高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

南後志の環境を(あらためて)考える会を発足

2020-08-31 10:03:09 | 震災支援・脱原発・環境問題

南後志の環境を(あらためて)考える会を発足。 コロナ渦にはまきこまれているものの、平穏には過ごしていた8月中旬、突然にして大きな環境問題が地域に持ち上がりました。 ひとつは今や全国の注目の的となっている隣町寿都での高レベル放射能廃棄物最終処分場の立地立候補となる文献調査への応募問題。 そして、もうひとつは、北海道新幹線の札幌伸長に伴う黒松内工区からヒ素が検出された問題。 急に周辺が騒がしくなりました。 そこで、急遽、黒松内議会議員のIWAさんと「南後志の環境を(あらためて)考える会」なるものを立ち上げて、学習会をメインに開催してゆくことにしました。 

第一回目は、地質研究者であり自然体験活動も教える北海道教育大学の能條先生をお招きして、「黒松内低地帯の地層問題をSDGs的視座で考える」という講演会を開催しました。町内を中心に30名ほどが集まってくださいました。今後、トンネル残土問題などを推進側でない、専門家を招いて学習を重ねてゆきたいと考えています。

寿都問題は、寿都町民が中心となり「子どもたちに核ゴミのない寿都を!町民の会」が立ち上がり、私は町民ではないので、賛同者として、町民の会の活動にも参画しています。

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苔の魅力

2020-08-29 11:22:11 | プログラム 自然療育

町(黒松内)の事業で森林療法という活動に取り組んでいます。

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暑い!!

2020-08-28 12:54:19 | 日記

Facebookのおっせかい機能(何年前の今日のできごと紹介)で、3年前の今日「集中治療室から脱出」とだけ書かれた画面がアップされた・・。  あれは三年前の八月、私の不注意もあってバックしてきたワゴン車に轢かれてしまい、救急車で室蘭に運ばれました。背中側の肋骨がほぼ全部、骨折かヒビが入るという多骨折診断、肺挫傷も少々、脊椎上部も痛めるという、まあ言うところの重傷で緊急手術を受け、1週間ばかりは集中治療室でたくさん管をつけた瀕死状態を脱し、命ながらえて一般病棟へ移った記念すべき日でありました。

昨夜は、長女がやってきたので、MRKさんと三人だけで、そとでBBQをしました。 残り火で小さな焚き火をたいて、彼女と話する時間を取れました。 私の今のいろいろな思いやら、子どもたちが小さな頃の思い出話やら話し、カウンセリングをしてもらったような落ち着いた豊かな貴重な時間が持てました。

生きてるって、素敵なことことだなあ。

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おっ、座った!!

2020-08-26 12:36:12 | 日記
足腰弱り、寝たきりになっていたのですが、自分で起きて座った!!
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私の原点 高校生自然保護の会・・これは性(さが)だなあ・・。

2020-08-24 14:32:59 | コラム風味

「南後志の環境を考える会」なるものを立ち上げて、周辺地域の環境問題を改めて考えようとしているのですが、思えばこのような会を初めて立ち上げたのは、はるか昔、50年ほど前の高校生の時であった。

昭和45年、千葉県立千葉高校に入学して、山岳部に入りました。そして、高校に入ったというよりも山岳部に入ったという三年間を過ごしたのですが、 山岳部は文化系部活とも位置づけられていて、文化祭にも出展教室がひとつ割り当てられていたのです。 時は、学園紛争が盛んになる時期でした。千葉成田空港開発に地元農民の土地が強制収用されることに激しい闘争が勃発し、それは三里塚闘争と呼ばれました。 私の記憶ではこれを大きなひとつの契機として、佐藤栄作首相時代の日米安全保障条約への反対闘争、大学の機構改革を求めた学園紛争へと若者達の革命ごっこが広がってゆきました。そんな激動の時代でした。

高校なのに、闘争参加で学校にこれず、留年した4年目三年生が山岳部にはいました。そして、私が入学した年の山岳部の文化祭展示は、三里塚闘争がテーマだったのです。 テント張って闘争に参加していた先輩がいたのです。私はその活動には参加しませんでしたが・・、公害訴訟が起こり、周辺環境も光化学スモッグ問題が直接ふりかかっているような社会状況で、学生運動とは別に、一方で盛り上がり始めていた自然保護運動にはのめり込みました。

ちょうど、尾瀬ヶ原に大規模林道ができるという計画がありその反対運動が起こっていました。 私は、「千葉県高校生自然保護の会」というのを立ち上げて、房総半島の野生猿の調査に同行したり、東京湾の汚染問題の勉強会などをはじめました。そして、尾瀬問題では、地元群馬の高校生や東京の高校生ともつながり、「関東高校生自然保護の会連合」なるものも仲間と立ち上げました。 大人だけでなく、学生たちにも広がり、尾瀬の反対運動は大きなうねりとなりました。

そのころ、公害問題も種々起こり大きな社会問題化しており、厚生省から公害問題対策や自然公園行政を切り離した環境庁が設置されました。初代長官の大石武一がリーダーシップを発揮して、尾瀬の道路開発は中止となりました。

あれから50年・・・、「南後志の環境を考える会」なるものを立ち上げています。 これは、もう、自分のDNAに内在している性(さが)だなあ・・・。

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グラッチェ

2020-08-23 08:51:15 | 日記

この夏を越えられるか・・・・

13歳を迎える我が家の老犬グラッチェが、夏の終わりから急速に衰え始めました・・・。 大型犬なので、人間の年齢では80歳にも相当するらしいです。 この夏の暑さにやられて・・、寿命が近づいてきたということでしょう・・。

ここひと月ばかりで、急速に後脚、腰に衰えが出て、散歩もままならぬうちに、立てなくなりました・・・。 横になったままで二日ばかりは食事も取れなかったのですが、今日になり少し身体を起こして、水や餌を食べ出しましたが、やはり立てません・・。腰を支え立ち姿勢を補助する腹帯を手にいれたのですが、なんしか太っているので、うまくはかせることできずに、役にたたない・・・、 トイレ始末もあるし、体重40KGを超えるので介護もひと苦労です。

子どもの頃から何頭もの犬を飼ってきましたが、事故にあったり病気で死んでいたので、最期まで、たぶん看取るのは初めての経験です・・。 

過去の飼い犬を思い出すままに・・・

○○○  幼児の頃にいたスピッツかなあ、身近にいたようなかすかな記憶があるが、名前が思い出せない・・。

ポン   黒茶まだらの雑種 小学生の頃  フィラリアで死亡。

ハッピー ポンのあと、高校生の頃までいたスピッツ。 オフクロが亡くなり、その通夜の晩に突然に亡くなった・・

クロス  ビーグル系雑種 いろいろと相性悪く、行方不明となる・・

〇〇〇  名前思い出せず・・、セントバーナードの子犬をもらったのですが、みるみると大きくなり、これは飼いき れないなと、恐れを感じ、知り合いの農場へ貰われていった。 のちに交通事故で亡くなったと聞いた。

バロン  黒松内に移住するときに、次女の希望の黒い犬ということで、札幌でみつけてもらった黒ラブラドール。彼も逃げて、探していたら道路脇で死んでいた。 大きな外傷はなかったが、車にはねられたと思われる。

そして、今のグラッチェ。 始めてペットショップで買った、実は血統書付きの黒ラブ二代目。年を取って来た3年ほど前から、我家初めての室内飼いを始めたワンコです。

写真は、まだ散歩もできた ひと月前のもの・・。  日々弱ってゆくのを観るのはつらい・・です。

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南後志の環境を(あらためて)考える会

2020-08-22 13:33:55 | 日記

羊蹄山を囲む町村を後志(しりべし)地域と言うのですが、ちょっとそこから離れた地域(黒松内町、寿都町、島牧村)は、南後志地域とも呼ばれます。8月も中旬となり、地域の環境に関わる大きな問題がふたつも同時に表面化しました。

これに対して、反対のための運動体ではなく、「問題を知ろう、課題化しよう」という立ち位置での学習会を始めることにしました。 この発足を兼ねて8月29日に第一回目の学習会を開催することにしました。

テーマは、「寿都・黒松内の地層について ~持続可能な未来づくり(SDGs)の視座から見た原発と放射性廃棄物最終処分のありかた~」です。

******

(仮)南後志の環境を(あらためて)考える会

  設立趣意書

 コロナ感染収束は見通せないままの2020年8月に、「環境まちづくり」を掲げてきた北限のブナ里に、突然に大きな環境問題が表面化しました。 ひとつは隣町寿都が、核廃棄物最終処分場の受け入れ調査応募を決定する流れ、もうひとつは、北海道新幹線伸長トンネル工事黒松内の内浦工区の町内に留め置きされる掘削残土から基準値の4倍のヒ素が検出されたこと。 寝耳に水の突然のできごとでしたが、豊かな自然を未来に引き継ぐことを目指して来た私たちとしては看過できない事態となりました。

 

 現在は、推進側の説明だけを聞き、賛成受け入れする大きな流れはありますが、これに対して、ただ推進反対を掲げるだけの市民活動だけでは地域の分断を進めてしまう危惧が拭えません。

 そこで、私たちは、推進派の説明を聞くだけでなく、問題点を科学的、環境倫理学的にも「知る」ことが、まず大切だと考えます。そのうえで、未来に引き継ぐべき豊かな自然、食の安全のあり方など持続可能な社会を創出すべく英慧を絞ってゆかなければなりません。

 これらの問題をいろいろな角度から学習をすることを目的とした会を設立したいと思います。

 

活動方針

反対のための運動体ではなく、ESD(持続可能な開発のための教育)の理念の元にSDGs(持続可能な社会の開発目標)を達成するために、地域の環境問題を広く時間的・空間的視野を持つ視座を養う学習活動を行うことを目的とします。

(例)高レベル放射性廃棄物とはなにか。

黒松内・寿都の地史や活断層など地球史レベルの地殻変動について

幌延の深層地下埋設実験地の今を知る 

新幹線トンネル残土に含まれる有害物質について

野生動物との共生 など

 

発起人代表 高木晴光 NPOくろす野外計画社・黒松内ぶなの森自然学校代表

呼びかけ人 黒松内町 岩澤史郎 大類幸子

      寿都町  渡辺千春

連絡先   090-3392-1683  高木  harusan@buna-cross.org

  

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人生フルーツ

2020-08-22 13:28:12 | 日記

瀬棚にご在住の川村翁を三人の若造爺(アタシ、三木さん、岡崎さん)で訪問しました。 翁は自然学校を黒松内で立ち上げた20年前頃、瀬棚でデンマークの「風の学校・フォイストフォイスコーレ」を実践している方がいるということを知り、訪ねてゆき、初期の自然学校運営委員にもなって頂いたことがありました。 青年たちに農場という暮らしの中での学び場を起こし実践された方です。 今はこの新しいオルタナティブスクール活動は止めらたとのことでしたが、オトナ向けのセミナーは不定期で開催はしているとのことでした。

長い年月をかけて造ってきた庭や畑は気の通りもよく、優しいエネルギーに包まれていました。 たぶん?もう80歳前後であられそうですが、そのゆったりとした立ち振る舞い、お考えをお聞きする豊かな午後を過ごさせて頂きました。 

「人生フルーツ」という、老夫婦が都会の一角で畑を耕し果物を育て、自給自足するようなゆったりとした時間を過ごす様子をたんたんと描くドキュメント映画を見たことがあるのですが、瀬棚町の田舎の山あいの暮らしで、北海道的には広くはない自家農園でしたが、野菜や囲む樹木だけではなく、納屋にある道具や機械すらも、まるで命があって、今はそこでゆっくりと待機休憩しているように感じる佇まいがありました。

人生フルーツの題名に込められた意味は、歳を重ねると熟してくることをさしているのだと思います。 御夫婦おふたりでの暮らしを垣間見て、まさしく、熟されたフルーツ人生なのだなあ・・と、しみじみと感じた 若輩三爺さんでした。

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火と文明

2020-08-20 11:21:18 | 日記
コロナ影響のため、なんと、今期初の学校の体験活動受け入れ。
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落日燃ゆ

2020-08-20 11:18:34 | 日記
美しい!!
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