高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

街中のフィールドワーク

2009-11-21 12:45:42 | 日記

今日から3日間は、足元である黒松内についての学習会です。自然学校のスタッフ5人が対象です。私達の黒松内での主な行動圏は、農村地域である作開、中ノ川、白井川地区です。こちらでは何度となくフィールドワークをして来ましたが、今回は市街地で行います。

市街地に住む人たちは、「黒松内は勤め人が多い町です」と紹介することをよく耳にします。私達は、ふだん農村地帯に住んでいるので、違和感を覚えるのですが、黒松内は古くは製材も盛ん、鉄道の大きな機関区でもあり、国の出先もありました。また、つくし園という大きな社会福祉法人が現在、いくつもの福祉施設を現在経営してます。

人口3200人のうち、第三次産業についている人が圧倒的に多い小さな町なのです。ところが、私達は市街地のことをあまり知らないで今日まで来ているので、改めて町のことを違う角度から学習しようという試みです。

ゲストにMKGYを、今日のフィールドワークには、町の重鎮である前町長と町の歴史の生き字引のようなYOさんをお招きしました。吹雪にもなる寒い日でしたが、マナベール(図書館)で顔合わせと、地域フィールドワークの意義の確認、今回の目標設定まずしました。

その後、1時間半ほど市街地のメーンストリートを一緒に歩き、借りた会館に場所を移して、昭和30年代の商店街の様子を地図の上に落としながら、いろいろとお話を聞きました。

 劇場のこと、その火災、市街地を流れる寺の沢川が朱太川の本流であったこと、谷地もあった、飲み屋のこと、木工や製材所、下駄屋、鍛冶屋、豆腐屋、馬産地として馬の取引が行われていたこと、寿都鉄道、人力による鉄道除雪、黒松内発祥の石碑のこと・・・興味深い話をお聞きしました。

明日は、長年運送業を営んだお年寄り、旅館を経営していた方、商店主の方々からもお話を聞きます。


写真は、黒松内発祥の地を示す石碑です。市街地の南側、緑橋のたもとにありました。 知らなかった・・・。
コメント
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