高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

女性が世界を変える

2013-06-29 10:56:40 | English diary

 Last day, I received the information from a Taiwan student belong 新竹教育大学 National Hsinchu University of Education. Two students will come to our nature school from the middle of July to the end of Aug as intern. Also from another University named 台湾実践大学(I can’t say English name)2 student coming. They are all of female. At the same time, 3 foreign students are coming from Korea, Rossia, Italy. Male is only one of the total 7 foreigner. Although we say that Japanese women become much lively, I think this tendency is all over the world. Because when I went to Chaina(北京、広州)at last winter for the Environment Education meeting,80% of the participant was female. Women will change the world I think. In the fact….., at our Nature school, 5 staffs of 7 is female including me.

 昨日、台湾の新竹教育大学の学生から連絡がありました。二人の学生が7月中旬から8月下旬に自然学校の実習生としてやってきます。また、台湾実践大学からも2人来ます。彼らは全員女性です。同時に韓国、ロシア、イタリーから3人の学生も来ます。合計7人の外国人のうち男性はひとりしかいません。日本では女性がとても活発になっていると言いますが、私はこれは世界的な傾向だとおもっています。 なぜなら、昨年の冬に中国の北京と講習に環境教育のミーティングへ行ったとき、参加者の80%は女性でした。あたしは、女性が世界を変えると思います・・・、事実、我自然学校も私を交えて、7人中5人のスタッフが女性であります。

Woman ・・ 一般的に女 ??
Female ・・ 公式的というか、書類での男性、女性 ??
Lady ・・ 丁寧。 直接本人がいる時には、womanではなくてlady
Girl ・・ 若い未婚の女性もGirlらしい・・・
コメント (2)
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震災支援をふりかって(1)

2013-06-29 01:11:33 | 震災支援・脱原発・環境問題

とあるレポート原稿を頼まれています。 震災支援から今、そして、これから・・、というような依頼です。3.11を経て、自分を見直すこともできるいい機会を頂戴しています。

草稿を少しずつアップします。 (アップするごとに文章の順番を整えます)

*******

「三陸ひとつなぎ自然学校」 被災地に生まれたコミュニティビジネスへの試み
                                NPO法人ねおす  理事長 高木晴光


◆はじめに
 2011年3月11日14時46分、地震発生。あれからもう3回目の夏になった。私達が支援活動を継続する釜石市鵜住居、箱崎半島から大槌湾沿岸地域は、大きな被災瓦礫は片付いたものの目に見えるような復興工事が大々的に始まってはいない。家を失った人々の恒久住宅も一部は建設着工されたとは言え、土地確保は遅々として、被災者の大多数は今も仮設住宅での暮らしが続いている。漁港の嵩上げ工事もかなりの先延ばしとなり、はたまた自力で営業を始めた店舗が新たな国道設置場所と変更となり、再び移転を求められるケースも出ている。仕事がないために実質人口はすでに1万人は流出したと言う市民もいる。被災地の過疎が加速度を増しているようにも感じる。

 一方では都会からの人材の移入を行政が後押しをしているが、地元人材との協働がどのように展開されてゆくかはこれからだ。その道のりはまだまだ長い。「元に戻す」のではない、「新しい町づくり」に期待し、これからもできることの支援を続けたい。
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震災支援をふりかえって(2)

2013-06-29 01:00:25 | 震災支援・脱原発・環境問題
◆東日本大震災の発災とNPOねおすの初動

 釜石市が郷里のスタッフがいたことが、初動の大きなきっかけとなった。発災翌日、3名にて函館から函館方面で活動する仲間が迅速に手配した再開第1便のフェリーに乗り青森経由で現地入りした。

 車で走る東北内陸には被災個所は全くと言っていいほど見当たらなかった。しかし、岩手に入るとすでにガソリンスタンドは長蛇の列となり、スーパーマーケットは買い物客の入場制限が行われていた。緊急車両優先の道路封鎖が各所にあり迂回路を探しながら、釜石市に隣接する遠野市に入ったのは、13日昼過ぎだった。民間車両が沿岸に近づけるのは、笛吹峠を通る県道だけであったが、市の職員ですら、「土砂崩れの状況はわからない、ただ沿岸から来る車があったので、通れるだろうが責任は持てない」との回答であった。現地情報を探るにも的確な回答を得ることができなかった。迷いを捨て意を決し峠を越え沿岸に近づくことにした。すれ違いも難しい細い県道には対向車両はなく、また土砂崩れにも遭遇することもなく太平洋に注ぐ鵜住居川流域に入った。

 中山間の集落はまったく地震被害の様子もなく、東北ののどかな佇まいを見せていた。しかし、沿岸に近づくと風景は線を引いたが如く一変した。津波の最終到達地点からは海は見えない。「天国と地獄」を跨いで見た気がした。道路は流れ着いた瓦礫で埋まって進むことができなかった。一台のブルトーザーが唸りを上げて懸命に道を開けていた。目指すスタッフの実家は、海岸傍であり事態の絶対的な深刻さは見るも明らかであった。

 夕方になり、私達は津波が到達していない農家の庭先にテントを張ることにした。被災者の多くはすでに避難所に入っていたが物資はなく、翌日に訪ねた避難所に持ち込んだ毛布や食料はあっと言う間になくなった。地域総出で支援にあたっていた。物資の補給ルートを作ることから始まった支援活動は、現在も釜石市北部、鵜住居川上流の栗橋地区を拠点に継続している。手がつけられない壊滅的状態の中で始まった支援活動は、半年がまるで4年も5年分もあったかのごとく密度濃い時間の積み重ねであった。しかし、復興の道のりはまだまだ長く厳しいだろう。

◆今できることは何か ・・・情報伝達の難しさ
 100人ほどの被災者が身を寄せた小さな避難所一か所だけで持ち込んだ物資はあっという間になくなった。発災から4日目なのに衣類を替えていない、毛布がない人がほとんどだった。津波の難は逃れたが雪が降る程の寒さで亡くなった方もいた。想像を絶する巨大津波に破壊された市街地を前にして、携帯電話、ラジオも入らない。

 物資を運びこんだあとは正直言って成す術(すべ)がなかった。「できることは何か」、考えるしかなかった。被災者と一うー緒に行方不明者を探し、運び込んだジャガイモを茹で被災者に、持ち込んだわずかな車両燃料を消防団や商店に提供した。我々の車両燃料に灯油を注ぎ足しもした。情報が途絶えていたので現状を伝えに内陸の町へ行き、地元NPOを探し出し必要物資の調達ルートを設定し、札幌のねおす本部にSOSを発信し必要な物資を要求した。意外にも遠野市のスーパーは何事もなかったように開店をしていた。幹線道路が封鎖されていたので、細い山間道の峠を越えて現地を見に行った市民はまだほとんどいなかったのだろう。情報が途絶していることを知った。食料品こそ棚は空になってはいたが、大量の下着も手に入れることができた。

 目の前に広がる悲惨な現状は被災地の真っただ中にいても、いったい何が起こったのか、その現実に着いてゆけない。被災地の状況を被災地外に伝えることは難しい。今、目前の事態に対処してゆくことが求められた。私達の合言葉はいつの間にか、「今、できることをしよう」となりスタッフに浸透し、ワゴン車2台による物資と人のピストン輸送が始まった。
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震災支援をふりかえって(3) 今できることは何か? 情報伝達の難しさ

2013-06-29 01:00:03 | 震災支援・脱原発・環境問題
◆今できることは何か ・・・情報伝達の難しさ

 100人ほどの被災者が身を寄せた小さな避難所一か所だけで持ち込んだ物資はあっという間になくなった。
発災から4日目なのに衣類を替えていない、毛布がない人がほとんどだった。津波の難は逃れたが雪が降る程の寒さで亡くなった方もいた。想像を絶する巨大津波に破壊された市街地を前にして、携帯電話、ラジオも入らない。物資を運びこんだあとは正直言って成す術(すべ)がなかった。

「できることは何か」、考えるしかなかった。被災者と一うー緒に行方不明者を探し、運び込んだジャガイモを茹で被災者に、持ち込んだわずかな車両燃料を消防団や商店に提供した。我々の車両燃料に灯油を注ぎ足しもした。情報が途絶えていたので現状を伝えに内陸の町へ行き、地元NPOを探し出し必要物資の調達ルートを設定し、札幌のねおす本部にSOSを発信し必要な物資を要求した。意外にも遠野市のスーパーは何事もなかったように開店をしていた。幹線道路が封鎖されていたので、細い山間道の峠を越えて現地を見に行った市民はまだほとんどいなかったのだろう。情報が途絶していることを知った。食料品こそ棚は空になってはいたが、大量の下着も手に入れることができた。

 目の前に広がる悲惨な現状は被災地の真っただ中にいても、いったい何が起こったのか、その現実に着いてゆけない。被災地の状況を被災地外に伝えることは難しい。今、目前の事態に対処してゆくことが求められた。私達の合言葉はいつの間にか、「今、できることをしよう」となりスタッフに浸透し、ワゴン車2台による物資と人のピストン輸送が始まった。
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料理指導

2013-06-28 12:33:01 | 自然学校の日常

 自然学校ではスタッフの夕食は、1週間のうち少なくとも5日は全員で食卓を囲んでいます。まりこさんとほっしーが調理をしますが、スタッフもお手伝いをしています。

 若いスタッフ達にとっては、食材を料理の材料化する方法を学ぶ機会ともなっています。 50代終盤の三人、そして、その子どもの年代の20代が四人、孫のような小学生が一人の合計八人なので、そもそもが大家族構成のようになっています。

 仕事と生活がごっちゃになったような共同・コミュニティな自然学校です。
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前向きに

2013-06-28 12:29:40 | 自然学校の日常

 黒松内町内で商店、飲食店、会社、農業を営む人や振興公社のツーリズム関係の仕事についている人達と懇親の夜。 言いだしっぺにひとりとして、段取りが悪くスタートがあたふたとしてしまいました。 (BBQのつもりはなかったのですが、持ち寄りBBQということになっていた。慌てて火をおこす始末)

 それぞれが抱えている課題を自己紹介し、連携した仕事づくりを模索しつつ、前向きに、愉快に過ごした夜でした。 いったん11時半にお開きとなりましたが、最終組は深夜2時半まで宴は続きました。

 特段、新しい動きまでとはすぐにとはいきませんが、お互いをより知り合う機会とはなりました。

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新鮮な食材

2013-06-27 08:03:17 | 自然学校の日常

朝の水揚げ漁師さんから直送で届きました。サバ、ヒラメ、ホッケ、シマゾイ、クロゾイ、マイワシ、本マス。
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遭難救助

2013-06-26 21:30:01 | 日記
 私はガイドとしてお客様をお連れしていましたが・・・、

 行先の手前の森では、創作活動が行われていました。 山菜(根曲がり竹の子)採りにひとりで出かけた60代の方が行方不明。5日間の捜索活動が行われていました。ヘリも出動、周辺町村の消防団もかり出され、毎日100人以上の規模でした。 ここへ来るのに使った車が駐車している車から3KMも5Kも離れるとは考えられないのですが、まったく手がかりがないまま捜索は打ち切りになりました。
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ガイド業

2013-06-26 21:23:57 | プログラム ガイド

ここ10日間のうち5日間はガイド仕事をしました。
私はやはりガイドが好きだと、自己確認ができました。


This is my duty diary for practice English for our summer camp with foreign students. Please correct the mistakes.

I made a guide program around Kuromastunai & Shimamaki for the guest from our main land. Most of them were older than me. Some ladies were like my mother age, but very fine and powerful. They are interesting in nature, especially field flower. In the afternoon, we went to watch the Garow Fall in the mountain Kariba-Yama. We had to go down to the river to watch the fall, so, had to go up again as the matter of course. One of the lady was more than 80 years old. I walked with her, she was walking slowly with steady steps. I’m wondering whether I will be able to do such walking over 20 years later.

5 days out of last 10 days, I made guiding program at forest, village, hospital. I enjoyed with the guests. Then I realized I like guiding to make interpretation about nature, life of local people, history etc. But also I have recognized I have to study hard about them・・・・

Expression of KIZUKU(気づく)
Realize is 認識する、悟る? かなりはっきりとわかったいうこと?
Recognize 何かと何かの違いの識別、何かを認める・・気づくというよりも、かなり強い表現?
Notice is まず間違いないだろうと、突然、咄嗟にわかった、気づいた??
“Be(Become)aware of” is as same nuance as “Notice” ???
Suspect is  対象に対して疑いあるような気づき
Discover is 驚きを伴うような気づき?
Sense is 感じ取ったような、感覚的な気づき I sensed she was angry
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乱高下

2013-06-25 00:28:03 | 日記

ブロク訪問者 毎日乱高下・・・・株価に連動か・・。
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