実は我が家(黒松内ぶなの森自然学校)から海は近い。車で10分足らずで日本海寿都湾の砂浜に来れます。
私の寝ている部屋の枕もとの窓の外にヤマグワがあり、最近その木が朝のスズメの集会場となってしまって、夜明け頃にうるさくて目覚めてしまいます。にしても、ぐずぐずと横になったままでしたが、今日は4時過ぎに起きだして、海へ行ってきました。
すると・・・・、
いつもは広い範囲で広がっている砂浜が ない!!!
こんな様子をみるのは、ここへ移住して20数年、初めてそのことでした。
調べてみると、明日が満月。つまり大潮なんだなあ。それも早朝あたり。
「早起きは三文の得」という言葉が分かったなあ。
いや、得でなくて、徳か・・。 まだ未熟なアタシも気づかされた。
日中市民ネットワークのファンシーが例年、中国から環境教育や自然教育に関わる人達の視察体験ツアーを作って黒松内に来てくれていますが、今回のグループは福祉系施設の経営者や研究者でした。
黒松内で推進中の森林療法プログラムを体験して頂きました。五感を開くアクティビティ体験と森歩きをし、野草茶づくりをしてもらいました。これまでの視察は施設見学に終始していたので、この体験型視察にはご満足してくださったことが、終わりのふりかえりの発言でわかり、よっかたです。
その最後に私もこの視察団の真の目的がわかり、ちょっと遅きになり、分かっていたらもう少しやり様を考えたのになとちょっと残念にもなりました。
現在の中国は若者が多いのですが、高齢社会の到来は近未来に予想できます。日本社会ではすでに高齢者対応は待ったなしの状況になっています。そういった意味では、日本の高齢者対策においてはアジアの先進地らしい・・・。その対処ヒントを見つけにの来日でした。
まだ数日、各地を視察して回るそうですが、ここまでの何日間の日本視察で感じたことは、利用者さんへのサービスが充実しているところで、中国では施設重視感を持ったようです。
同行者におひとりだけ、日本人の福祉サービス関係者がいらっしゃったのですが、私達の活動を体験されて、森林療法というよりは、「森林コミュニティサービス」と称した方がよいのではなかろうかとのアドバイスをもらいました。
人と人との関わりを自然の中で育むことで生活のクオリティがあがり、健康寿命ものびるものだというお説でした。 認知症予防にも良いという研究事例も現れているようなので、改めて私達の活動はこの方向でいいのだと、確信もできました。
ロバと旅する青年と会った。
旅の途中で休息に自然学校に立ち寄ってくれました。
話しを聞くと、塩づくりの拠点を探しているとのこと、「そこの体育館は貸してもらえますか?」と聞くので。「さすがに無理」と回答をしました。かつて黒松内町にはか窯炊きをする塩屋さんがいたのですが、調べてみるとその塩づくり小屋はもう壊して更地になっていました。 残念・・
彼の夢は 自分で作った塩をロバに積んで行商をすることだそうです。
その昔、日本では海辺で塩を作り、馬で内陸に運び物々交換や金銭のやりとりがされ、地域間交流が盛んに行われていました。そんな暮らし方が理想なのだそうです。
そんな考え方をする青年が今どきいるなんて、新鮮な驚きでした。
青年、がんばれー!!!
元自然学校のスタッフ達が家族連れで訪ねてくれています。
「ジャングルみたい••••」と、家の玄関をみるたびにMRKさんがつぶやきます。 よーするに、草を刈れと暗に文句をアタシに垂れているわけです。
ガソリン式の草刈り機(棒の先に回転刃がついていて方から下げるタイプ)は、何台もある(動くのは2台かな)あるのですが、ガソリンやオイル点検をして、エンジンを始動して担ぐ・・この一連の動作が年とってくるとなかなかめんどいのであります。
ここのところ、私のfaebookは盛んに草刈り機、特に電動草刈り機を紹介してきます。 動力は充電バッテリー式なのでスイッチだけですぐ始動、しかも軽量で担ぐ必要がない。こんな便利なものはないと買い求めました。 国産マキタを求めたつもりだったのですが・・・、
届いたのは これ中国製じゃあないのかというチャッチイ代物でした。まっ、10,000円程度なんでね・・・。 ねじがつぶれていて最初から組みたたんではないかー!!!!
改めて買いなおすか思案中・・・。 にしても、通販ではなくて、現物を見て買おう。
懇意にしている養鶏場から有精卵を頂いて、ちょっと古い孵卵器で温め中。
母親役のチコさんが長期不在なので アタシが管理の大役を頂いております。自動的に卵を回転させるような器械でなくて、温度調節だけの古いもので旧小学校の理科機材を借りてきているので、最低でも12時間に一度、四分の一回転を手動でしてあげなければなりません。三度目の挑戦でいままで一羽が孵りました。
今回はいかに・・・。
生まれ故郷である千葉県船橋に行って来ました。 叔父貴(私が二十歳に時に亡くなった母の弟が高齢になり「晴光に会いたいな」とつぶやいていたそうで、それに応じた形でした。船橋在住の従兄弟夫妻や弟の娘夫婦も集い、楽しいひと時を過ごせました。私の帰郷をきっかけに皆さんが集まることもできたとのことで嬉しかったです。 北海道高木一族も増えてきたのでみんなであつまりたいとおもいました。
さて、親族を見渡すとアタシも長老の上位にあることが分かって、なんだか時代を感じたなあ・・・。