思考はしばし中断します。
畑には、てんとう虫(20星)が毎日やって来ます。
今のてんとう虫は、2匹で一緒にいるとか。妻が毎日えいやと殺戮を繰り返しています。
大事な野菜の葉っぱが好物のてんとう虫です。
闖入者であろうとも、大事な時間です。
二人しかいない家族です。
今話さないと、小さな家族にすれ違いが起こります。
合間を縫って、今日のテーマは、「プロジェクトを考える」です。
プロジェクトとは、「企画、設計、研究開発、開発事業」と広辞苑に出ていました。
私が関わってきたプロジェクトは、「工場建設などのものづくり」でした。
本来の意味とは、少し違うように思われます。
プロジェクトを遂行する時、情報収集で大いに苦労します。
自分の目で見たもの、自分の耳で聴いたものが続々と蓄積されて行きます。
その情報には、尾ひれのように自分の判断が付随していきます。
情報のカードが何枚貯まれば良いというものでもなく、膨大な量の情報を整理します。
私がやることは、漠然と蓄積された情報そのものに重みづけをしていきます。
ストーリーを着けていきます。肉付けをします。裏付けをとります。
情報は、常に新鮮です。よって、毎日ストーリーが変化していきます。
揺れ動きます。
私は、五月雨のような情報の一粒から「これだ」というものをピックアップしていきます。
この情報の重みづけが、これからのプロジェクトの行く末を決めます。
シナリオ作りは、苦しい。
気になることを書き止めます。つなぎ合わせます。取捨選択します。
骨格ができあがるまでに一か月が過ぎてしまいます。
ほおばり過ぎた情報を糧にするまでは、消化機能が健康でなければなりません。
この時期は、ほとんど自分の感性で進行します。
何でもプロジェクトの時代です。
プロジェクトは人々をひき付ける「キーワード」になっています。
試しにやっているこのわくわく感に騙されます。
これもプロジェクトかよと思われるタイトルに時々困惑します。
プロジェクトは企画倒れとなりやすい。
それは、枠をはめるからです。柔軟性が途切れるからです。
こんなはずじゃなかったと反省します。
自分たちだけのプロジェクトから、公共性がある仕事へと移行していることに気付かない。
シナリオ作りが甘い。
想像力が足りない。
スケジュールに無理がある。
常にコンセプトが問われます。
問題が起こる度に修正します。
コンセプトはずたずたになっていきます。
ここにきて、試されるのです。
お前は、それだけの男かと。
つまり、広がりのあるコンセプトでなければならない。
ほわっとした包み込むようなメッセージ性のあるコンセプトは、色あせない。
もう一つ大事なことは、手を動かし汗をかくことです。
行き当たる障害の程度が解ります。引っ張ることで根の深さが解ります。
疲れることで、足りないものに気づきます。
そうです。大いに足りないのです。
自分の範囲でしか考えていないことに気づきます。
強い棋士は、いろんなことに興味を持っています。
将棋のことを考えるだけでは、発想が広がらない。
音楽、経済やスポーツに関心を持つ。
ヒントがあります。考え方のアプローチのヒントがあります。
これが、いつしか自分の身体に取り込まれ刺激となります。
今まで働いてなかった脳の一部を目覚めさせ動員されます。
勉強だけができる人は、利用されるだけです。
良い給料はいただけます。しかし爆発することはありません。
燃焼はいつも制御されているからです。
プロジェクトの中心にいる人は、人間的な魅力がある。
雲のようにつかみどころがなく広がりがある。
ついていこうと皆が思えるほどの人格者である。
それが何なのか、突き止めた人である。
いつでも自分なりの答えを持っている人である。
人を育てる度量がある。
会った人を虜にする方がリーダーです。
サポートする人は、冷徹でなければなりません。
この組み合わせが、プロジェクトには必須です。
今も、もやもやと情報集めをしています。
進むべき方向性が決まりません。
きっと、引っ張っていこうとしているからだと思います。
引っ張られるようにしながら、かじ取りをするくらいで良いのでしょう。
力を集めるかじ取りがしたい。
黒子に徹することです。
人々が望んでいたものは、こうであったと。
昔からこうであったと。
麺うちは 粉に水入れ 水で揉む
2016年5月8日