近くの小学校には春の終わりの八重桜が今年も見事に満開です。
近くの小学校には春の終わりの八重桜が今年も見事に満開です。
毎週日曜日に近くの寿都温泉の駐車場にある「船頭さんの店」が営業します。地元の漁師さんが直接持ち込んだ魚を市場を通さずに直接販売しています。札幌あたりのスパーの鮮魚コーナーに比べたら、半値、いや三分の一以下のお値段じゃあないのかな。 11時45分開店ですが、その前から大勢のお客さんが詰めかけ開店を待ちます。
MRKさんは漁師のママ友(いや、もうBABA友か・・・失礼)が複数いるので、ここ以外でも直接分けてもらうこともあります。地球温暖化の影響か、ここ日本海寿都湾での漁獲も魚種もここ20年で大きく変化、減少してきています。 昨年は、名産のコナゴがまったく獲れませんでした。毛蟹もダメでしたし鮭も不漁。 代わってブリが増えたりもしています。
春が来て、今年の漁業はどうなるのでしょうか・・・。
オー!!! なんと!!
連日北海道らしからぬ暑い夏が続いています。 子どもキャンプも水プログラムが続いています。
先日、国道229号の朱太川にかかる橋付近で生き物探しをしていたのですが、スタッフのCHNがカレイを捕獲しました。 黒松内へ来た頃にもっと下流の河口付近でカヌーの上から黙視したことがありましたが、その後は発見もなかったのでした。 それよりももっと上流での捕獲!!
まだ、この川はけっこう豊かな生態系を残しているのだなあと感動。
ヌマカレイというらしい。
もう夏ですから、放牧前に毛刈り。地域の小学生も体験をしました。
黒松内町を太平洋側から日本海へと縦断(いや横断かな)する朱太川は実は鮎が釣れます。 全国鮎の香味コンテストという大会があって、朱太川の鮎はグランプリと準グランプリと二度も獲得しています。
日本の各地のアユ釣りの川は、琵琶湖から持ってきて放流する河川が多いのですが、ここ黒松内産の鮎は、朱太川漁協が夏の終わりの産卵時期に鮎を捕まえて養魚場(実は自然学校の裏手の支流にあります)孵化させて放流させています。つまり地元産の鮎を育てているというかなり稀な天然物なのです。7月からの鮎釣り解禁後は全国から釣り人が来ますが、残念ながら町内でいつも鮎を出している飲食店はありません。川自体が大河ではないので、鮎の生息数はさほど多くはなく、釣り人が釣った鮎を買い取る仕組みを作ってしまうと資源の枯渇が心配されるからです。
であっても旨い鮎の産物を開発しようと地元観光協会、漁協と商店が協力して、鮎の燗酒を商品化しています。 今日はそのNHKが自然学校のキッチンで鮎を焼いてから燗酒にする様子を取材しに来ました。
残念ながら・・、アタシは賞味はできませんでした。ちょっと覗きにいって、途中で帰ってしまったからなあ・・。
燗酒用鮎は真空パックで町内の田中商店で販売している模様です。
が・・・。
町内の地域資源(産物、歴史、史跡、産業、自然など)をチームに分かれて調べて発表し、ゆくゆくは、寿都町のお宝として町が認定してゆこうという事業です。 私はニシン番屋に保管されてきた調度品・じゅう器類の調査と、建材にも使われた自然石の調査チームに入っていますが、令和3年度はコロナ禍で、集合して調査をすることができませんでした。今日は年も押し迫ったのにやっと第1回目の全体会合が開催され、出席してきました。町民10人ほどが参加していました。本年度のお互いのチームの調査報告は(調査していないので)ありませんでしたが、今後どうするかの確認作業をしました。
黒松内を流れる朱太川の上流、歌才(うたさい)の林の中に鮭の稚魚の養殖水槽があります。孵化は自然学校のある作開(さっかい)地区にあるのですが、産まれるとより上流に移動させられます。
イカシパは、八雲辺りのコタンの長で、それも20代の若くして(総オトナ)になった人望・知識・技術が高い人物であったらしい。 家畜商として獣医としてのチカラと技術もあり、その仕事で黒松内にも足繁く来ていた。 八甲田山の陸軍の大遭難(八甲田山死の行軍)の捜索では、北海道アイヌ捜索隊として大活躍して積雪期の中で数多くの遺体収容にもあたったという。
寿都町と黒松内町、島牧村で分ける寿都半島(私だけの通称)には月越山地が背骨のように伸びています。その最高峰(とはいえど、標高503mですが)の名前は母衣月山といいます。読み方は「ほろつきやまやま」です。 北海道はアイヌ語源の地名が多いのですが、これはかない大和語起源のように感じますが、その由来はわかりません・・。
この頂上には、遠くから樹冠だけが見える大木のような常緑針葉樹あります。それを見ざして冬期にスノーシューで目指したことがありました。無雪期は背丈以上の根曲がり竹が密生しているので近づけません。 ときおり太いダケカンバなどがありますし、ちょっと離れた場所にはミズナラの大木もあるので、かつては原生の森だったのでしょうが、ニシン漁盛んな頃に生活やニシン油製造のための燃料としてバンバンと伐採されてしまったのでしょう。
近づくと、大木あらず、なんと背丈ほどのオンコの木(いちい)なのです。 風雪に耐えて成長ができなかったのか・・、あるいは、あまりにもわかりやすい目印のように鎮座しているので、誰かが植えたものなのかもしれません。
なかなか近づきがたい場所にあるのですが、大切にしたいいち樹です。
(写真は 山本竜也さん撮影)
PS アイヌ語で 大きな盃を伏せた山 みたいな名前でもあるらしい・・と、とあるかたからお知らせが来ました。