高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

父の日と My田舎づくり実践研究所

2021-06-22 10:21:35 | 日記
なんだかさ、ここのところ思い出話しばかりでござる。

長女から「お父さんは、自分で年寄りに近づきすぎる!」なんて、叱咤だか批判だかされる昨今ではありますが、何かとむかしのことを思い出すことが多くなることもその証左かな・・
と、さてはおき・・、
 
先だっての日曜日は自分でも忘れていた父の日でした。 次女からは健康によさげな焼き菓子セット、長男のネパール人嫁からは、アウトドアの日よけ帽子となぜか今時にちょっと厚手の靴下、そしてお手製カレーを作って持ってきてくれました。が、いつもは何が欲しいものある?と照会してくる長女からは今回はなんの問い合わせもなく、届き物はなかったのですが、上記の写真が送られて来ました。
私の手元にはない写真であったので、それを大切にとっておいてくれたことが嬉しくて、感謝です。
(物もあるそうで、次に帰省するときに持ってくるとのことなので、楽しみね・・)
 
2,3歳の頃の写真でしょう・・。 万全に安心しきってアタシに頬を寄せている姿に、なんだかウルッとしてしまうと同時に、とても「せつない」感情もわきあがって来ました。 なんでだろ・・・??
 
写真の頃は、猛烈会社人間で、家に帰るのも遅く、なかなか子ども達と過ごす時間がとれませんでしたが、毎週のように日曜日には都市公園めぐりをしていました。(札幌には緑豊かな大きな公園があちらこちらにあります)。その時にスナップ写真なのでしょう。
 
父親として、もっとしてやれることがあっただろうに・・という後悔というか、あの時間はもう戻らないというような感傷のような・・き も ち 。 アタシャ、ちゃんと生きてきたんだろか・・?と ね ・・
 
そして、この写真を見たらしき、母親気質に似てきた次女からも 上から目線のメールが送られてきた・・。
 
「小さい時のお父さんとの思い出はなぜか一つも浮かばず。けど、大きくなってからはいつも味方でいてくれたというイメージがあるからちゃんと子育てができてたんじゃないか!」と・・。
 
これも・・・嬉しかった・・。 
 
***
私には いわゆる田舎がなかった。 もちろん、祖父祖母は子どもの頃に近所にいて可愛がってもらっていましたが、それは、緑はまわりに比較的あるものの、大都会の衛星都市でありました。そして、母親には19歳の時に死に別れ、同時期に私も進学で北海道に来たので父親との暮らしも19歳までで、今は彼も亡くなり、すでに帰省するような実家という場所はありません・・・。
 
 なので・・、自分で田舎をつくるしかないなあ・と、考えたことも、黒松内町に移住した個人的な大きな理由です。 自分の実体験としては、モデルとなるような身近だった田舎の爺の姿はないので・・、
「My田舎づくり実践研究所 所長」なるかってな肩書きを作ったわけで、これからも、子どもや孫たちが訪ねてこれるような田舎づくりに向かって のほほんと 生きてゆく所存です。
コメント

歯医者の思い出

2021-06-21 17:00:24 | 日記

懐かしいというか、恐怖を呼び覚ます写真がfacebookにアップされていました。

子どもの頃(とはいうものの、それはゆうに半世紀以上のことだと思うと、我ながら驚くね!)、近所の歯医者に通わされていました。 小学校への通学路でもあったその場所は、小さな池(沼地)があり、大きな木に囲まれた、決して陽当りがいいとは言えない、少し薄暗い場所にありました。 道脇には、ドクダミが群落しており、その臭いも嫌でした。

昭和の歯医者の診察処置室は、いかめしい機械器具が並び、ベルト駆動のドリルの音がおどろおどろしく響く、まるで悪の実験室のようでした。 そして、その待合室には、先生が愛読者だったのでしょう、楳図かずおさんの「へび女」などの恐怖漫画がたくさん蔵書されていました。 まったくもって、子どもココロには恐怖そのままの場所だったのです。  小学校の行き帰りには、鼻をつまんで息をころして、その前を一気に駆け抜けたものでした。

歯医者・ドクダミ・楳図かずおは、恐怖の三点セットで、60も後半になった今でも、そのうちひとつに出合えば他のふたつも連想されて嫌な気分になります。 まあ、昨今の歯医者さんは明るく清潔感もあり表面麻酔なども施してからの麻酔注射なので痛みも緩和されているので、恐怖感も緩和されて行けていますがね・・。

コメント

Supの研修会

2021-06-21 16:57:58 | 日記

サップとは、Stand Up Paddleboard の略称。 サーフィンボードより大きい(のか?ちゃんと比べた経験はないが)ボードを水の上に浮かべて立ってパドル(かい・櫂)を漕いで水上遊びをする道具です。 自然学校でうまいこと資金繰りがついて、四枚を購入し、また自然体験活動のアクティビティを増やすために、公認インストラクターの岸さんをお招きして講習会を6/21-22と自然学校で開催をしています。

この道具、もう20年前くらい前でしょうか。 ニセコへ川遊びに子ども達と行っていた時に、上流からこのボードに乗っておりてきた一団に出会ったことがありました。「いったいこれはなんだ?」と思ったものですが、それは北海道、いや日本に紹介された最初の頃だったのだな。やってみたいなと密かには思っていたのですが、ならぬまま時は過ぎ去りました。

 ここ2,3年に急に愛好者が増えたようです。 軽いのでカヌーより移動、水辺の入水・出水がが簡単なこともあるのでしょう。 新しいもん好きなアタシとしては気持ちは体験してみたいと、昨晩はモチベーションがありましたが、朝起きると、腰が痛いと弱音となり、講習を聞いている、見ている‍人となっています。 歳を取ると怪我をしやすくなりますから、自然と事前防御が働きドーパミンの分泌が抑えられるのだろう?? つまり老化現象なのだがね・・。

見ているだけの人とはなりましたが、みなさんの様子から、やはり乗ってみたいとの気持ちが生まれてくたので、よし!! 落ちることを前提にして、もうちょっと暑くなってから トライしてみるか!!

 

 

 

コメント

札幌の市街地でクマ出没・・

2021-06-20 12:31:48 | 日記

札幌の住宅市街地にヒグマが現れて、道路を疾走する映像がニュースで流れ、ゴミ出しをしていた人が後ろから襲われ怪我をするという衝撃的な事件がありました。 https://www.htb.co.jp/news/archives_12032.html

結果は猟友会が出動して射殺されたのですが・・、 何とも・・やりきれぬ思いもあり、切ないです。

街中を走るヒグマのニュース映像はクマを思えば・・何か悲壮感があり、なんとも哀しさを感じました。彼も怖かったんだろうなあ。どうしたらいいのかパニクってしまって、襲うつもりはなくても目の前にいた人間に飛びかかってしまったんだろうなあ・・。

 折しも、昨日にわが町の散策路でもヒグマの出没の痕跡(足跡や糞)が見つけられ、目撃情報もあったようです。来週に開催予定の町の行事「森林療法時間」の開催をどうするか、この実行プロジェクトの委員長を仰せつかっているので、町の事務局から照会がありました・・・。

私としては、「そもそもクマが生息している森に囲まれた地域にある町であり、今日でなくても、明日は現れるかもしれない。今日は現れたけれど明日は違う場所に移動しているかもしれない・・、ひとり二人ではなくて、大勢で歩くのだから、開催をしてもいいのではないか」という立場なのですが、町民によるプロジェクトとはいえ、事実は町教育委員会の所管で予算もついている事業であり、最終決定権は行政にあるので、お上の方々の判断に従いますというのが回答です・・。  緊急事態宣言は解除されたといえ、まん延防止措置下でもあるコロナ禍なので、たぶん、町は中止判断をするのではないかと思いますが・・、 

黒松内程の自然と街が一体化していない、大都会札幌。今回のクマは当別方面から石狩川水系を辿って東区やってきたのではないかと推測されていますが、札幌市南区は支笏洞爺国立公園にもかかり、豊かな森が広がっています。この続きの西区でもこれまでクマの目撃情報は毎年のようにありました。 札幌はそれほどに自然豊かな地なのです。

私の住む地ような小さな田舎町でも地域住民へのクマとの共存意識をうんでゆくのはたいへんなことですから、都会では、怖いやっかいもの意識は取り払うことはできないだろうなあ・・。

いずれにしても、北海道に住む私たちは、自然豊かな地に住んでいることを改めて認識してゆかなければね。 わずか100年少々で、多くの野生動物の住む原生林を開拓し農地をを広げ、街を作って動物たちを追いやってきたのは人間なのだから・・、 この功罪を上手に伝えてゆくことも自然体験型環境教育の役割だとは思うんだが・・。

20年ほど前にヒグマプログラムを開発して、自然学校でも近くの高校や中学校で実施したことがありました。高校の授業では、クマ側からの視点にも思いやってもらうように授業を進めました。 終盤になり、男子学生から「せつない話だなあ・・」というため息感想が自然と表れたときには・・、「やった、伝わった」と思いました。

が、そういった活動を今はやっていない・・・。

 反省することもしきりだが、「反省だけなら、サルにもできる」という言葉もあった・・・。

コメント

小林さん逝く

2021-06-19 11:44:46 | 日記

人伝で小林さんがなくなっていたことを今日、知りました。 合掌。

 小林董信さんは、私にとっては勝手に兄貴分のような方でした。特定非営利活動法人の先導役、つまり日本のNPO活動の広がりを生み出した方のお一人です。 特に情報が本州に比べて遅れがちであった北海道において、全国の先駆者、先駆けの方々とネットワークを張り、一度はかつての自民党政権下で「市民活動法案」として上程され否決された法案を全国運動を持って日の目をみさせた立役者でもあります。

NPO(Non Profitable Organization)は、1995年の阪神淡路大震災の支援に大勢の民間支援団体がかけつけ活躍したことによってその存在に脚光が当たりました。しかし、それらの団体をカバーする法人法律がまだ日本には存在をしていませんでした。これをきっかけにして、海外事例も調査研究し、改めて「特定非営利活動法人/NPO」に関する法律が1998年にできあがりました。 北海道では、「NPO推進北海道会議」という道内ネットワークが立ち上がり、その推進役として小林さん等がいました。

その頃の私は、社会体育(具体的にはスポーツクラブのインストラクター養成)を仕事とする民間会社に所属しており、専門学校経営に携わっていました。そのひとつのコースとしてアウトドアインストラクター養成コースをつくり、その実践を行う北海道自然体験学校NEOSを立ち上げ任意団体として子供向けの自然体験活動や山岳や自然へのガイド事業を始めていました。 

震災支援へは日本各地の自然体験活動をしている団体が駆けつけましたが、私達の事業はいち会社の付属事業のような位置づけだったので、会社の理解が得られずに、現場には駆けつけることはできませんでした。なので支援募金集めをしました。(この前後のエピソードもいろいろとありますが、それはまた別の機会に記します・・)

このことは、自分達の活動が単なる自然愛好を促進するような趣味的なものだけではなく、もっと社会的な活動意義へ目覚めさせることにもなりました。 そんなもんもんとしている時期に、小林さん等が私を見つけ出してくださいました。

NPO活動を推進広げようとする北海道のネットワーク団体「北海道NPO推進会議」の集まりにお声がけを頂きました。(直接のお声がけは、シアターキノ・・当時のエルフィンランドの中島さんからだったと記憶しています) 札幌にあった炭労会館という名の社会労働運動の拠点のような(ちょっと薄暗いアジトのような・・)建物で開催されていて、私より年長の兄貴姉御格の方々がたくさん居て、気後れして最初はちょっと場違いなところへ来てしまった感があったのが正直なところでしたが、市民による市民のための社会活動の機運を高めようという人たちの熱い思いにとても感化されました。

そして、私がやっている活動も「より良い社会を造るための意義」があるものにすべきなんだと背中を押されました。

NPO法案が国会を通過し、活動団体の法人化への道が開かれました。 会議からはNPO活動を中間支援する「北海道NPOサポートセンター」が生まれ、小林さんは初代事務局長に就任をしました。

北海道でのNPO法人申請が始まり、その最初の申請を このサポートセンター、富良野演劇工房と、ねおす(北海道自然体験学校NEOSは、アルファベットでの法人登記ができないという、変な規則があったので、あきらめて・・私達も新生することを念じて、登記名は、ねおす と、なんか気をてらって新しそうな名前へと安易に決めちゃいましたが)の三団体で同時に行い記者会見もしました。

当時、北海道が全国的にも登記申請受付が早かったので、我々は全国でも1,2番目の認定を受けるはずでした・・。はずでしたというのは、ちょっとした申請書類上のミスがあって即受理されたのは、演劇工房だけでした。それを修正してねおすは二番目に、サポートセンターは三番目に受理されたのでした。受理されればあとは認定は時間だけの問題だったので、結果的には、演劇工房、ねおす、サポセンの順番で北海道初のNPO法人が誕生したのでした。

自然体験活動の業界においても 「えっと? なんでNPOなの?」と言われる時代でしたから自然体験、環境教育の分野においても日本初のNPOであったと自負しています。

ともあれ、小林さんや北海道会議の先輩方に出会うことがなかったら、ねおすの社会的な立ち位置を持っての発展はなかっただろうし、今のワタシも「今のよう」ではなかっただろうと思えます。小林さんは人生の恩人であります。

慎んで心からお悔やみ申し上げます。  合掌・・・。

コロナ禍もあり、また、人が大勢集まるような大ごと催事はあまり得手ではなかったお人柄だったようなので・・、ご葬儀はごく近親者でされたようです。さりとは言え、お世話になった多くの人達にとっては、このまま遠隔のままでサヨウナラではあまりにも寂しいので、なにかしら計画はしたいと思っています。 良く行わるような「偲ぶ会」というよりも、「追悼フォーラム」として未来につながること、 あるいは、NPO貢献小林賞みたいなNPO活動奨励賞みたいなものを創設して1年に1,2団体を表彰する制度などはいかがかなと残された仲間に提案したいと考えています。

コメント