高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

12月30日

2021-12-30 12:04:36 | 日記

明日は大晦日か!! あっと言う間の2021年でしたなあ。 年々、時が過ぎるのが早く感じるようになってきた。 たぶん歳を重ねるほどに時間の経過は加速度化してきて、そのうちに時の流れの中に昇華するんだろうなあ・・・と感じる。

家にいると、Mさんから「やれ風呂を掃除しろ、離れのトイレの凍結をなんとかしろ、ゴミ箱にゴミが溜まっているでしょ!」と、小言命令ばかりなので、事務所に逃げてきた。自分の机周りを片付けること優先したいのですが、もう何年も繰り越している。長年に貯まりに溜まった書類がカゴに山積みなので、底の方は見返さなくて、捨ててしまえはいいのですが、そうもゆかずチェックしているうちに読み込んだりして、ちっとも進まない・・・

2022は断捨離、終活をせんといかんなあ・・。思い切ってガシガシとやらんといかん!!

 近所の除雪ボランティアをしているので、大雪年で三ヶ日を雪掻きばかりしていた年もありましたが、この年末年始は、帰省しないスタッフもいるので、正月に大雪が降っても安泰だ。

明日、大晦日は、ここ数年の恒例行事化した宴会を樋口さん家族と渡辺さんとすることになります。 2年前は酔っ払けて、廊下で転び低い棚に目の下打ち付けて眼窩骨折して、正月明け方に救急車で室蘭の病院に運ばれて、そのまま松が明けるまで入院という大失態をしたので、自重自重ね・・・。

 

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冬キャンプ

2021-12-28 10:34:36 | プログラム 子ども

クリスマスは過ぎて今年もあとわずか。この冬休みの黒松内ぶなの森自然学校の子どもキャンプは年末と年始の一本ずつ実施します。その一回目が12月27-29日の二泊三日で開催されました。

私は外遊びには全編参加ではくたびれちゃうので、部分参加。 二日目は黒松内スキー場へ。スキー場といっても、100m位のトウリフト(バーを股の間に挟んで引っ張り上げてもらうリフト)があるだけですが・・、冬休みになっても営業をしていなくて。貸切状態でした。 私たちはスキーをするのではなくて、ソリ遊びをするので、好適地です。

けっこうな斜面傾斜なので、アタシは登りが辛くて、一本だけ滑走しました。無念にも途中大転倒でしたが、67歳にもなって、そのトライ姿を子どもにみせることが目的なので、まあ、ヨシとしよう。 夏の漁港の堰堤からの頭からの飛び込みは65歳まで続けました。これは飛び込み角度が悪いと身体への打撃が大きいので、この夏からはさすがに中止しましたが、雪そりは70歳まで続けたいと目標にするかな。

校庭では雪遊び三昧でした。

 

 

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スノーシュートレッキング

2021-12-24 00:06:27 | 日記
 
 
旧知の友人、三木さんと丸口さん にいなり母子で中山峠に集まって気ままにスノーシュー散歩をしました。 ネオス時代には、初冬12月のスノーシューツアーの第一弾は中山峠での新雪深雪、かつ粉雪の中を腰まで埋まりそうにバファバファを歩いた楽しい記憶があるので、出かけたのですが・・、なんだか湿った雪でそうならず、かつ風景が随分と変わっていた。 さほど高くない針葉樹が雪の造形となりあちこちに林立して美しかったのですが、 伐採されちゃったんだろうか・・、平原も多く、正直・・トレッキングとしてはさっぱりと面白くなかったなあ。 でも、気のおけない旧知の友達とブラブラと歩くのは楽しい。  おっさん爺さん三人は、林道を並んで歩いていると・・
やれ、「最近は息切れがする・・」
やれ、「血圧の薬は飲んだほうがいいよ・・」
とか、「手術ばなし」が、中心の会話になってしまうんだなあ・・・。





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すっつ湾お宝勉強会

2021-12-22 16:42:16 | 黒松内・寿都
高レベル放射性廃棄物の地層処分地候補としてのその建設事前文献調査を受け入れている隣町・寿都町の教育委員会が主催している「すっつ湾お宝勉強会」なる活動に参加しています。 これは元々寿都町民むけの社会教育事業なのですが、自然学校として来訪者を地域へご案内するとき、すぐ隣町のことも知らねばならんと思い自主参加させてもらっています。

町内の地域資源(産物、歴史、史跡、産業、自然など)をチームに分かれて調べて発表し、ゆくゆくは、寿都町のお宝として町が認定してゆこうという事業です。 私はニシン番屋に保管されてきた調度品・じゅう器類の調査と、建材にも使われた自然石の調査チームに入っていますが、令和3年度はコロナ禍で、集合して調査をすることができませんでした。今日は年も押し迫ったのにやっと第1回目の全体会合が開催され、出席してきました。町民10人ほどが参加していました。本年度のお互いのチームの調査報告は(調査していないので)ありませんでしたが、今後どうするかの確認作業をしました。
 
例年3月頃に調査発表会をするのですが、それもできないので、通信レターを出すだけとし、今後の方針が確認されました。 歴史や景観などお宝をカテゴリー(お宝箱)分けして、なかでも重要だと思うモノ,事柄を会として寿都のお宝として推挙して、教育委員会に認定してもらい、広く町民にも知ってもらい、来訪者へもツーリズムとして資源利用してゆこうとの大きな流れを確認しました。
 
わが町・黒松内にも地域のお宝探しの町民活動があるにはあるのですが、ほとんど動いていませんので、こういった活動はうらやましいです。 また核ゴミ問題で揺れる寿都町ですから、地元ならではの大切な地域資源を町民みずからが探し、町内にその素晴らしさを伝えてゆくことにもたいへん有意義であると思います。
 
さて、話は変わって・・、
高校生の英語弁論大会で、黒松内出身の女子高生が核ゴミ問題を取り上げて、表彰を受けました。その弁論内容を英語と日本語で朗読し、それに黒松内町在住のかたによるお琴の伴奏とコーラスをつけたCDが黒松内町民有志によって制作されました。 なかなかよくできていて、私も聴き、感動感激しました。 Youtubeにでもアップする計画もある?ようですので、リリースされたら、広報しますね。 ぜひ、多くの人に聞いてもらいたいです。
 
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空が割れた.!!

2021-12-21 15:05:40 | 日記

急に寒くなったような本格的な冬到来!!

例年よりも初雪が遅かったのですが、いよいよ根雪のようです。 以前のような忙しさがなくなったので、あまり師走感はありませんが、今週はクリスマス、そして大晦日もカウントダウンに入ってきました。 あっと言う間の1年間でしたなあ。

この一年もコロナ禍の中で過ごしました。 自然学校の来訪者は激減したままですが、ちょっと人々の気持ちも緩んだのか、来訪者は続きました。(あまり収入にならないような身内的ではありましたが)、自然学校の経営は基本的に後進に委譲していますので、彼らは自分たちの手取収入を切り詰めて、昨年の国からの持続化給付金のおかげで、繰り越し金もあって、なんとか乗り切っている状況ではあります。

私自身としては、人生66のぞろ目年でありました。狭心症が見つかって、カテーテル手術なんぞをしましたが、年相応に衰えつつもありますが、なんとか健康で日々を遅れたことを天に感謝です。

まっ、次のぞろ目の77まではとりあえずは生きながらえようと思います。 で、来年は車が運転できるうちに少し遠くに旅でもするかな・・。

目の前の曇り空が割れて、明日の日が見えました。 なんか、好運ね。

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娘孫

2021-12-20 15:02:33 | 日記
やっとなついてくれたかな。
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67歳になりました。

2021-12-15 10:49:13 | 日記

事務所に入ると、チコちゃんが、驚くばかりに大きな声で「おはようございます!!」と迎えてくれて、机につくと、パソコンが花盛り!!

そう、今日は我が命の生誕67回目の記念日でありました。 「もう67か」と思うか、「まだ67か」と思うかで随分と違うよ、実の娘たちからは「お父さんは自分で年寄りによりすぎる」なんて、批判とも励ましともつかぬことを言われたりしとりますが・・・。 小学生の頃(とはいうもののそれは半世紀以上昔のことなのだなあ・・)に夏の高校野球球児の活躍を見て、随分と大人だなと感嘆したものでした。高校生になると大学生が随分と大人に感じ、30,40代の頃は60代はけっこう年寄りに見えたもんだが、いざその年代になると、やっぱり老齢大人になりきれてないなあと、感じているのです。

FacebookやTVのバラエティ取材番組で70,80代の元気に働く、山間地でひとり暮らしをするお年寄りが紹介されて、凄いなあ、私にはできんなあと感嘆したりしています。国は人生100年、死ぬまで働いて自助を喧伝し、保険会社は盛んに保険の見直しを進めていますが、厚労省正式発表の平均年齢は確か80歳代だと思うんですが・・、すると、アタシの余命もあと10数年だなあ・・。 

そもそも私の人生は10年スパンくらいに変化してきました。私はタスク型人間なので、目標を持つことで生きて来ました。なので「人生未来年表」なるものも作っています。最期に作ったのは、30代中半だったかな。それは、机の引き出しの中に今もあると思います。その年表はBack-Castingになっています。しかし、65歳までしかなくて、あとは生きていれば儲けものという作りとなっています。なので、すでにおまけの空白を生きていることになります。そして、65歳までのその目標は70%くらいは達成できたかなと自負しております。

残りの30%は、実は・・「高齢者福祉的な自然学校・福祉施設」設立だったのですが・・。

しかし、なにかひとつの仕事をそれなりにカタチづくるには10年はかかると考えて生きてきたので、今から10年をゼロから立ち上げるのはしんどいのであります・・。

でもね・・、65歳以上の空白時間帯にやりたいことは、ないことはないのです。 実は、こんな名刺を持っています。

My田舎づくり実践研究所 所長なるものです。なにも組織だったものではない、研究所といっても、ひとり事務所です。事務所といってもなんの事務も研究仕事も予算も収入もありませんがね・・。 この動機は、半農半X(はんのうはんエックス)を提唱している塩見さんから、「何か自分の興味を持っていることを研究所にしてしまえば、楽しいよ。高木さんだったら、半自然学校半Xで、そのエックスを何か決めればいいんじゃない」とのアドバイスで、「田舎」をキーワードエックスにしたのでした。

黒松内に移住した大きな目的のひとつは、

私は、都会生まれ、40歳近くまでは都会生活者(幼少期はここ黒松内のような田園地帯の神社の境内脇に住んでましたが・・、急速に都市化されました)で、父方母方の祖父母もみな同じ地域に住んでいましたので、私にはいわゆる「田舎」というものがありませんでした。なので、自分で田舎を創るしかないな、そして、そこに居る爺ちゃん、婆ちゃん(カミさんはそこまで考えていないと思うが。。。)になり、人が帰って来れる居場所になろうという決意でした。

と、いうことで・・、そういう意味では、余白の部分を埋め始めているのかもしれないな。

当面の目標は死ぬまで、黒松内に住んでいようと考えているのです。 私自身は、何ができるわけなく、連れ合いのMRKさんに会い彼女の作ったごはんが食べたくて訪ねてくる人が多いので、彼女に先立たれては、MY田舎づくり実践も途絶えてしまうかもしれませんがね・・・。 まあ、死ぬまでここで存在していることが、実践だなと思う、誕生日の朝。

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インタープリテーションセミナー in 比企

2021-12-14 11:08:52 | プログラム 研修、講演等
やっぱり疲れたなんだなあ・・。精神的にも肉体的にも。先週水曜日12/8から土曜日まで埼玉県比企地域に出張していました。インタープリテーションの研修仕事だったんですが、いままで知らなかった初めての土地でフィールドワークを事前にしてその地域の案内を研修参加者に実際にして、その後、意図開きのような講義をするという流れのお仕事でした。当日前は、珍しくなんだか緊張して、2,3日は睡眠不足であったし、フィールドワーク2日間は一日2万歩もあるいたりしましたからね・・。 なんだか海外出張、中国へ1週間くらい行ってきたみたいに疲れてしまって、帰ってきた翌日は一日寝ておりました・・。

しかし、初めての土地をじっくりと歩き、その後にインタープリテーションに馴染みのない方々(参加者は20名)にその意義やコツを伝える仕事は、なかなか面白くもあったので、こころよい疲れも今日も引きずっています。


比企地方は、かなり広い範囲で、その中心は東松山駅となります。 武蔵野丘陵地帯の北の方という位置になるのかな。
ここは来年のNHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人衆」のひとり比企氏に治められていた地域です。この氏は鎌倉時代の北条氏に滅ぼされてしまいました。そして、時は室町時代と続き、足利将軍による武家政治と続き、その没落と同時期に織田信長が登場し、私たちが社会で習った群雄割拠の戦国時代に突入したのですが、この戦国時代というのは、もっとずっと昔からあったのだと、今更ながら気づかされました。

以下、私が今回訪れての理解でありますが、
この地は、今では比企一族の名を冠して比企地方といいますが、その昔、平安時代の終わり頃から鎌倉時代のはじめには、畠山一族が統治していて、いわゆる関東東国武士の発祥の地です。社会科で習ったのは、平安貴族が荘園を起こしその地所を守るために武士集団をつくり、その武士が力をつけて来て、武家政権(鎌倉幕府)となった、平安後期の平氏政権は貴族政権の傀儡であって武家政権ではなかったと習いました。 戦国時代は実は織田信長以前の100年以上前から小地域的な群雄割拠が盛んな戦闘・戦争を繰り返していたのです。 埼玉県にはその当時の城郭・館跡が800箇所近くも確認されており、ここ比企地方にはその1割強が集中していて、その当時の戦乱の激しさが想像できます。

城というと、天守閣がある城郭を想像しがちですが、それは織田信長時代の話であって、この当時は地勢を利用した山城であり、多くの兵士が駐屯できるような館が峰の中に造られたのでした。


なので、どの城郭跡や神社仏閣も小高い場所にあって、訪ね歩くのがたいへんでした。
階段があるのは、比較的新しい時代であり、多くは山道です。なので、今は、ハイキングルートも多くあり、東松山はウォーキングのまちづくりもしているのです。
 
それらの麓は、農村地帯です。またかつては、養蚕も盛んで、牧(まき)、つまり馬の生産地でもあり、陸路の要害地であるととも産物も豊富な肥沃な地帯であったために、その割拠に幾多の戦乱の舞台となりました。
 
ところで、その戦闘の兵士はだれか?となると、皆が武士ではないのでした。兵隊さんはその領地のお百姓さんだったのです。戦がはじまりそうになると城主から徴兵されて戦いの尖兵となったのでした。戦場は自分たちが耕した田畑であったりしたのです。 多くの集落民も命を落としたことでしょう、田畑も荒れてしまいました。一時の戦乱が終わると、再びそこを復興させて耕作に励むのでした。 そんな幾多の時代を乗り越えて、この山村集落は、いまやのどかで平和な空気に包まれていました。
 霜里地区にある元小学校のコミュニティ施設で、午後はインタープリテーションの意義やコツをお話させて頂きました。 この一帯は有機農業地域にもなっていて、お昼はおいしい有機野菜やお米のランチプレートでした。
 
講演会も、まあ・・、お伝えしたいことはお伝えできたかな。
 
 
 
 
 
 
 
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どうしよう・・・・

2021-12-07 18:03:15 | 日記

ここのところ日中は10℃になっていたので、校庭の雪はきえました。 明日からはひさびさの本州出張。着るものはどうしたらいいんでしょう・・・。

さて、facebookで友達申請がいろいろ来るのですが、最近はほとんど直接知っている人からはありません。傾向としては、モデルさんのような若い女性、未亡人というようなひとり身の中高年齢女性、ちょっと正体不明なおじさん、お兄さん・・・、Banker(銀行家)と称する人からも数度、遺産相続の話題が持ち込まれたこともあります。 米軍従軍中の女性兵士というのも数度ありました。 どれもこれもアヤシイかぎりであるので、まずご自身の投稿をチェックします。投稿がない、自分の自撮画像しかない人は無視かブロック。基本、その人の投稿記事が自分にとって意味がありそうであれば、自己紹介のない知らない方からでも、リクエストに応じています。

なのですが、昨日、ダマスカスの女性からリクエストがきました。主に自画像ばかりだったのですが、高校生らしい、ダマスカスを私が興味を持っているマダガスカルと勘違いして、交信を始めてしまいました。 高校生ではなくて(これは写真から勝手に思い込んだ)、シリアの難民キャンプ場にいる(自称)看護師さんでした。 「日本は平和か?」との質問から始まっていろいろとやりとりをしてしまいました。すると・・、シリアが今置かれている状況や 自分の家族が従軍や敵方からの攻撃でなくなって、今はひとり身であることを伝えてきました。

これに似たケースで、やりとりしているうちに、「日本に行く手助けをしてほしい・・」となったり、お金がない話しにつながっていく流れを経験したことがあるので、ちょっとどーするかなと悩んでおります。 が、英語でやりとりするので、適度な文通相手で練習にもなるし・・・、 とりあえずは、もうちょっと付き合ってみようかなと・・。

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聞き取り

2021-12-06 15:57:31 | いろいろシゴト

地域の古老から聞き取り、聞き書きをして、文章づくりは仕事としてやりましたが、反対に聞き取りを受けています。全体3回で2時間ずつ位で、私のこれまでの人生についてのインタビューを受けていて、今日はその二回目でした。

自然体験活動の普及実践を仕事として30年程続けてきました。実は1990年前後には、自然学校を始めた同世代の連中が多くいます。いわば黎明期、しかし、オレラも70歳に近づいて来て、現場は後進に譲り、今風に言えば、レジェンドなどと名付けられて、神棚に上げられてしまいそうな仏壇入り前のロートルとなりました。

そこで、というか・・、その連中の人生を少しは記録に残しておこうやというプロジェクトが立ち上がって、自然学校の老舗の国際自然学校NOTSの両Sさんが、その時代の連中からの聞き取りを始めています。光栄にも、その対象者のひとりとなって、全3回で2時間ほどずつ、私の子ども時代から今までの人生について聞き取りを受けていて、今日はその2回目でした。

なぜにこのような仕事を始めたのか、その原点的なエポックを探しつつ、おふたりから質問をZoom で受けています。 最初は気恥ずかしくもあったのですが、自分の振り返りともなり、なかなか楽しくインタビューを受けています。

自然に興味をもったきっかけ、影響を与えた人物やできごとを思い出させてもくれて、自分事ながら、「あーそうだったんだぁ!」と、気づかされることも多々あります。

幼児期にたんぼでミズカマキリを捕まえた感動。

始めてだったと思われる鞍馬山でのハイキングのうっそうとした森の思い出、あれは父親とふたりで行ったような気もする・・・

始めてのキャンプは大阪能勢の山中だったと思うが、その時に連れて言ってくれた西村さんという大学生がいた・・、名前は憶えていて、いろいろな思いで出来事があったのだが、彼から相当の影響を受けたが・・・、あれはいったい誰だったんだろうか・・

高校山岳部時代は、北アルプスにゆかずに、関東東北の県境歩きにこだわっていた。

なぜに北海道に移住したのか・・、それは高校生(中学?)時代に放映されていた青春ドラマ「太陽野郎」に感化されたのを思い出した。夏木陽介主演、主題歌はいまだに歌える。

ネパールのトレッキングでみた山奥の住民の貧しくともキラキラとした目。世の中にこんなにもデカいものあるのかと知ったヒマラヤの山々やチベット高原の雄大な広さ・・

商社マン時代の北欧で知った北国の人々の豊かな暮らしと優しさ・・・

などなど。。 自然体験活動を仕事として続けてきた理由、原点を顧みる良い機会となっている。

このインタビューは、他数人にもして、冊子としてカタチにすることになっています。

(写真は、zoom 退出してから撮っただけのもの・・・)

 

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