高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

寿都町長選挙に思う

2021-10-28 11:53:58 | 震災支援・脱原発・環境問題

核ゴミ最終処分場の調査受け入れが大きな焦点となった寿都町の町長選が終わった。私の今の思いをつれづれに書き残しておこう・・・。

寿都町は高レベル放射性廃棄物の地層最終処分場の適地かどうかを国が調査することが、現職町長の独断で始まってしまい、全国的に有名になってしまいました。 私のところにも「寿都」ってなんて読むの?てな照会が来ます。「Suttu/すっつ」と読みます。語源はアイヌ語で、シュプキ(ツ)・水辺に生えるアシ(ヨシ)が多い場所という意味のなのですが、それを和名漢字で、「寿都」と表したのはいつの頃でだれの発案なんでしょうね・・。 和人が入りニシン漁盛んなころに大いに栄えていた頃なんでしょうね。 寿(ことぶき)の都(みやこ)なんて、素敵な豪華な地名ですよね。

20代の頃に岩登りによく小樽に通っていて、駅前バスターミナルから発車する「寿都行き」バスの表示に、いったいどんな場所なんだろうと想像したもんだが、まさか、自分がそこを永住定住の地にするとは思ってもいなかったなあ・・。

私の住む寿都郡黒松内町南作開地域は、目前を流れる朱太川を挟んで現在の寿都町と隣接している。古くは現寿都町の集落と同じ行政区にあったこともある。寿都町は寿都湾沿いに長く行政区が岩内・泊方面に延びており、泊原発からは30km圏内に入っています。原発で何か小さな事故があれば、当地より後方に所在する寿都町役場にはその緊急連絡が入るという協定が結ばれているのですが、私の住んでいる場所は寿都役場より原発に近いのに、30km圏内に行政区がかからない当町役場には連絡は来ないという微妙な位置関係にあります。

 つい先ほどに、連れ合いのスマホ(au)に「原発で事故があったので屋内退避を」という緊急アラームが来て驚きました。当町の各戸に設置されている防災無線は無言だし。。、さっそくNHKをつけても何の速報もないし・・、ちょっと慌てて、何?何?何?と、facebookで照会をしたところ・・、すぐに回答が複数入り、「今日は原発事故防災日とのことで、避難訓練が行われている」とのことでした。

たぶんauの電波塔が身近な寿都にあるからなんだろうと解釈しました。私のdocomoはアラームがなかったので、ここはauがベターなんだなと確認ができましたが・・。

話は戻して・・、

寿都町はすでに全国初の核廃棄物・高レベル放射能廃棄物の最終処分場としての立地調査が始まっています。 現職K町長が、丁寧に町民の意見を聞いたわけでなく、町のいわゆる有力者との会合だけで、「肌感覚では町民の半数は反対ではない」と訳のわからぬ非民主的独断で文献調査なる工事候補地としての入口調査の受け入れを表明し、すでに原子力発電環境整備機構(NUMO)という経産省所轄の国の純行政機関が事務所を解説して調査を始めています。 文献調査とは、過去にある地質や自然環境などの文献を調査して、地下処分場を建設するのに不都合な文献はあるか、ないかを調べるわけです。 そもそも、国は事前に建設可能地を全国地図(科学性特定マップとかいったかな)で示しているので、それをさらに詳しくあたるということです。 しかし、もっと多くの建設敵地を探し出したい国としては、やっと手をあげた地域が不適地となったら、すでに出したその科学性に基づいたというマップに信ぴょう性がなくなってしまいますから、文献調査は通過するのは目に見えています。

 そのうえで次の段階の概要調査に進み、実際に地質などをボーリングなどによって調査します。さらに三段階目では、建設計画を立ててその設計の可否を調査することになっています。だから、万が一に建設開始にいたるまでも20年近い時間がかかります。その調査期間に毎年、10億とも言われる交付税が国から入る仕組みになっているのです。

余談ですが・・、その交付金は調査町の隣接町村にもその半分は配分ができることになっているのです。当黒松内町は隣接町なので、その対象で、寿都町から1億円近い金額だったかな(7500万円?)受けるか受けないかの照会がありましたが、すでに反対表明をし条例にも謳い込んでいるので、当然に拒否しました。

現職は、調査だけ受け入れて、お金を頂き、第二段階に進むかはその時に賛否住民投票をすると言っています。反対候補は、現段階で調査撤回、交付金ももらわないという公約でした。

私、寿都町の温水室内プールによく言っているのですが、先日、その窓口の管理人さんから・・、

「なんで、黒松内のプールに行かないの?」と、聞かれました。 なにも拒否されたわけでなく素朴な疑問風に・・

私「黒松内のプールは冷たいんですよ」と、そしたらね・・

「7500万円もらって、改修してもらったら良かったべ」と返されたんですよ!! その回答にびっくりして、次の言葉がでずに無視しました・・・

選挙結果は、推進現職55.2%  反対新人44.7%の得票率で現職当選でした。 小さな町ですから、得票は、現職1,135票、反対新人900で票差235票でした。現職6期連続となります。この差は、120票が動けば当落逆転ですから、地域としては少差です。 なお、同時に行われた1名の補欠町議選挙は、現職町長派でなくて、反対候補が当選しました。

 大きな支持を受けて5期も町政をになってきた現職町長ですから、対抗馬に900票もあったことは、それなりに真摯に受け止めるような勝利の弁を表明していましたが・・、

原子力発電堅持の国策ですから、NUMO=経産省管轄は、高レベル放射性廃棄物最終地下処分場建設はなんとしてもやらねばならないのです。(そのための組織だ) 建設に前向きな様子をみせる地域は手放すわけはない。町長が変わって調査受け入れ取り下げたとしてもその受け入れをした事実は残り、新たな賛成町長が現れるまで候補地で有り続けます。 住民投票で否の結果が出たところで、公共性があるということで、あの手この手で建設へのアプローチを続けるに違いありません・・・。 なんでも地元小学校までも授業しにいくらしい・・。

沖縄の基地建設問題、古くは成田空港の三里塚闘争のように、地域ばかりではなく、日本中の反対する人々を巻き込んだ国家権力への反対闘争に突入してゆくのではないかと危惧しています・・・。

私のご先祖様は甲州なのですが、その昔、地域のために尽力していたはずの武田家の統治がおかしくなって来たことに抗議するために、武田家の墓の前で切腹自殺をした人がいたと聞かされてきました。 そんな血筋が騒ぐのか、いっそのこと、役場かNUMO事務所の前で焼身自殺抗議をするかと過激な妄想もします・・。 まあ、そんなことをしても、3月31日のパリのフランシーヌのように おばかさんであまりにも悲しいことになってしまいますから、そんな妄想に厳重に蓋をしていますがね・・・。

核ゴミ、特に高レベル放射性廃棄物の処理問題は、今原発を止めたとしても、すでに、青森県六ケ所村や現在の各原発施設に数多く保管されたままでいます。国は青森からそれらを移設するという簡単にはできない約束もしてしまっています。 じゃあ、どうするのということなのですが、私は学術会議も提言しているように・・、

一、現在の廃棄物は、今あるところから移動してはならない。つまり、その地域で半永久的に保管する。

一、地震多発、隠れた断層が数多くある日本では、地下埋没処理はしない。

一、現在ある場所で、半地上状態、つまり人間が安全を確認しやすい状態で保管する。

一、そのうえで、放射性物質の無力化の科学的研究を推進する

というのが、ベストだと考えています。

なににもまして、この核ゴミ問題は、いち地域の問題ではありません。日本国民全体の問題です。ひとりでも多くの国民が、この問題を捉えて、考えて行って欲しいものです。

あえて、書いてしまいますが・・、

調査だけで国から高額な交付金をもらって、調査だけでやめることが、万にひとつできたとしても、それを前提に町政の財源として、国民全体の税金からちゃっかりと貰おうなんて、みえみえの詐欺をするようなことであっていいのかぁ!!  なにか、ことは地域住民の道義性を疑われてしまうよ~~~~!!!

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Karrimor

2021-10-25 16:01:16 | 日記

Karrimorのフリースを手に入れた!!  と、書いて続きもたんと書いたんだけど、久しぶりに全文が消滅した・・。    気をとりなおして、再投稿をするか・・。

昨今のアウトドアブームを反映して札幌に大きなアウトドアーショップが誕生したので、パトロールをしてきました。おしゃれなキャンプ道具がたくさんあって、巡回だけも楽しい。老舗の秀岳荘本店も負けじとばかりにリニューアルをしていました。 山の匂いをプンプンさせているような山屋はおらず、お客さんには若いカップルや家族連れが多く、わたしなんぞの旧人は、なんとなく恥ずかしさもあるくらいにきらびやかであります。

今やモンベルやスノーピークなど国産品もおしゃれになって国内市場を席捲していますが、私の若い頃なんぞは、キスリングやバンブーかまぼこテント(かまぼこ型ドームで綿布、骨組みは本物の竹でした)でしたので、アウトドア用品の!進化はおどろくばかりです。

もう40年以上前にカリマーやショイナードといったヨーロッパブランドが登場した頃を知っている身としては、今や隔世感があります。当時、それらの商品の登場は革命的でした。特にショイナードのザックは、背負いを調整するバンドが何本もあり、それまでのキスリングと異なり、こんなにも楽に背負えるのかぁと、驚愕感嘆ものでした。たしか、カリマーの登山靴も買い求めたことがあったなあ・・。そして、そのご登場したゴアテックスの雨具にも感激感動したなあ。

そんなんで、カリマー製品をみつけて、手を出さざるをえませんでした。

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絶滅種鎮魂祭

2021-10-25 15:39:54 | 日記

先週末に屈斜路湖まで2泊のドライブ旅をしてきました。 目的は、屈斜路湖コタンのアイヌ、Atoyさんが主宰する絶滅種鎮魂祭という演舞奉納の観覧です。あっ、観覧と言ってはいけないのだ・・、参加者だった。 観客は絶滅した種族なのだ。 アイヌ舞踏団モシリの迫力ある演舞もありましたが、鎮魂の儀式には参加は全員が舞台にあがってカムイノミをしました。

Atoyさんと出会ったのは、もう20年以上前だなあ・・。 モシリとうアイヌ舞踏団が全国ツアーをしているという新聞記事を読んで、ぜひ観てみたいとおもい屈斜路湖畔の丸木舟という彼が経営する宿に泊まりに行った。当時は毎晩、宿にある舞台で舞踏を披露していました。それまで、アイヌの古式舞踊は白老などで見たことがありましたし、習いに行ったこともありましたが、彼らの舞台は、作曲家でもあるAtoyさんが演出していて、現代的な振り付けがあり、(もうしわけないですが)古式舞踊よりもずっと心を揺さぶられました。 それでもって、無謀にも札幌公演を願いでたのでありました。

一族一座をよぶには、その音響装置やらを含めてロングコンテナトラックで舞台資材を運ぶ大掛かりな公演になります。

「たかぎぃ、俺たちを呼ぶのにいったい幾らかかると思ってんだ_」とAtoy。 2-300万かかるんだぞ!!と・・。しかし、アタシの熱意に応えて頂いて、確か〇〇・・万円だったかなあ・・、破格の料金で実現させました。 札幌の公立の体験宿泊施設で、大きな体育館でキャンプファイヤーが屋内でもできる場所を会場にしました。参加者から多少の観覧料を徴収するイベントに前日に施設から使用中止が言い渡され、施設長と大ゲンカしたり、天井まで届くような大掛かりなファイアーをおこしてしまい、あとで施設から「火事を起こすだろ!!!」と大目玉をくらったりもしましたが、公演は大成功でした。踊り子たちも大ファイアーにこれまでで一番乗りに乗れたと大喜びでありました。

そのAtoyさんは、屈斜路湖を望む高台に観客席を持つ大きな野外舞台を私設で作り上げました。そこが会場でした。アイヌの自然観を大胆に表現する見事な演舞を堪能しました。 旅する病気のカミサマ・パヨカカムイ(コロナウィルス}の天上送りの奉納舞もありました。 この地上にあるものは、天から降りたすべてに役割をもつ存在であり、ウィルスも同じ。しかし、私達人間に悪さをしないで、天にお帰りくださいという奉納の歌と踊りです。

アイヌの自然観を体感できる、とても良い機会を頂きました。

 

 

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海はものを言えない・・・、

2021-10-22 11:54:37 | 日記

我が家から車で5分も行けば日本海寿都湾の浜辺にこれます。ときたま海が見たくなって、やってきます。

寿都町では、各ゴミの最終処分場受け入れの文献調査が始まってしまい、それを「町民の多くは賛成だという肌感覚」だけで受け入れた町長の改選期で、反対する立候補者が現れ、町長選が始まっています。欠員町議戦もあり、同じく反対派の若い新人立候補が立ちました。隣町だとは言え、目の前の川をひとつ隔てた隣接地に私は住んでいるので、投票権もなく歯がゆい限りなのですが・・・。文献調査の受け入れにはそのお礼のような補助金が国からでます。年間10億円にもなる高額で、そのうち半額は隣接町村にも配ることができる制度になっているのですが、当黒松内町は、7-8千万円くらいの配分が可能らしいですが、すでに「受け取らん」と表明をしています。

この浜の隣には、雑木林を伐採して広大な港湾づくりが始まっています。工事掲示には漁港拡張と記されているのですが、のちのち貨物船も入港できる港づくりをしているのではないかと、アタシは勘ぐっています・・。

核ゴミ処理(高レベル放射性廃棄物の地層処分)は、国家的課題です。そんな大ごとを小さないち町村で決めていいものでしょうか!! すでに存在する廃棄物の処分はなんとかせねばならぬのですが、国策で地下地層処分が法律で決められています。当地には活断層がいくつも確認されているのに・・、文献調査と言っても、その断層は地下処分場建設には問題ないと結論づけるだけのものだろう!!!

私は、

1つ、 原子力発電は即刻中止。これ以上廃棄物をふやさない。

1つ、 現在すでに各原子力発電所内や青森で保管されている高レベル廃棄物は、移動しない。つまり現地で人間が可視点検ができるような半地下で、その処分方法が技術的に可能になるまで保管すべき。

と、いう考え方であります。

それにしても・・、 海は なにも意見が言えない。

TO BE A SPEAKER OF NATURE.

 

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川湯

2021-10-18 08:05:07 | 日記

先週末に屈斜路湖コタンのアイヌ舞踏団モシリのAtoyさんが主宰する絶滅種鎮魂祭に参加してきました。絶滅した生物を鎮魂する歌や舞踊の奉納祭。 旅するカミサマ、「パヨカカムイ」=つまり、今の疫病はコロナウィルスのカミおくりの演舞もありました。 私費で屈斜路湖畔に土地を手に入れて大きな野外舞台を作りました。そこで火を焚いて歌い踊るアイヌ伝統に現代音楽舞踏も組み入れたパフォーマンスは迫力あり、カムイたちと同席させてもらった感があります。古式舞踊はそれはそれで継承してゆくべきでしょうが、モシリのように現代人の感性にも直接訴えるようなアイヌ文化の変容もあってしかるべきだと思います。 撮影充電がきれてしまい、自分でひとつも記録写真・動画が撮れなかったのですが、私のfacebookに他の方が撮影したものをシェアしているので、ぜひ一度ご覧下さい。

久しぶりに川湯の環境省エコミュージアムに来訪しました。秋の色合いのなかにしっくりと馴染んだ佇まいでした。ここには20年ほど前の設立時に、旧ねおすから若い新人をスタッフ派遣しました。 大学院を卒業したての若い女性だったので、実務応援に私も行ったのですが、私の滞在旅費には予算がつかなかったので、初秋の裏山のスキー場にテントを張ってそこからこれみよがしに通ったのでありました。
 
川湯近辺・弟子屈には旧ねおす出身者が複数移住しています。今回は誰にも会えませんでしたが、元気にしていることは知り得ました。よく使わせて頂いた三香温泉も再開しており、息子さんが継いでいました。
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キャンサーギフト

2021-10-13 12:09:06 | 日記

一、二度しかお会いしたことがないのですが、礼文島にお住まいの歌人であり写真家、自然ガイドの杣田美野里が天に召されました・・・・。

最初は、お子さんが通う小学校で自然体験活動の意義みたいな話をPTAの大会で話させてもらう機会をつくってくださいました。真冬で海が荒れてフェリーがけっ航、帰りに足止めをくらったなあ。 二回目はお連れ合いと経営しているガイドセンターのスタッフ研修というか組織経営のBack Castingのワークショップだったかなあ。 写真句集を持っていましたが、彼女の遺稿となってしまった最新作の「キャンサーギフト」を手に入れました。

「がん患者であることは、けっして幸せなことではありません。でも、命の期限を知り、いろいろなことを諦めたその後で、当たり前と感じていたものが輝きをますことがあるのだと思います・・。」

その内容(短歌、写真、エッセー)は、悲しくもなりますが・・、濃密で美しく、ご自身の命も含めた島の生き物、風も海も、地球の命全体を愛おしく想う気持ちに溢れています・・。

60代後半と、私と同い年なのですが、私は持病持ちと言えども、余命が予想されることなく幸いにも生きております。そろそろ、かつての仲間や知り合いに出会いなおしの旅でもするかなあ・・、その時は最北からと宮本さんご夫妻を第一番と勝手に考えていたので・・・、悲しい・・・。

ページをめくるのが・・、悲しさでくるしいというか・・、 

でも、いちページ、いちページをココロでかみしめるように拝読させて頂きます・・。

合掌・・・。

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あなたが創る、まちづくり読本

2021-10-13 09:20:28 | プログラム 研修、講演等

平成17年? というと、2005年、もう16年前かぁ!! その年に執筆編集作成した「まちづくり読本」

昨晩、起業やファシリテーションについての質問を受けて、直接話し足りない(そもそもZoomだけでは難しい)ので資料を送ってあげようかと思い、この小冊子のことを思い出して在庫本をひっぱり出してきた。

なかなかよくまとめてあると自画自賛。

起業、コミュニケーションやファシリテーションスキル、自然体験活動のプログラミングなど、すべてに通じることをまとめていると思うなあ・・(と、自賛ふたたび)

まずは大志を抱くことが大切なのですが、その大志を抱くためのベースとなる考え方・概念の形成が必要だと思う。そして、パートナーシップ、協働体制をつくってゆくためには、まずは自分自身のことを知らないと、他者とは繋がれない。しかるに、他者とつながるためには・・てなことを書いています。

せっかく良い機会をもらったので、この内容を加筆改編してみるかなあ・・。

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料理のこと

2021-10-12 10:38:07 | 日記
料理番組をみることや、「これはどうやってつくるの?」とよく質問はするけれど、料理はしない、できないワタシです。
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賞味期限とNPO

2021-10-11 11:36:01 | コラム風味

このところにきて、しばらく途絶えていた頼まれ事が次々と持ち込まれています。 講演とか実践的な委員会からのお声かかりが60歳を超えた頃から減ってきました。 若いもんが台頭してきたからね、一緒に仕事をしてきた連中があちこちで活躍しているその評価を聞くことは、嬉しいことであります。 我が賞味期限がやってきていると自嘲しておりますが・・ね。

この秋口からなにやら、思い出されたように依頼ごとが次々に来ています。その与えられる題目ごとに・・、「おい! オマエ、近頃ちゃんと考えてないヤロ!」と自省しつつアタフタしております。 今月下旬には旭川のNPOサポートセンターにお呼ばれしているのですが、その題目は・・、「NPOの継承について・・・」

30代後半から育て上げてきたNPOねおすは、もう7,8年になりますかね、発展的解散と称して各拠点を分派独立させました。それは、まあうまくいった事例でしょう。が・・、その分派のひとつを私は今、黒松内ぶなの森自然学校としてセ金者をしているのですが、ここの継承・継続は、改めての今の喫緊の課題ともなっているわけです。自分の問題でもあるわけでして、しかし課題整理ができていないので、私が演者でいいんかしらという、難しいお題を頂いたのであります。

で、そのための頭の整理につらつらと思いつくままにメモ書きします・・・。

・集まるNPOは福祉系NPOが多いらしい。 目の前に現実的にある社会問題に取り組んでいる福祉系NPOと、社会問題の課題解決に取り組んではいる環境・自然系のNPOの存続継承の意義が大きく異なるんじゃあないかなあ・・。

・つまり、福祉系は、無くなると明らかに目の前に困る受益者がいることが、環境・自然系と大きく質的に異なる。

・NPOは社会課題の解決をミッションにしていることこそに存在意義がある。

・しかし、一方ではNPOは個人の自己実現の手段でもある。 だから、自分が継続持続可能でなくなったら収束解散もよしであると思う・・が、これは福祉系NPOではそうもゆかん身勝手な論法だなあ・・

・NPO経営の理事者との連携、特に現場実務への参画が福祉系はより重要だと思う。

・時間がかかることであるが、NPO経営は社会への人材輩出が使命でもあり、常に人材の成長を経営の方針とすべきである。

・企業の合併のようなM&AをNPO経営も視野にいれるべき時代だと思う。

・スタッフの自由度を高くし、専門だけでなく、スタッフ自らの経験値を高める工夫を常日頃からしているべきである。

・組織のミッションと個人のミッションのバランスが大切。

・むかしの営利仕事で、子どものスイミング教室を閉鎖したことがあったのだが、利用者がじょうずに他へサービス継承できるようにすることも志事ではないか。

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枝豆と大豆

2021-10-11 10:17:56 | 日記

雨の朝 ひと降りごとに秋深まる。 木ノ葉は猛暑の疲れからなんだか精彩のない秋模様。

枝豆を頂いて、そとの元窯小屋のしたで豆ハズしが今朝のお仕事。トタン屋根の雨音聞きつつ、なんだか平和ね。

ところで、不肖私目は、枝豆は大豆であることをけっこう大人になるまで知らなかった。 北海道に移住してから認識したのではないかなあ。 子どもの頃は茹で上がった枝豆が食卓にあがっていて食べるだけだったからなあ。 東京近郊の衛星都市で、身近に畑も田んぼもどんどんなくなってゆく、戦後高度成長期時代だったからなあ。 畑に作物がなっているなどほとんど目にしたことがなかったシティボンボンでしたからね・・。

さらに、福神漬けのカリカリした小さな野菜が「ダイコン」であることも、ジャガイモには地上の茎に実がなることも黒松内町に移住してから知ったので、40歳を越えていたな・・。

てなことを思い出した朝でした。

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