高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

黒松内スローライフツアー

2016-12-31 15:12:37 | お知らせ

新春、年明けの黒松内スローライフツアーのお知らせです。 恒例の黒松内産の大豆を使ったお豆腐や味噌作りを含めた2日間ツアーです。

定員は少なめです。ぜひお早めにご予約をお願い致します。 お待ち申し上げております。

追伸

ひと足早く、ブログ画面はお正月モードに切り替えました。

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大晦日

2016-12-31 10:52:16 | 日記

あれよあれよの大晦日。気分的にはまだ12月28日あたりなのだが、本日が2016年12月31日なのだ。 1年が経つのは早いものだといつの頃から感じだしたのだろうか。この数年は反省しきりの大晦日続きた。 あっ、お昼のサイレンが鳴った。つまり、今年もあと12時間ということらしい。

年末といえば、風呂とトイレの大掃除が私のお勤めだったのだが、今朝MRKさんより、ここ2年くらいしていないじゃあないと御指摘を受けた。 足元が凍りつくような事務所のデスクから帰って、家の仕事をするかな。 この年末は実の子どもたちは帰ってこない。スタッフのほとんどは帰省したので、今夜は、連れのMRKさんとりーはんと三人で静かに紅白歌合戦でも観るかいな。

この一年の反省記を書けば、たぶん昨年とまったく同じになってしまうかな。 まあ、2016年は長年続けてきた特定非営利活動法人ねおすを解散させ、足元にNPOくろす野外計画社を立ち上げたことが大仕事で、それはよくやったと自分で褒めてやりたい。仕事の責任を明確に各所に分担分けして各所を独立させた。旧ねおすスタッフは各地で食いっぱぐれることなく、独り立ちできたことはとても嬉しいことだ。 一方、新規に足元で立ち上げたNPOくろすは、黒松内ぶなの森自然学校を運営することが目的な法人であるが、大元であったねおすがなくなったので、自分の給与も下げてもおり、ここを安定自立させることが2017年の大目標だ。小さなNPOになったとて、スタッフを養わねばならぬ。 ミッションも大事だが「稼ぐ」ことも必要だ。

気持ちのどこかに、「もう、ゆっくりと自分の身の回りでできることだけでやってゆこう」という囁きに同調したい気もあるが、それじゃあ、食ってゆかんからなあ。 RHNより、「お金を求めるアリさんみたいな経営になっている・・」という痛烈な感想があったが、確かに「お金」のことを常に考えておる・・・。 お金は「考えていなと」やってこないからな。

つらつらと社会人になったあとの人生を振り返れば、

最初の会社を辞めて不動産開発の仕事をしていた頃

その会社を辞めて自然学校をを立ち上げた頃

その自然学校をNPO化しスタッフを抱え給与支払いに頑張った頃

黒松内に移住してぶなの森自然学校を始めた頃

そして、今回で5回目の壁、試練だなあ。 かつては、泣きたくても泣けない、血のションベンが出るくらいに気張ったこともあったが、一昔のようにがむしゃらに突き進むことはできなくなったので、改めて地道に綿密な事業計画が必要だと直感している。 2017年を乗り越えれれば、それ以降もなんとかなるだろうが、黒松内ぶなの森自然学校を持続可能にしてゆくことが2017年の最大目標だな。

まあ、体を壊したら終わりなので、身体健康も含めて、頑張ろうではないか。

 

 

 

 

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そして、誰もいなくなった。

2016-12-30 16:33:43 | 日記

あれま、今日は30日。明日は大晦日かいな。 ちこ、たつみ、くまちゃんは本州へ帰省。りーはんは祖国の旧正月に合わせて帰るので、黒松内で年越しです。あ~あ、今年もおかたづけができなかった。

なんともあっという間の2016年でした。 なんと言っても今年の一大出来事は、非特定活動法人ねおすを解散させたことでした。独立した各所それぞれ順風満帆と言えるかはわかりませんが、ともかくも、皆新たな大洋に向けて船出をいたしました。 黒松内船の船長である私は、昨年の今頃、新たな船名も考えて、せっせと新航海企画をしておりましたが、老朽化しているので、新しい港にも寄れず、あまり距離をのばせなかった1年だったなあ。

来年度の荒波を乗り切るために修理修繕も必要でしょうなあ。

乗組員達は暖かい本州で家族や旧友達に出合い、英気を養い新しい1年の航海へ再乗り組みしてくれることでしょう。 

私の人生はいつも正念場なんですが、2017に予想されるほどの正念場はこれまでなかったかもなあ。 がんばろう。

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用心用心

2016-12-29 17:19:29 | 日記

今日は雪かき、孫との格闘遊びもあり、昨日の急斜面の尻セード下りが効いてきて、腰がピキピキしとります。用心用心の養生。しかし、寝てるとさぼっていると叱咤が飛ぶしなあ・・・。

ここのところのブログの閲覧の乱高下がひどい・・・。2000人台があるかと思えば、100台へ乱高下。 なんとか一定にしたいものだが、品質の均一化は難しいね・・、というよりも視点だよなあ。

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年末キャンプスタート

2016-12-27 09:16:12 | プログラム 子ども

12月26日より2泊3日のショート日程の年末子どもキャンプがスタートしています。年長さんから小6まで20名、スタッフ9名の参加者です。 昨年末は校庭の雪がないくらいの少雪でしたが、今年は20cm深の根雪になっています。 この冬は11月中旬から寒波がやってきて雪が降ったりとけたりしていました。 今日も若干のプラス気温で時折小雨状態です。 なので、今日の雪遊びは、対面の月越峠まで車であがることにしました。標高はここより400m程高いので、まだ笹原は完全に雪に埋もれてないものの、校庭のような湿雪ではありません。

4,5年前に比べて、自然体験キャンプの子どもの参加が少なくなっています。こういった活動を始めて四半世紀、25年ほどになりますが、世の中の景気にはさほど影響を受けてきませんでした。しかし、ここ2,3年は苦戦しています。不景気で家計財布の紐が引き締まっていることもあるでしょうが、それよりも・・・、

親御さんが子どもの参加に背中押しをしなくなって来ているのではないかと分析予想しています。子どもが興味をしめさなかったり、行きたくないというそぶりがあれば、特に押し出しをしないというか・・・。 親が子どもの頃にたっぷりと外遊びで転げまわっていた世代は去り、今の親御さんは、子どもの頃からコンピューター世代が増えて来ています。インベダーゲームからファミコン、TVゲーム世代ですね。今の子供からみれば、その爺さん婆さん世代が子どもに意識的に外遊び・自然体験活動をさせていなければ、自然の中で体を使い身体と感性を全開して遊んだ原体験が乏しい世代なのかもしれません。

それを考えると、子どもを自然体験活動に送り出す動機が親側に弱くなっていると思える。家族向けのプログラムを来年は力を入れたほうがいいのかなあ・・・・。

夜は室内で、野外に灯すキャンドルづくりの図。

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人材育成雑感

2016-12-26 16:29:57 | 日記

JICA(独立行政法人国際協力機構・北海道国際センターからのヒアリングを受けた。 なんでも、海外への一方方向の支援だけでなく、日本国内との還流・相互循環型の事業を地域創世と掛け合わせてできないだろうかとの調査のようだった。 国際交流がメインの聞き取りかと思ったが、むしろ、「人材育成」についてがテーマであった。

NPOねおす、そして解散後の各所各拠点でも「人が育つ場づくり」はねおすグループ全体の核心的ミッションである。 総じて「そだちば」と呼んでいる。 旧ねおすは、直接・間接的に、独自・連携的に委託・受託関係的にさまざまな人材育成の仕組みを構築してきた。そして、多くの人材を世の中に輩出してきたと自負している。この理念は各所にも引き継がれていると信じて疑わない。

おかげて、「ねおすは人を育てるのが上手だ」という評価を頂くことがある。今回のヒアリングもどのように人を育てているのか、が主題だった。 

かつて北海道自然体験学校NEOSは、もともと人材育成の専門学校で立ち上がった。そもそも民間社会教育機関なのである。アウトドアインストラクター養成コースを社会体育専門学校の中に設置してその運営を担うところから始まった。 年間100万円の授業料を戴き、多い時は10名ほどの学生がいた。その時期は実に丁寧に座学カリキュラムを作っていた。動物、植物、魚類、北海道学、生態、地図読み、気象、コミュニケーショントレーニングといった座学があり、海川山への実技実習、子どもの自然体験活動、山岳ガイド補助など野外実技や野外生活技術も広範に渡って行っていた。 また、黒松内ぶなの森自然学校の設立期には、黒松内町から自然ガイド養成のための補助金も頂き、手厚く座学講習も実施していた。

しかし、あるとき気がついた・・・。

どんなに自然の知識があり野外活動スキルがあっても、それだけではお客さんはつかないし、その地域にも溶け込めないと。 また、自然ガイドだけで生計を立てるのは難しいと。

その結果として、知識ベースの養成から、仕事と暮らしが一緒になったようなOJTが最も「人」を育てるのに良い方法だと。 つまり、人が育つ「場」づくりが大切だと。そして、「学び方を学ぶ」という姿勢と態度づくりが重要だと。

なので、「人を育てている」というより、「人が自ら育つ環境」づくりに熱心に取り組んで来たと言えるかな。

昨今、21世紀型スキルとして、コンピテンシーなる概念が提唱されている、次の教育指導方針を決める教育審議会でも話題にあがっており、その評価方法としてルーブリック評価という概念もあるらしい。

思えば、ねおすのスタッフの目標設定では、稚拙ながらもこのコンペテンシーとルーブリック評価に近いものを10数年前から創り、それを指標にしていたことに、最近気づいた。

コンピテンシーの概念については、こちらのブログをどうぞ⇒http://blog.goo.ne.jp/haruneos/e/ec31a025fcbc7640bfc40f37092c991d

 実際に多くの(当時?)若者達が、ねおすの仕組みを通過して社会で活躍していること、あの大混乱の東日本大震災の初期の現地支援に次から次にスタッフを波状的におくりこんで短期間で支援体制を構築できたこと等を鑑みれば、この手法は間違っていなかったと思えるなあ・・・、と手前味噌なことに思いを馳せる師走なり。

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お菓子か玩具か。

2016-12-26 13:02:41 | 日記

只今、ぶなの森自然学校には私達夫婦以外に4人の20代と20代にみえる若者がスタッフでいます。 夕食は私の連れ合いが作った料理を土日以外は一緒に食べています。土日に催事・プログラムが入りゲストがいれば、その時も一緒に食べています。俗にいう夕食の団欒があります。考えてみれば、これはたいへん幸せなことであります。 本日はクリスマス、なんとなくクリスマス風の夕食となりました。 一段落ついて、クリスマスだから???、TTMが(試しに)買ってきたお菓子づくりのおもちゃ製作となりました。

その名は、たのしいおすしやさん と たのしいおべんとう。 粉を水で溶いてゼラチン質のお菓子のグミのような食感の食べ物を作ります。化学合成物は入っていないというふれこみには一応なっています。にしても、本物そっくりの色合いになるので、合成着色料は入っていると思えるなあ。 理科の実験のようで材料の状態が変化させてゆくおもしろさはあるのですが、説明書き通りの手順でやらねばできあがらない。つまり創造性がない。本当の料理にもレシピという手順はありますが・・・、調味料の多少の加減でも味が大いに変化します。しかし、この材料は水の加減はありますが、同じ味にしかならない。 どうもこの手の玩具?は、私は好きになれない。 

イクラやマグロはかなりリアルな形状と質感となるが、味は甘いグミ系のお菓子。すしのネタもシャリも本物ではない。しかし、これらは食べられるものでもある・・・。 ままごとと、いえばままごと遊びなのだから目くじらをたてる必要もないのでしょうが、ままごと遊びは食べられないものを食べられるようにゴッコ遊びをするという空想性がある。

やっぱり、これは子どもにとって、良い遊びとは言えないのではだろうかと、爺さんは懐疑的に考えてします。

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父の葬儀の挨拶状

2016-12-24 22:43:01 | 日記

父、邦光が逝った。享年92歳。風呂場で転んで意識を無くしたのは12月上旬、私は12月12日に見舞うことができた。手を握り、耳元で「晴光だぞ」と大声を出すと、うめき声をあげて、予想外に強く握り返して来たので、私を認識したかもしれなかった。食事も水も口から取れない状態であったが、 本人の生前の意向と子供である私と弟で相談して、病院への入院はさせず、施設の通いの医者ができる医療行為程度で最期を看取ることにした。 お袋(彼の連れ合い)は、くも膜下出血で40年近く前になくなっている。半年ほど、流動食チューブや人工呼吸器をつけられた状態でいた。付き添いは私と父と交代でしていた。あの時の状態は、まだ若かったオフクロが骨と皮にまで痩せて衰弱していったのをオヤジと目のあたりにして観た。年老いてまでもそうして生きることを望まなかった・・・・・。 長くはもたないだろうけれど、この人のことだから年は越すかもなあと漠然と思っていたが、やはり高齢だった。あっけなく12月15日に死を迎えた。私の誕生日であった。

私にとっては厳しい父親だった。いっぽうではとても優しい面もあり、この両極端な子どもへの対応によって、アタシのコミュニケーション力が偏向的に育まれてしまった気もしている。幼い頃に母を亡くし、森澤姓から親戚の高木家に養子に行ったという波乱な人生だったと聞いている。連れ合いも早くに亡くした・・・・。 晩年は幸せだったのだろうか・・・、と思うと、ちょっとせつない・・・。

そして、葬儀場や斎場の関係から 通夜は平成28年12月20日、葬儀は12月21日にもようされました。

当然なことながら親族が集まった。元々親戚が少ないのだが、何十年ぶりかに合う、私の叔父や叔母、初めて会う子ども達(従兄弟の子ども達)がいた。 我が息子や娘が私の従兄弟達の子ども、つまりはとこどうしの初対面もあった。

葬式とはそういう出合いと別れの催事なのだなあと、強く感じた。 通夜の席で息子の北斗は、私の従弟とギーターとハーモニカのセッションをした。 通夜の夜、妊婦であった甥っ子の嫁さんの陣痛が始まり、なんと、葬式の朝に3人目のひ孫の新しい命が誕生した。 亡くなったのは私の誕生日でもあり、なんだか、命のつながりを感じた師走だ。

葬式では、孫の北斗が、ギターで葬送曲を弾いたあとに、孫の誕生を知らせるためになんと、

Happy Birthdayも熱唱。 名前がまだ決まっていなかったので、「♫ハッピバースディ、じいちゃんのひまごぉ~♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦」と歌った。

返礼の挨拶状は自分で用意していたので、印刷してご参列を頂いた方々にお配りしました。

*********

謹啓

私議、この度、急に旅立ち致すこととなりましたので、略儀ながら書面をもってご挨拶申し上げます。 行き先は極楽か地獄か未だ定まっておりませんが、突如のお召しなので皆様にはご挨拶もせず慌ただしい旅立ちとなりました。

現世では九十有四年に渡り何かとご厚○(言べんに宣言の宣と書く)を戴き、お陰様にて無事現世を卒業し旅立ち出来たのも先輩諸兄のご高導はもとより後輩諸氏のご支援の賜と深謝し厚く御礼申し上げます。

これよりは先だった妻に一日でも早く追いつき、久しぶりに手を携えて極楽浄土の蓮の台を目指して永い旅を楽しく致したいと念願して居ります。業深い私達のこととて果たして極楽へ到達できるかどうかは疑問ですが、現世の皆様方の応援を信じて頑張りたいと思って居りますので、一層のご支援ご鞭撻をお願い申し上げます。

皆様型のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げ旅立ちのご挨拶と致します。有難う御座いました。

                         合掌 高木邦光

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いとこ犬?

2016-12-23 15:31:57 | 日記

このこは、弟の家のガービィさん(女の子でまだ1歳)、プードルとラブラドールのハーフさん。とてもやんちゃでおてんばさんでした。 デェズニー映画にでも出てきそうな漫画顔であり、とても可愛いです。

こちらは我が家の一応、血統書がある黒ラブのグラッチェ9歳かな・・、まあ、犬としては、私と同程度の老方かな・・。 であるので、 ガービィとグラッチェの関係性は、いとこ同士となります。

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大人のクリスマス会

2016-12-23 15:28:10 | 日記

この時期、恒例の大人のクリスマス会を12月22日に自然学校のゲストハウスで開催しました。

黒松内在住のギタリスト、丸口さんの日程に合わせて、町内の農家のTMTさん、WTCさん、自然ガイドの三木師匠、古くからのお客様SYOさんは毎年、この日程に合わせて東京から泊まりかけで来て頂いています。 歌会ですが、短歌でなくて、皆で昭和の歌を合唱する会です。「昭和キッズ、黒松内のクリスマス歌会」。最近は平成生まれも混じっていますが、歌うのは昭和の歌であることが基本ルールです。

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