高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

小林薫信さんの追悼フォーラム

2022-03-22 11:08:45 | いろいろシゴト

2022.3.20は、NPO活動の師、小林薫信さんの追悼フォーラムであった。 追悼は思いで話だけなく、小林さんの功績を偲んで「NPO・ほんものの協働を考える」というようなフォーラムもしようと、二部構成とした。 一部では私も登壇させて頂き御話をさせていただいた。 二部では会場からのひとことスピーチもした。コロナ禍ではあるが、リアル対面式の会場にはさまざまな活動分野の多数の方々が参加された。そのおひとりおひとりが、百人百様に思い出と感謝を述べられていて、今更ながらに小林さんの偉業を知ることができた。 私の追悼要旨は、せっかくなのでブログに残しておこう・・。以下・・・

***

  • チャンバラ剣志な小林さんに学んだ私・・。

 

ご紹介を頂きました、黒松内町にて廃校舎を利用して自然学校なる子ども向けの自然体験活動や大人向けの自然ツアーや研修活動をしている 黒松内ぶなの森自然学校の高木と申します。 5年ほど前までNPO法人ねおすを経営して、体験活動をする拠点づくりや関わる人材育成をやっていましたが、北海道各地に拠点ができて、それぞれの地域課題に向き合うことも多くなり、全体として統率していても経営リスクマネージメントがままならないので、5箇所をそれぞれ独立させてNPOねおすは解散して、私自身は現在、黒松内の自然学校の責任者をしております。というものの、実質的な経営権は次世代に委譲しているので、ここのところは半隠居状態でありますが・・、

 

1990年頃かな、子どもの自然体験活動と大人向けの登山・ネイチャーツアーを実施する任意団体北海道自然体験学校NEOSを立ちあげて活動を始めました。当時、阪神淡路大震災があり、その支援活動にさまざまな民間支援団体が被災地に入り活躍したのをひとつの大きな契機となりNPO法人に関わる法律が成立したという歴史だったと思います。

当時のNEOSはとある企業活動の一部門として存在していて、会社の都合もあり被災者支援には直接参画できませんでした。同時期に環境系映画「ガイアシンフォニー、地球交響曲」というドキュメント映画があって、その自主上映活動をしていましたので、その売り上げを自然体験活動の仲間たちが被災地で活動している拠点へ寄付しました。 一方で、NPO法人の法制化を目指す、北海道NPO推進会議が立ち上がりました。 当時、私は私自身の活動がNPO活動だとは思っていなかったのですが、その活動を見ていらっしゃったと思うのでうが、シアターキノの中島さんからお声がけがあり、その推進会議のミーティングに参加しました。

 

北12条あたりかな、炭労会館というのがあってその一室でした。 部屋に入ると、ちょっと暗いなかで10人くらいの人たちの視線がいっせいに刺さりました。ちょっとひよってしまって、「あっ、アタシが来るべきところではなかったぁ!失敗したぁ」と、正直思いました。

 その奥の方から、ちょっといかつい私より先輩と思われるおじさんが「あっ、キタキタ、高木さんでしょ、ここに座んなさい」とお声をかけてくださったのが、小林さんでした。

 

 それから会議にも参画し、NPOとはなんたるものかを小林さんや佐藤さん等諸先輩から学習して,あたしの活動もNPOなのだと確認、自己認識してゆき、法人制度が出来申請が始まった、初日に小林さんの提案で、サポセンと富良野演劇工房とねおすの三者で記者会見まで設定して全国でも一番早くNPO法人申請をしたのでした。

 

法人格を得たあとも、当時は若かったNPO経営者として、いろいろと事件・壁がありました。著作権侵害や食中毒騒動で訴えられそうになった時、「銀行で金が借りられず年が越せないNPO」と新聞ニュースになった時、年度末の理事の伸長規定が定款になくて、法人格取り消しになりそうだった時などなど、その時々に的確なアドバイスを頂きながら NPOねおすは生き延びられました。 ほんとうに感謝しています。

 

今日のフォーラムは「協働」を考えることがひとつのテーマだと思うのですが、協働は単に仲良く仕事をすることではないと思います。時にはパートナーとなる行政や他団体と激しく論議する必要があると思います。アイヌ語では「ちゃらんけ」、和人としては、「チャランバラ」をすることも大切です。 相手を致命傷になるほどに傷つけないが真剣に渡り合うことです。 この言葉を私もよく使って実際にしていましたが、チャンバラなる言葉と対処も小林さんから知ったのかもしれない・・。

 

私の世代は、いわゆる学生が中心となった社会闘争の弟世代です。私は千葉の出身で高校には過激な闘士がいると言われていた高校でした。入学当時は2年先輩には竹槍や火炎瓶をもって「成田空港建設反対の成田闘争」にでかけている先輩が大勢いました。私は山岳部だったのですが、その文化祭の展示テーマが「成田闘争」で、文化祭の時には部室には、野営をしたテントやらを展示しました。お兄ちゃん世代は、大学を封鎖し「新宿騒乱」なんて語り継がれる暴力デモなんかで、社会変革を目指して、ほんとうに若い命を落とす人もいた時代でした。 そのおかげで、それがひと段落した私ら弟格は、学生が集まらいように、高校の卒業式も大学の入学式も卒業式もない、管理教育の元で過ごしました。

一方のお兄ちゃん等は、社会人になると、社会改革なんて忘れてしまったように、高度成長時代をつっぱしり。あげくの果ては経済バブルを弾けさせて、失われた30年とも言われるような今の日本を作ってしまいました。

 

その中にあって、小林さんは同じく私のお兄ちゃん世代にも関わらずに、ずっーと、社会変革を目指して、真の市民社会の実現に向けて、もちろん暴力なしで邁進した方でした。

尊敬する兄貴格でありました。

 

ちょっといかつい感じもある兄貴でしたが、「人と人、組織と組織を紡ぎ」続けた人だと痛感、感謝します。

 

今、私はNPOは、それぞれの活動が自分の足元だけの蛸壺化していないか、もっと原点に帰って、「ヒトの幸せとは何か」といったそもそも論をすべきだと思っています。小林さんのように「死ぬまで」行動・活動はできないですが、今改めて、自分が何ができるかを考えるフォーラムと偲ぶ会になることを願っています。

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聞き取り

2021-12-06 15:57:31 | いろいろシゴト

地域の古老から聞き取り、聞き書きをして、文章づくりは仕事としてやりましたが、反対に聞き取りを受けています。全体3回で2時間ずつ位で、私のこれまでの人生についてのインタビューを受けていて、今日はその二回目でした。

自然体験活動の普及実践を仕事として30年程続けてきました。実は1990年前後には、自然学校を始めた同世代の連中が多くいます。いわば黎明期、しかし、オレラも70歳に近づいて来て、現場は後進に譲り、今風に言えば、レジェンドなどと名付けられて、神棚に上げられてしまいそうな仏壇入り前のロートルとなりました。

そこで、というか・・、その連中の人生を少しは記録に残しておこうやというプロジェクトが立ち上がって、自然学校の老舗の国際自然学校NOTSの両Sさんが、その時代の連中からの聞き取りを始めています。光栄にも、その対象者のひとりとなって、全3回で2時間ほどずつ、私の子ども時代から今までの人生について聞き取りを受けていて、今日はその2回目でした。

なぜにこのような仕事を始めたのか、その原点的なエポックを探しつつ、おふたりから質問をZoom で受けています。 最初は気恥ずかしくもあったのですが、自分の振り返りともなり、なかなか楽しくインタビューを受けています。

自然に興味をもったきっかけ、影響を与えた人物やできごとを思い出させてもくれて、自分事ながら、「あーそうだったんだぁ!」と、気づかされることも多々あります。

幼児期にたんぼでミズカマキリを捕まえた感動。

始めてだったと思われる鞍馬山でのハイキングのうっそうとした森の思い出、あれは父親とふたりで行ったような気もする・・・

始めてのキャンプは大阪能勢の山中だったと思うが、その時に連れて言ってくれた西村さんという大学生がいた・・、名前は憶えていて、いろいろな思いで出来事があったのだが、彼から相当の影響を受けたが・・・、あれはいったい誰だったんだろうか・・

高校山岳部時代は、北アルプスにゆかずに、関東東北の県境歩きにこだわっていた。

なぜに北海道に移住したのか・・、それは高校生(中学?)時代に放映されていた青春ドラマ「太陽野郎」に感化されたのを思い出した。夏木陽介主演、主題歌はいまだに歌える。

ネパールのトレッキングでみた山奥の住民の貧しくともキラキラとした目。世の中にこんなにもデカいものあるのかと知ったヒマラヤの山々やチベット高原の雄大な広さ・・

商社マン時代の北欧で知った北国の人々の豊かな暮らしと優しさ・・・

などなど。。 自然体験活動を仕事として続けてきた理由、原点を顧みる良い機会となっている。

このインタビューは、他数人にもして、冊子としてカタチにすることになっています。

(写真は、zoom 退出してから撮っただけのもの・・・)

 

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観光地域づくりフォーラム

2019-12-02 11:34:26 | いろいろシゴト

11月29日から長野県茅野で開催された日本エコツーリズムセンター(JES)と長野県観光振興機構と共催のフォーラムの長野大会に参加するために前日に東京in. 立川で盟友・樋口和生さんとの飲み会を広げて東京懇親会。 エココミュニケーションセンターの師匠・森良さんをはじめファンシー@日中市民ネットワーク、明大山岳部コーチで北海道移住を予定しているT氏、極地研究所の副所長の高校の同期生M氏、樋口さんの娘さん、黒松内の長期村の参加者だったNTMさん、うちのチコちゃんやら集まりの異業種・異世代交流会となり、楽しい晩となりました。

翌朝は、特急あずさ号にて信州へ移動。蓼科高原の車山の開催地へ。

観光地域づくり・・、エコツーリズムセンターは、日本各地の地域で現場活動をしている人達・団体のネットワークで、エコツーリズムという共通概念で集まっているネットワークですが、観光業いわく、ディスティネーションづくり、観光の着地開発ではなくて、観光をキーワードにした地域づくり・持続可能な観光(Sustanable tourism)が信条です。

日本の観光地は、これまでの観光一本やりから発想を広げた 地域全体の社会教育や社会福祉まで視野に入れた、今やDMO(Destination Management Organization)づくりばやりですが、なかなかその概念が浸透しないで、既存観光協会の強化みたいな地域が多いなかにあって、長野県には、DMOたるDMOが多数勃興してる感じをうけました。 10年くらい前に九州に行く機会が毎年のようにあり、九州のエコツーリズムは、すでに観光地域づくりへの展開がされていて、もはや北海道は周回遅れになってしまったなあと感じたものでしたが、長野県もすでに広域連携の段階に入っており、ここからも周回遅れ・・・、九州の仕掛け人だった坂元さんも来ていて、整理された総括的な話をひさしぶりに拝聴、九州は2周先にいってしまったかもなあと思ったのでした。

SDGsの概念はだいぶんと社会に広まってきて、その具体的な取り組みも行われるようになってきたが・・、観光地開発においてもまさにこのSDGsは目指すべきGoal群なのですが、北海道はもともと自然観光資源がそこらじゅうにあるためなのか、従来の観光概念から進展がない・・・。

次年度の大会は、釜石にほぼ決まり・・・。 その次は京都美山か・・・、北海道の名乗りはでてこない・・・。 目の黒いうちにはもうちょっと頑張るかぁ・・と、刺激を頂いた3日間でした。

もう令和元年も12月・・・。 年末にかけてちったあ、未来のことを考えるかあ・・、足元の持続可能性がぐらついていることだしな!!

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シャクシャイン

2019-09-09 17:09:14 | いろいろシゴト

9月8日

豊浦町、黒松内町、長万部町は太平洋側に面している(黒松内町は行政境界上では海がない)三町で「はしっこ同盟」なることをしています。(詳しくは何をしているか知らないのですけど)その事業の一環として、豊浦漁港から長万部の静狩漁港に観光船を走らせないかとのモデル事業がありました。くしくもアイヌの英雄・シャクシャインの生誕350周年だそうで、その最大の戦闘が長万部の国縫でありました。シャクシャインは和人の松前から和睦の申し出を受けたもののその協議・宴会の席で暗殺されてしまうという結末なのですが・・、 アイヌ戦士は全道から集まりました。しかし、豊浦と静狩の間の海岸は断崖絶壁が続くため、この間は、丸木舟で移動されたと推測されます。そのような推測もあっての船プログラム化なのですが・・。

私の役割は黒松内低地帯の自然みたいな部分を15分ほどガイドしました。目の前にブナの木があるわけでないし、対象者は静狩小の子どもたち10人ほどで、守備圏外もあり、なんだかこなれたガイドはできなくて反省・・・。

ですが、礼文華では今もアイヌの血筋の人も多く、カムイノミも毎年行われていることを知れたのは収穫でしたし、過日は、アイヌ協会の副理事長さんと台湾の旅をしたことだし、これを機会に、少しはシャクシャインのことを深めようと思ったのでした。

いつもは、秘境の駅、小幌から山を降りて到達する小幌海岸を沖合から眺めるのは、私としては興味深かった。 夏であれば、船からダイビングして、岸まで泳ぐのもいいかもね。

           

 

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黒松内町地域づくり振興協議会総会

2019-06-07 14:48:07 | いろいろシゴト

各種団体の総会が続いています。 黒松内町の各地域(元小学校があった学区程度の広さ)の地域づくり振興会の上部組織の総会。各地区の活動報告と町からの補助金の配分を承認するシャンシャン総会・・。

 

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水道組合役員会

2019-02-24 13:39:25 | いろいろシゴト

私たちの住んでいる黒松内町作開(さっかい)地区の上水道は、地域住民による水道組合で運営をしています。 山からの水を浄水場に引き入れて、その浄水場の管理、水道料の徴収も行い運営が行われています。 私は水道組合の役員に引き入れてもらっているのです(監査・・なのに全貌をわかっていない・・)が、その役員会がありました。

自然学校でも浄水場のろ過槽の砂かえなどのお手伝いをすることもあるのですが、その管理運営の全貌までは把握しているわけではありません。 わからないこともあり質問をしたところ、いろいろと組合長が答えてくれて、役員会は2時間におよびました。

2年続けて西アフリカから来たJICAの研修生を案内したことがありました。地域の人も来てくれて地域の上水道事業を話してもらったこともありましたが、コーディネイトした私が管理運営の大変さを知らないままだったなあ・・・浄水の仕組みを改めて聞きました。知っているようで知らないことばかりでした。

水質管理や浄化槽のメンテナンスはもとより、山からの取水なので、取水から浄化槽までの配管の管理、季節や積雪、降雨による配管のメンテナンス、漏水など、その仕事の範囲はかなりなものです。浄化場の異常を伝える警報は組合長の自宅に伝えられ、それも夜間や明け方が多いとのこと、その度に出動されるご苦労話し・・(吹雪の夜にスノーモービルででかけて、慣れた土地勘もあるのに、迷ってしまうこともある) 毎日、当たり前においしく安全な水を使っているのですが、その裏方管理のたいへんさを改めて知った次第です。 代々地域で受け継がれてきた重要な役割であって、組合長は私より年長者です。なので、目下、次世代の地域の若手HHさんへ仕事内容を伝承中とのことでした・・・。

知らないというのは、罪だなあ・・と、感じた次第です。

ありがとうございます。

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町内観光まちづくり交流会

2018-12-20 13:11:18 | いろいろシゴト

黒松内の観光・交流事業に関わる人たちのネットワークをあらためて作ろうと黒松内観光協会の呼び掛けで交流会が開催されました。 いろいろと受け入れ事業や主催事業をしている人たち・団体はいるけれど、どうも連携がとれていない黒松内です。これを機会に連携ができてゆけるだろうか・・。 と第三者的でなくて、もっと主体的にかかわらなければね。

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自然体験活動推進協議会 東京フォーラム

2018-06-25 15:14:23 | いろいろシゴト

6月23-24日

NPO自然体験活動推進協議会、通称CONEの全国大会in東京にちこと参加。

CONE全国キャラバンフォーラムのキックオフです。本年度中に全国各地でCONEフォーラムが開催される予定で、北海道は来年2月16-17日、国立大雪青少年の家(美瑛)が会場となります。私はその実行委員長を仰せつかっております。昨年度は準備が出遅れてしまったので、今年はすでに第1回目の実行委員会を開催して、日程だけは決めました。

全体の基調テーマは、「自然体験活動は次世代へ」 これは3年間実施の共通スローガンでもあります。そのうえでの本年度のテーマは、「自然体験活動の社会的価値」 CONEは18年前に全国で指導者養成をしている大はボーイスカウト、ガールスカウト、キャンプ協会、小は私達 旧ねおすなど全国各地の自然学校が集まり、文部科学省がバックアップしてくれて立ち上がりました。 指導者養成も野外活動指導者養成をアクティビィティ、プログラムデザイン、リスクマネージメントやファシリテーションなどについて2泊3日という研修会を全国で展開したことがあり、講師陣チームも50人を越えるという勢いがあった時期もありました。 CONEリーダーも増え、さらに学校教育と連携するということでNEAL指導者養成も文科省の後押しで始まったのではありますが、制度の複雑性もあってか、指導者数は増えず、更新の面倒さもあるためか、更新講習の参加も下がり、全体としては勢いがなくなっているのが実態でもあります。

そこで、昨年度より三年間を目指して、フォーラムを全国行脚して、活動推進にはずみをつけようとの狙いもあります。 私たちがやってきた活動の社会的価値を自ら問い直そう、そして、未来へつないでゆこうとの思いです。東京大会は100名ほどが集まりましたが、60代は5名ほど、私は最年長の5指に入ってしまう、うえから3番目か4番目ね・・・。 20代が増え、かつての自然体験活動を長らくやってきた、おじさんおばさん世代の同窓会的雰囲気は薄れました。

        

二日目の活動で、明治神宮を歩きました。 大都会、後ろを振り向くと新宿の高層ビルが見下ろすような明治神宮の森は深山のようでした。 この大都会となる前の土地に人工的な森を100年かけて造ろうと計画し、本人たちは目にすることがなかった森、見事でありました。

 

 

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北海道NPOサポートセンター総会

2018-06-14 18:57:51 | いろいろシゴト

6月12日 北海道NPO推進会議と北海道NPOサポートセンターの総会at 札幌でした。

2018年はNPOが制定施行されてから20周年です。いろいろとありました。長いようであっと言う間も20年。 推進会議の会合にお呼ばれしたのが、21年前だったと思います。当初は市民活動法案と銘打っていましたが、「市民」という名称にレッドカードを出す保守議員の反対に合い修正が加えられて成立したという経緯がありました。そのNPO社会を推進するプロパガンダ的推進をする協議会的団体がNPO推進会議でした。この団体も今はNPOですが・・・。

私にお声がけをしてくれたのは、札幌のシアターキノの館主、中島さんでした。なぜ映画館と私がつながったか・・、地球環境映画「地球交響曲・ガイアシンフォニー」の自主上映会を主催していたのが中島さんの目にとまったのだと思います。推進会議の会合に半場興味ででかけて行ったのです。当時は、北海道自然体験学校NEOSを任意で活動を始めたばかりの頃でした。会議に集まっていた方々は、いわゆる市民活動をしている方々であり、自然環境系の人間は新参の私だけだったと思います。

しかし、そのおかげで、社会活動をさまざまな分野で始めている方々と知り合うことができました。その後の NPOねおすの活動理念に大きく影響を与えてくださることになりました。 今回の総会もそうですが、なぜか環境系の団体は分野の異なるNPOのネットワークに参画してきません・・・。 自分の分野内でのネットワークには関心が高くとも、他の社会活動団体との連帯はあまり活動範疇に入っていないようです・・・。 環境問題が広く社会課題化しないところに、環境系NPOの隠れた弱点があるような気がするなあ・・・。

NPOサポートセンターの初代理事長の前札幌市長の上田さん、二代目の生活クラブ生協を立ち上げた杉山さんを始め、事務局長役の小林さんや佐藤さんが理事引退、代わって現事務局の若手メンバー等が新任理事となるおおきな人事交代がありました。 、

私は、それを考えると、NPO創設期の傍流一世代のような存在なので、もうちょっと残って再任となりました。 総会後の懇親会も終わったあとは、立ち位置は私と似ているようなKNUさんと二人で二次会へ。私自身の現況をぼやきながらカウンセリングをしてもらいつつ、若手理事をサポートしながら、NPO業界の発展に暫し、頑張るかあと気持ちになりました。

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作開元気いちば

2018-05-27 11:14:32 | いろいろシゴト

雪が消え、今年第1回目の元気いちばを開催しました。

自然学校のある地域を作開(さっかい)といいます。 青空マーケットなのですが、事実上、地域のお年寄りの青空喫茶となっています。みなさん、楽しみにしてくださっているので、秋まで毎月1回開催をしています。 お年寄りが作った野菜やフリーマーケットも出店されることがありますが、2時間ばかり、テントのしたでお茶を飲んで過ごしています。 福祉サービスでで週に1回くらいは顔を合わせる人もいますが、恒常的に通っているわけではないので、お年寄り達は近くに住んでいても、実は顔を合わせる機会がとても少ないのです。  元気いちばは、お互いの元気をたしかめあうような場にもなっています。

 

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