高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

夏へ

2024-05-16 12:55:39 | 黒松内・寿都
あれほどあった雪が消えて、自然学校の校庭にはタンポポとディジーが咲き乱れています。 ソメイヨシノはテングス病のためにほとんど咲きませんでしたので、病巣の枝をかなりばっさりと切りましたので、来年に期待です。

近くの小学校には春の終わりの八重桜が今年も見事に満開です。


寿都湾では昨年は不漁でまったく水揚げがなかったシラスが獲れました。ここらあたりの日本海寿都湾では、コウナゴ・イカナゴの稚魚なのですが、今年はイワシやらも混ざっているそうです。(一か月ほど前にイワシの大群が漁港の岩壁からも掬い上げられるほどに押し寄せたからかな) 朝6時半に知り合いの漁師さんから「あがったどぉ、いるかい?」と連絡があり、早速分けてもらいに行きました。
二年ぶりの旬の味。うんまいどぉ!!
 
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船頭さんの店

2024-02-11 12:21:59 | 黒松内・寿都

毎週日曜日に近くの寿都温泉の駐車場にある「船頭さんの店」が営業します。地元の漁師さんが直接持ち込んだ魚を市場を通さずに直接販売しています。札幌あたりのスパーの鮮魚コーナーに比べたら、半値、いや三分の一以下のお値段じゃあないのかな。 11時45分開店ですが、その前から大勢のお客さんが詰めかけ開店を待ちます。

MRKさんは漁師のママ友(いや、もうBABA友か・・・失礼)が複数いるので、ここ以外でも直接分けてもらうこともあります。地球温暖化の影響か、ここ日本海寿都湾での漁獲も魚種もここ20年で大きく変化、減少してきています。 昨年は、名産のコナゴがまったく獲れませんでした。毛蟹もダメでしたし鮭も不漁。 代わってブリが増えたりもしています。

春が来て、今年の漁業はどうなるのでしょうか・・・。

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なんと

2023-08-13 08:56:56 | 黒松内・寿都

オー!!! なんと!!

連日北海道らしからぬ暑い夏が続いています。 子どもキャンプも水プログラムが続いています。

先日、国道229号の朱太川にかかる橋付近で生き物探しをしていたのですが、スタッフのCHNがカレイを捕獲しました。 黒松内へ来た頃にもっと下流の河口付近でカヌーの上から黙視したことがありましたが、その後は発見もなかったのでした。  それよりももっと上流での捕獲!!

まだ、この川はけっこう豊かな生態系を残しているのだなあと感動。

ヌマカレイというらしい。

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2023-06-29 17:31:24 | 黒松内・寿都
大沼で宮本英樹さんと牧場型自然学校を立ち上げた大藤さん一家が黒松内に移住してきました。 お連れ合いが洋菓子工房を開業したのですが、その横の土地に羊の放牧場を作りました.そして、3頭がやってきました。
もう夏ですから、放牧前に毛刈り。地域の小学生も体験をしました。



羊飼いを増やしたい宮本さんも同行。 彼とはねおす立ち上げ当初からの同志です。 「黒松内を羊王国にしよう!」なんて言っています。 私ももう10年ほど前に羊を1頭ですが、飼いました。近所の農家と話して年に1頭でいいから出荷しようなんて計画をしたのですが、その羊はジュリエットと名づけて可愛がっていたのですが、スタッフの不注意から死なせてしまいました。 五右衛門と名付けたオスも手に入れたのですが、あまりにも凶暴で、私はロープで引きづられて、トドマツに肩をぶつけて怪我をしたこともあり、お引き取りを頂いたことがありました。
 
その後、札幌の円山動物園の仕事をした見返りとして、トカラヤギとういう珍しいヤギももらったのですが(仕事の代償の現物支給ね・・)、このヤギがのちに家畜の法定伝染病の保菌者であることが分かり、家畜保健所に引き取られて殺処分されてしまったことがありました。
 
個人的には、ヤギか羊はまた飼いたいのですが、彼らは牛と同じ仲間で、病気が伝染するのです。 ここらあたりは、牛飼い屋さんが多いので、自然学校のように不特定多数のお客さんが訪れるところでは、(前科もある・・と言っても我々の責任ではないのですが・・)ので衛生管理ができんだろうと近所の酪農家からは、「遊びで飼わんでくれ」と念を押されているのです・・・。
 
学校の裏手の山麓には、もう使われいない広い牧草地があるのですが・・、そこを羊農場にできないかなあ・・などを夢想をしておりますが・・・、俺には無理だろうなあ。。。
 
仕掛け人のみやもっちゃんと、毛刈りされたひつじさん。
 
 
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朱太川の鮎

2023-01-26 11:16:16 | 黒松内・寿都

黒松内町を太平洋側から日本海へと縦断(いや横断かな)する朱太川は実は鮎が釣れます。 全国鮎の香味コンテストという大会があって、朱太川の鮎はグランプリと準グランプリと二度も獲得しています。

日本の各地のアユ釣りの川は、琵琶湖から持ってきて放流する河川が多いのですが、ここ黒松内産の鮎は、朱太川漁協が夏の終わりの産卵時期に鮎を捕まえて養魚場(実は自然学校の裏手の支流にあります)孵化させて放流させています。つまり地元産の鮎を育てているというかなり稀な天然物なのです。7月からの鮎釣り解禁後は全国から釣り人が来ますが、残念ながら町内でいつも鮎を出している飲食店はありません。川自体が大河ではないので、鮎の生息数はさほど多くはなく、釣り人が釣った鮎を買い取る仕組みを作ってしまうと資源の枯渇が心配されるからです。

であっても旨い鮎の産物を開発しようと地元観光協会、漁協と商店が協力して、鮎の燗酒を商品化しています。 今日はそのNHKが自然学校のキッチンで鮎を焼いてから燗酒にする様子を取材しに来ました。 

残念ながら・・、アタシは賞味はできませんでした。ちょっと覗きにいって、途中で帰ってしまったからなあ・・。

燗酒用鮎は真空パックで町内の田中商店で販売している模様です。

https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-na38e16773194

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探検・巡検

2022-03-11 11:22:46 | 黒松内・寿都
3月10日
国道229の岩内から寿都の海岸線沿いに雷電温泉がありますが、随分前に閉鎖されて廃屋になっています。大きなガラス張りの展望大浴場があります。今も国道から見上げることができるのですが、その「内部が植物が繁茂していてジャングルのようになっている」との噂情報があるので、三木師匠と確認にゆきました。

が・・・。


大きな展望ガラスは、割れていて(心無い輩が破壊したのだろう)て、廃墟化しているだけで植物はなかった。 隣接する加藤旅館の露天風呂も同様にガラスが破壊されていて、露店風呂は凍っていました。でも、内風呂には地下水にしてはちょっと温かいかなと感じる冷泉がまだ吹き出していましたが、植物はありませんでした。  あとあと友人のINR情報によると、この加藤温泉の廃業後と思われる写真がツイッターに出されており、それは苔らしき緑が繁茂していた幻想的な写真だったらしいとのこと。 ガラスが割れて冬の寒風極寒のためにコケ類さえ消滅してしまったのかもしれないな。 夏に覗きにゆけば緑もあるかもしれない。
 
そして、もう一箇所、伝聞情報だけだった、岩内にあるという大仏さんを拝みに足を延ばした。 観光協会へまず行って聞くと、それは 帰厚院というお寺であるそうで、さっそく探しにゆきました。 バカナビに振り回されてクルクルと市街地を徘徊しましたが、そのお寺を見つけました。
 
あった!!
なかなか立派なお大仏様でした。 なんでも鎌倉以北で最大であるらしいです。 御本尊のお釈迦様はこの大仏様のおなかのなかに奉納されているとのことでした。 このお寺さんは今でもコミュニティ性が高く、地域向けのいろいろなイベントを定期的に、たとえば、カレーライスの日、駄菓子屋の日など、開催をしているとのことです。
 
夏目漱石が岩内に戸籍をおいたという話も聞きました。(1892年・明治25年4月5日~1914年・大正3年6月2日までの22年間も岩内郡民であった) このお寺ではないのですが、当時の北海道はまだまだ和人が押し寄せていた開拓時代で、北海道戸籍の若者は徴兵を逃れることができたらしい。(食糧生産、資源開発のため)・・、そのためという説もあるらしい・・、しかし、実際には移住し住んだことはなくて、東京で新聞社に勤めたり、ヨーロッパへ留学もしていたという事実があります。徴兵制度が解除されて再び戸籍を東京に戻しました。 常時戦時下みたいな時代に簡単に戸籍の移動はできなかっただろうに、岩内在住の三井財閥系の御用商人に紹介を繋げてもらったらしい。 著名な誠実文豪というイメージがくずれてしまうようなエピソードだなあ・・。
 
その戸籍を作った港に近いその地番には、近年の建立であるが記念碑が建っているらしいので、これも伝聞ではなくて、この目で確かめに行ってこようと思う。
 
 
 
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すっつ湾お宝勉強会

2021-12-22 16:42:16 | 黒松内・寿都
高レベル放射性廃棄物の地層処分地候補としてのその建設事前文献調査を受け入れている隣町・寿都町の教育委員会が主催している「すっつ湾お宝勉強会」なる活動に参加しています。 これは元々寿都町民むけの社会教育事業なのですが、自然学校として来訪者を地域へご案内するとき、すぐ隣町のことも知らねばならんと思い自主参加させてもらっています。

町内の地域資源(産物、歴史、史跡、産業、自然など)をチームに分かれて調べて発表し、ゆくゆくは、寿都町のお宝として町が認定してゆこうという事業です。 私はニシン番屋に保管されてきた調度品・じゅう器類の調査と、建材にも使われた自然石の調査チームに入っていますが、令和3年度はコロナ禍で、集合して調査をすることができませんでした。今日は年も押し迫ったのにやっと第1回目の全体会合が開催され、出席してきました。町民10人ほどが参加していました。本年度のお互いのチームの調査報告は(調査していないので)ありませんでしたが、今後どうするかの確認作業をしました。
 
例年3月頃に調査発表会をするのですが、それもできないので、通信レターを出すだけとし、今後の方針が確認されました。 歴史や景観などお宝をカテゴリー(お宝箱)分けして、なかでも重要だと思うモノ,事柄を会として寿都のお宝として推挙して、教育委員会に認定してもらい、広く町民にも知ってもらい、来訪者へもツーリズムとして資源利用してゆこうとの大きな流れを確認しました。
 
わが町・黒松内にも地域のお宝探しの町民活動があるにはあるのですが、ほとんど動いていませんので、こういった活動はうらやましいです。 また核ゴミ問題で揺れる寿都町ですから、地元ならではの大切な地域資源を町民みずからが探し、町内にその素晴らしさを伝えてゆくことにもたいへん有意義であると思います。
 
さて、話は変わって・・、
高校生の英語弁論大会で、黒松内出身の女子高生が核ゴミ問題を取り上げて、表彰を受けました。その弁論内容を英語と日本語で朗読し、それに黒松内町在住のかたによるお琴の伴奏とコーラスをつけたCDが黒松内町民有志によって制作されました。 なかなかよくできていて、私も聴き、感動感激しました。 Youtubeにでもアップする計画もある?ようですので、リリースされたら、広報しますね。 ぜひ、多くの人に聞いてもらいたいです。
 
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鮭稚魚放流

2021-04-22 16:02:02 | 黒松内・寿都

黒松内を流れる朱太川の上流、歌才(うたさい)の林の中に鮭の稚魚の養殖水槽があります。孵化は自然学校のある作開(さっかい)地区にあるのですが、産まれるとより上流に移動させられます。

水槽は縦15mX3m位で3槽あり、それぞれに100万匹程の稚魚が飼われています。訪ねたところ、ちょうどこれから餌を与えてからいち槽分を放流すると、漁協の作業員が言うので1時間ほど待ちました。
 
鮭の稚魚はここから10数km川を下り日本海寿都湾に出ます。それから(たぶん)北回りでオホーツク海~太平洋に出て北太平洋をくるりと回帰して3ー5年かけてまた朱太川に戻ってきますが、その回帰率はわずか3%ほどなのです。小学生に説明するときには、100人がばぁーっと、校庭に遊びに行って休み時間が終わり教室に戻って来れるのは2、3人だと説明するとびっくりします。
 
様々な危険を乗り越えて帰って来いよ!と、支流小川に流される稚魚を送りました。
 
帰って来られても、最後に人間に捕られるか食われちょうんだけどね……。ちなみに養殖用に捕まっても雌一匹に受精は1/10の雄一匹がいればいいので、雄の生存競争はかなり厳しいのだ。
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弁開凧次郎翁を想う

2021-04-02 11:25:46 | 黒松内・寿都
弁開凧次郎さん(アイヌ名 イカシバ)が亡くなられたのは黒松内で、その記念碑が町内にあることをひょんなことから知った。(というか、いままで知らなかった)・・・、で、その碑を探して来ました。

イカシパは、八雲辺りのコタンの長で、それも20代の若くして(総オトナ)になった人望・知識・技術が高い人物であったらしい。 家畜商として獣医としてのチカラと技術もあり、その仕事で黒松内にも足繁く来ていた。 八甲田山の陸軍の大遭難(八甲田山死の行軍)の捜索では、北海道アイヌ捜索隊として大活躍して積雪期の中で数多くの遺体収容にもあたったという。
 
黒松内でなくなったのは、大正八年十月二十三日、ガスが深い夜に当時丸木橋だった大成地区の観音橋から墜落事故だった。七十二歳であった・・。
       
現在の観音橋から見た事故があったという朱太川の今日の様子。 その石碑は、旧大成小学校の校庭の片隅にありました。 除幕には、アイヌによる供養祭もあったらしい。 今もやっているのかなあ・・。
 
合掌・・・。
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風雪に耐えて

2020-11-14 10:49:09 | 黒松内・寿都

寿都町と黒松内町、島牧村で分ける寿都半島(私だけの通称)には月越山地が背骨のように伸びています。その最高峰(とはいえど、標高503mですが)の名前は母衣月山といいます。読み方は「ほろつきやまやま」です。 北海道はアイヌ語源の地名が多いのですが、これはかない大和語起源のように感じますが、その由来はわかりません・・。

この頂上には、遠くから樹冠だけが見える大木のような常緑針葉樹あります。それを見ざして冬期にスノーシューで目指したことがありました。無雪期は背丈以上の根曲がり竹が密生しているので近づけません。 ときおり太いダケカンバなどがありますし、ちょっと離れた場所にはミズナラの大木もあるので、かつては原生の森だったのでしょうが、ニシン漁盛んな頃に生活やニシン油製造のための燃料としてバンバンと伐採されてしまったのでしょう。

近づくと、大木あらず、なんと背丈ほどのオンコの木(いちい)なのです。 風雪に耐えて成長ができなかったのか・・、あるいは、あまりにもわかりやすい目印のように鎮座しているので、誰かが植えたものなのかもしれません。

なかなか近づきがたい場所にあるのですが、大切にしたいいち樹です。

(写真は 山本竜也さん撮影)

PS アイヌ語で 大きな盃を伏せた山 みたいな名前でもあるらしい・・と、とあるかたからお知らせが来ました。

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