高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

私を育てくださった御姉様方来

2024-10-29 12:16:32 | 来訪者

2024年10月24日

かつて北海道自然学校NEOSの設立当時は、山岳やネイチャーガイドから自然体験活動事業を始めました。 ガイド業が自体がまだまだ日本には定着していない2000年頃でした。 山の花や動物、山岳気象や行動技術を座学教室で行い、それを参加条件としたプログラムを始めたのですが、「そんな面倒な企画に参加者が集まるのか」という外からの批評もありましたが、これが新聞にもニュースとして掲載されたおかげもあり、成り立ちました。その当時のお客さまであった私よりもお姉さま方、つまりもう80代の皆様を東川在住の今もガイドをしているかつてのスタッフ鳥羽君が黒松内内にお連れしてくれました。 私は、ファンシーの中国ツアーの添乗で苫小牧のいぶり自然学校に滞在中でしたが、「今生の別れツアーだ」なんて声が聞こえていたので、急遽、黒松内へ戻り駆けつけました。

対人相手のサービス業は健康ランドの運営に携わってはいましたが、四六時中お客さまと同行、それも安全管理もしながらのガイド業は先達ノウハウもないので、ある意味試行錯誤の連続でした。 そんな私達のプログラムに参加してくださって、時にはお叱りも受けながら、ガイド業として成長させてくださったのは当時からの会員さん方でした。山岳ガイドはもう今のうちのスタッフ達はしていませんが、この頃に得た知見や対人コミュニケーション、プログラムの進め方は、一種のノウハウ「私達が時空のコーディネイターです」とのNEOSツーリズム憲章となり、今の各所のNEOS出身者にも継承されていると私は思っています。

みなさんとの出会いがなかったら、今のアタシたちもありませんでした。 本当に感謝しています。

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中国より秋のファンシーツアー

2024-10-29 12:08:42 | 国際交流
2024年22-28日は恒例の秋の中国からのファンシーツアー受入でした。今回は自然学校や環境教育実践者ばかりではなくて、民宿経営、地方情報誌編集者、幼稚園の設計デザイナー等でした。 例年は1,2泊ごとに旧NEOSサイト(いぶり、黒松内、大沼、東川大雪山)を旅してまわるスタイルだったのですが、ちょっと忙しすぎるということで、今回はいぶり自然学校に3泊、黒松内ぶなの森自然学校に2泊という行程となりました。

苫小牧いぶり自然学校は、企業が所有する元研修施設を利用したフィールドです。代表のうえだんなが、時間をかけて居心地の良い時空を作り上げています。今回のメインプログラムはエゾシカの解体



肉をブロックにしたり、ミンチにして食しました。また馬搬体験や木工クラフト体験で過ごし、洞爺湖に移動、SOTOASOBUの江川さんのジオガイドを受けて黒松内へ。

黒松内では、ぶな林ガイドや森林療法プログラム体験。

 
ゆっくりとした時間を過ごして頂けたと思います。 日中の国際関係も微妙なバランスの上に成り立っている今の世界、民間交流はこういう時代だからこそ続けてゆきたいものです。
 
ファンシーらが毎年企画実施していた、東アジア地球市民村フォーラムはコロナの影響があり暫く途絶えていましたが、来年春に上海で開催する方向で調整中だとのことです。ぜひとも参加したいと考えています。
 
 
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パークゴルフ

2024-10-17 20:10:10 | 日記

昨年は足繫く黒松内や周辺パークゴルフ(PG)場へ通いました。黒松内、寿都をメーンフィールドにして、長万部町、伊達氏、共和町、岩内町、ニセコ町、真狩村、泊村、倶知安町、京極町と・・、なんとホールインワンも二度も達成をしましたが、今年はマイブームが去ったのかさっぱり通いつめなくなりましたが、昨日は真狩、今日は泊と連ちゃん。周辺観光もして温泉にも入浴してきました。 運動不足なので、9ホールx2コースを回るだけでよろよろしていますが、この2つの場所は高低差があってなかなかトリッキーなコースでもあり、良い運動になります。

成績は、Par周りにはちょっと届かないくらいですが、あまり上達しておりません。集中力が切れてしまうんだなあ・・・・。

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シャケキャンプ

2024-10-14 11:51:44 | プログラム 子ども
三連休はシャケをテーマにした2泊3日キャンプでした。参加者が直前キャンセルやらでたったの四人でありましたが、それだけに機動力もあり参加した子らにとっては濃いキャンプとなったのではないかな。

シャケの遡上をカヌー下りしながら観察、シャケをたき火で料理し、環境整備にゴミ拾いをし、どこまで遡上しているか上流を観察など
シャケの遡上は少ないが、例年よりもひと月ぐらい遅くなっているらしい。
 
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ノーベル平和賞

2024-10-12 11:00:43 | 日記

日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与されることに決まった。 ウクライナへのロシアの核攻撃もありうるという脅し、北朝鮮が核開発を止めない現状、イスラエルやイランもきな臭くなっている今の世界。

この世界情勢にあって、今、ノーベル平和賞が被団協に授与されることは大変意義深いことだ。

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教立寺拝観

2024-10-08 12:58:29 | 黒松内・寿都
旅に出ていたので、Mail チェックをしていなかった。参加している寿都町のお宝調査の案内が来ているのを昨夜気づいて、(申し込みが必要だったが、)直接参加してきました。お疲れモードなのでちょっと面倒だったのですが、MRKさんに命令されるようにして出かけたのですが、興味深くて、参加して良かったな。
 
寿都歌棄に教立寺というお寺があるのですが、そこに閻魔大王像と地獄図が寄進されています。その由来をざっと書いてみると・・・、
 
話しはおよそ150年前の安政年間、江戸幕府は北海道開拓のために太平洋・長万部側からニシン漁盛んな日本海・寿都へ黒松内新道の開削をしました。費用は地元の富豪漁師の親方‣角十(かくじゅう)佐藤家がだいぶ負担をしたらしいですが、そのおかげで「一日の人別改めが1万人にもおよび、長万部の海浜には一条の蟻道のようになり、目を見張る思い」と、松浦武四郎の「後方羊蹄日記」にも書かれています。 人が増える往来では、悪人もはびこり、追剥強盗や殺人事件も多発するようになりました。
 そのころ、現黒松内町の入口付近の「蕨岱・わらびたい」に和歌山県の武家出身の医者・森田利三郎が住んでいました。(どういう経緯で移住したのか興味深いところだが・・、)相次ぐ事件に対して憤然となり、思案の末に自宅付近に「閻魔堂」という祠を建てて、閻魔大王とその審判検察官を10体を並べ、その横に地獄絵を奉納し、悪人等も含め道行く人々に悪行非難を拝めさせました。このおかげだったのでしょう。そのうちに悪党共は姿を消して安全に通行できるようになったといいます。
 その後、子孫によって、教立寺に寄進されたということでした。


二枚の絵図は、地獄への分かれ道への旅路と地獄図の2枚がありました。
 
気になったのは、閻魔大王と裁判官の他に一体、不気味な白っぽい座像です。これは、〇〇婆(住職の話が聞き取れなかった・・)というそうで、三途の川を渡る前だか後に死人の身ぐるみをはがす役割をもった婆さんだそうです。(閻魔団の前にぬかずくためだろうから、たぶん川を渡ったあとだろうな)



御年九十歳のご住職はユーモアたっぷりの語り口で、今日の午前中はなかなか興味深い体験をさせて頂きました。
 
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2G旅二日目

2024-10-07 11:54:44 | 日記
弥陀が原高原ホテルは海抜ほぼ2000mにある宿ですがなかなか良い施設でした。 無料の自然ガイドや夜はスライドトークイベントもあり、サービスが行き届いていました。ガイドウォークは私としてはゆくべきでしたが、雨降りで雨準備不足なので断念(? ひよった)。
朝方は雲があがり、若干の紅葉が楽しめました。
 
富山県はさすが観光立県である、各交通機関のチケット売り場、案内、バスの運転手さんも英会話ができて、宿の従業員さんも誰もがフレンドリーで親切なのです、北海道ではこうもゆかないなあと感じた次第でした。

さて、弥陀が原からは予約したバス(ひっきりなしにバスが上り下りしており、
どれもお客さん満杯で観光シーズンたけなわっといった感じでした。)で美女平まで降りてから最後のケーブルカーで立山駅へ、そこからJRで富山駅へ。レンタカーを借りて今夜の宿泊地の宇奈月温泉へ。 最初は観光地巡りの予定だったのですが、まっすぐに宇奈月へ。そして、気になっていたトロッコ列車に乗りました。

黒部渓谷沿いに遡る小型なディゼル機関車が客車を牽く観光列車です。テーマパークのアトラクションよりリアルで楽しかったね。
現在の終点は猫又駅という場所で、これまでは作業現場駅で停まらなかったそうですが、ここより先の欅平、さらにはその先に黒部キャニオンルートという富山側からも黒部ダムへ続く新たな観光ルートが2024年から開通する予定だったのですが、正月の能登地震の影響でがけ崩れがあったそうで不通になってしまったので、ここ猫又駅を観光終達点に急遽しているとのことでした。特別見どころがあるわけでない渓谷の中でしたが、猫が付く駅名は全国ではここだけというのが、唯一の見どころ。 お土産や記念品なんかを売ったら売れるんとちゃうかいなと思ったな。 途中駅に黒灘という場所があり、かなり深山なのですが、ここに温泉宿があるというのが気になりました。
 
同じ鉄路を往復して宇奈月温泉泊り。 ここも良いお宿でしたが、露天風呂が北海道に比べるとショボいなあという印象でした。 
 
キャニオンルートが再開通したら、今度は富山側から信濃側へ天気が良い日に抜けてみたいなというモチベーションがうまれました。
 
翌10月6日は、富山ときとき空港まで送ってもらい北海道に返りました。 宿にリュックを忘れてしまうという失態をしました。帰りの便の予約は、スマホにある予約番号で乗れるということで、助かった。
 
 
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2G秋の旅

2024-10-07 10:08:23 | 日記
三重県の赤目の森の福祉・里山づくり系のNPO主宰の伊井原さんと秋の旅を続けて3年目。今年は10月3日から6日まで、私の希望で黒部アルペンルートを旅してきました。日程は彼が全てセットしてくれたのですが、集合場所は長野県側の扇沢。 はてさてそこまでどーやってゆきましょうか・・。しかし、彼が乗り継ぎ交通経路まで指南計画してくれましたので、それに準じて移動するだけなのですが、まあまあ乗り換えが多くて緊張したなあ。 朝8時名古屋発のJRしなの3号に乗車しなければならないので、ひとりで名古屋に前泊しました。
10月4日、朝は二度寝してしまい、慌ててJR名古屋駅へ。 なんとか間に合いました。先が思いやられます。
アルペンルートは、バスやトロリーバス、ケーブルカーやロープウエイを乗り継いで黒部第4ダムを越えて長野側まで立山連峰を抜けます。


私が中学生の時に石原裕次郎や三船敏郎が出演した映画「黒部の太陽」が上映され、大いに感動して二度も観に行ったものでした。 フォッサマグマの大地溝帯での出水、岩盤温度がダイナマイトが自然爆発してしまうような高熱隧道(これは吉村昭さんの小説も熱くなって読んだなあ、なかでも冬季間に作業員宿舎を峰を越えて吹き飛ばす「ほう雪崩」の凄まじさが印象に残っている)

しかしながら、天候は最悪。ガスと雨・・。 雨天対策をしっかりとしてゆかなかったので晩秋模様の高山の中、たいへんな思いをしました。高熱隧道「関電トンネル」を電気バス(以前はトロリーバスであったが、今は電気モーターバス)を降りてからはダム堰堤を歩いて次のケーブルカー駅に徒歩移動なのですが、近辺の記念碑やミュージアム、テラスを訪れる余裕もなく必死でありました。
そして、ケーブルカー、ロープウエイを乗り継いで室堂に抜けて弥陀原のホテルへ。高山なのに立派な宿でした。
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日記

2024-10-02 12:34:21 | 日記

書きもの話題つづき

私の事務所机の下にクリアーボックスがひと箱眠っています。 7,8年前になるかな、私の父親が実家に眠っていた私の日記やら学校の成績表やらをまとめて送ってきました。 そのひと箱であります。

私は子どもの頃に日記をつける習慣がありまして、かなりの分量があります。子どもの頃は日々のたわいのないできごとの数行日記ですが、その後の青春期にも続けており、チラよみすると小っ恥ずかしいことも多々書かれているのです。  お酒片手に焚き火でもしながら読み返して燃やしちまおうかと常々思っているのですが、それもなりません。 以前にこの存在をある人に話したら・・、「道立図書館でも寄贈したらいいんじゃあない、高木さんがどんな人生を送って人格形成されてきたか、研究する人の現れるかも・・」なんて言った人がいましたが、そんな歴史に残る人物じゃああるまいし、燃やすしかないなと思っているのです。

自ら燃やす前に死んじまったときのために、箱の上には、「読まずに燃やせ」と遺言を書いて置いております。

ブログやfacebookは他人に読まれることを前提に書いているわけですが、読まれることを前提としない本来の日記つけも、たんにその日の行動三行日記も日々の自分の老後を見つめるにはいいんじゃあないかなとも思ったりしております。 子どもの頃のように、大学ノートの1ページを3つに分けて3年分くらいを並列するのもいいかなあ・・。

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旅ノート

2024-10-02 12:29:39 | 日記

私のブログをチェックしてくださっている皆様に感謝です。にもかかわらず日にちを開けてしまって恐縮です。

facebookには毎日のように投稿はしていますが、スマホ画面から思いつきのようにきままに書いています。一方、このブログは多少は考えつつも書いているので、認知症予防にもなるんじゃあないかと思うわけですが、なかなか毎日書けません。 このところは半隠居状態で生きているアタシなので、毎日なんてことはなく暮らしているのであります。 年になんどか数日の旅にでるのですが、一度にいろいろとあると、その日にあったことすらも寝る前になると、今日あったできごとなのか、昨日のことなのか混乱してしまう昨今であります。

明日から黒部方面へ三泊の旅にでます。昨年、一昨年と秋に続けている旧友の伊井野氏との2爺さん(+いちの時もあり)の旅です。 黒部ダムは一度は訪れたかった場所なので、ひさしぶりにウキウキしておりますが、現地の扇沢集合なので、名古屋経由で向かうため、果たして行きつけるんだろうかと、昔は心配なんぞはしないで行動していたのに、最近は自分自身が信用できなくなっているので不安でもあります。

で、今回は旅日記をつけようとノートブックを持ってゆくことにしました。 それで記録をつけていれば、帰ってきてブログ内容にもちょっとはおもしろみを加えることができるんじゃあないかと思ってね。

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