高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

解散決断・・しましたか?

2014-11-17 12:49:55 | 今日のニュースから

今日は、朝から大きな国内ニュースがふたつありましたね!

一つ目は沖縄知事選挙の結果。 基地反対が民意として明確にでました。 推進派の現知事は元々は反対だったはずなのに方向転換をした、何がそうさせたのか・・・、やはり基地あっての振興に国からお金が回ってくることを選択だった。  しかし、今回は反対票数で比べると、ダブルスコアとなる反対派の圧勝でした。 すでに政府に米軍ヘリ基地の建設を前提とした海洋調査を許可してしてしまった沖縄・・、国と県との手続きは粛々と進んでしまっている。 行政訴訟も辞さない構えで、国と地域が対峙してゆくことになるだろう。

もひとつは、GDPの7から9月の発表。 大方の経済アナリストも前四半期の年率マイナス7.なんぼから、ぶり返して3ポイントくらいはゆくのではと評論していたが、なんと、マイナス1.7ポイントだった。 アベノミクスは景気回復を目指して、さらには消費税増税を前提としてジャブジャブとお金を刷り増し市場に流すという、デフレ脱却の金融緩和を取ってきた。 その結果として、当たり前に株価は上がった。そして、円安に移行して行った。

ところが富は一部の大企業へ流れ、一般消費財は値上がり感が強まり、建設ラッシュで高騰する資材は輸入することとなり、輸出は伸びないという悪循環に突入している傾向にあると、私は思う。

日本はアメリカのように資源がある大国ではない、はたまた人件費は高い、その国がジャバジャバの金融緩和をしたところで、グローバール経済に対抗できないとアタシは思うな。 対抗してゆくためには高度産業を発展させなければならない、新しい高度産業は集約的産業でないから労働力の吸収は難しい。 グローバル企業の生産地は労働コストが低い海外に流れる・・・。そういう局面に日本の経済は入っているのだ。 ましてやの少子高齢化社会で人口減。 GDPをあげてゆくこと自体に社会的な無理があると思うな。

いつまでも、右肩上がりの経済を目指していても無理だ。  今ある資源を活用しながら、実態に見合った新しい経済を構築してゆかねばならない。 そう言った観点から、今の日本の危機は、新しさを生み出すチャンスでもあると思う。 価値観を転換出来る人、できた人から、ローカル経済を新たらしくしてゆけばいいと思う。

 

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これで上手く行くのか?

2014-11-02 00:08:50 | 今日のニュースから

市場に流れるお金を増やして上手く行くとは思えない。お金を取り込める層だけが富むだけのことだと思えるがね。 

日銀の長期国債の買い入れ額を30兆円増やすとさ。 貨幣経済による資本主義は、エコノミストの浜先生曰く、「成長」と「競争」と「富の配分」の三角形がバランスよく成り立つことはありえなくなっていると思う。 成長と競争が大きくなりすぎた、「配分」が小さな経済三角形だな。

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独居高齢者の社会問題化

2014-10-03 14:10:19 | 今日のニュースから

独居老人は半強制的に地方に移住させるべき!?
「老後破産」時代に求められる、過激な社会保障政策

http://diamond.jp/articles/-/59806

 なかなかセンセーショナルな表題の評論(竹井善昭氏)だ。  NHKスペシャルが9月28日に放映した、『老人漂流社会“老後破産”の現実』の感想だ。私は見ることができなかったが、わずかな年金で暮らし、コミュニティからも離れ、満足な介護や医療サービスが受けられない老人たちが次々と紹介されたそうだ。 竹井氏は、”「人の命を救うこと」は社会貢献の大きなテーマだが、近い将来の日本においては、「人を殺すこと」が社会貢献の重要なテーマになるかもしれない”とまで言っている。

しかし、これが現実なのだろう。

 私は昭和29年の午年生まれ、今年は還暦だ。 20年当初の団塊の世代に次ぐ人口が多い世代であり、先輩方と共々、高齢社会の真っ只中に放り込まれる。 先輩方と異なるのは、年金受給が先送りされ、減額が始まる世代であり、間違いなくやってくる医療費負担もアップも覆いかぶさる。 連れ合いといつまでも一緒にはいられない。心中をしない限りは、必ず、どちらかが先に死ぬ。それが、人の運命だ。  家は古い町営住宅の貸家住まいだ。 借金はないが、貯蓄が何不自由なく、万が一生き延びてしまった90歳まであるわけがない。 この社会問題は他人事ではないのだ。

 それにしても、「独居老人は強制的に地方に移住させるべき!?」は、乱暴な言い回しだ。 しかし、都会の高齢者の暮らしの改善が都会ではできないところまで、社会問題化しているということなのだろう。

 私は、40代後半に黒松内町に移住した。当時の黒松内の人口は3700人であったが、10数年を経て、現人口は3200人を切っている。急速な人口減は今後も進み3000人を下回るのはそう遠いことではないだろう。この要因はすでに高齢社会となっているからであり、団塊の世代の前の戦中、戦前生まれの方々の自然減である。 これは日本の田舎における一般的な社会現象だろう。人口減社会は当たり前のことであり、増える道理がないというのが、私の推定である。だからといって、その埋め合わせのように、「独居老人を地方に移住させるべき」という、言い方はないだろう。

 田舎の年寄りは働き者である。 何も都会のお年寄りが働き者でないと言っているのではない。 歳をとっても働くこと、働けることがたくさんあるのだ。 家族や親戚のための自家菜園仕事、お寺や神社、地域の仕事は、子育て中・働き盛りの家庭では、年寄りの仕事だ。 働くということは、自分の身体にとっても、地域とのつながりを保つためにも良いことだ。都会には年寄りが役割をもって働く場所がないことが問題なのだろう。 

だから、都会の年寄りを田舎に送り込んではどうか???

・・うまくゆくのは・・??? 高齢者福祉施設の経営が地域内ではできなくなってきた時の代替として??? では安直すぎる。

 たとえ、元気であっても60代、70代になって移住して、地域社会に溶け込んでゆくのも覚悟がいると思う。隣近所(といっても我が家の場合は距離的には都会の場合に比べてはるかに遠い)との関係性は、田舎でもかつてに比べて希薄になったとはいえ、都会よりずっと濃い。 都会生活になれた年寄りにとってはかなり勝手が異なるコミュニティ・人と人との関係性がある。そう簡単にはいかないだろう。

 移住を考えるならば、40代がいい。できれば40代までに実行できるといい。 できるだけ若い方が、その気にさえなればフットワークよく動ける。地域の会合に出、スポーツ同好会に入り、地域の手伝いごともする、子育て世代であると、保護者の数が少ないだけにPTA活動も多い。働きながら地域活動もするには、  しかし、それが地域とつながる機会となります。

現在進行形の高齢者問題の解決と、未来進行形の高齢化問題への対処の仕方はおのずと異なります。

 「塊の世代」と呼ばれる兄貴・姉貴達と、かつて「新人類」と呼ばれた弟・妹世代の中間にいるたちを「断層の世代」と呼ぶ社会科学者がいます。 これまでは、先輩たちの後ろ姿をみながら走っていましたが、こと高齢者の暮らし方においては、後ろをついてゆけなくなるでしょう。先輩たちの暮らし方をは、参考にはなれど、これまでのように同じ方法をとることはできない時代に突入します。すでに歪が現れています。 我が身が生きながられて、我々の世代が本当の年寄りになる70歳までに、暮らし方を変えてゆかねばなりません。

そして、次に続く世代が子育てを終えたあとに、今よりは暮らしやすい高齢時代を送れるように、社会サービスのあり方を考え、自分ができるやり方で創り続けてゆくしかないな。

 

 

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御嶽山からの生還記録

2014-10-02 04:23:30 | 今日のニュースから

御嶽山から生還した家族のお父さんの体験記録です。

リスクマネージメントの力をつけるためには、リスクに強くなる必要があると、かつてある人から指南をうけたことがありました。そのためには、もちちろん経験の積み重ねが必要ですが、リスクの高い活動ばかりしていたら、幾つ命があっても足りません。  人は想像力があります。 事故事例や災害事例から学ぶこともできます。 その事例は、同じ状況に対応するためではなく、他のリスクに出会った時にも行動に活かせる教訓となります。 これが、「リスクに強くなる」練習です。

この方の記録は、アウトドア活動をする方々に、私にとっても、リスクに強くなるために、とても参考になる「自分と家族」を守った手記です。

*****(転載させて頂きます)******

まだ鮮明に覚えているうちに、
自分用の記録として残しておこうと思います。

9月27日(土)
一日休みがとれそうだったので、
紅葉の御嶽山を子供も連れて家族でのんびり登る為に、
金曜日の夜に王滝村、田の原駐車場に向かいました。

(甘いと言われれば返す言葉もありませんが、
まさか噴火するなんて全く想像もしていなかった為、
比較的登りやすい御嶽山を選びました。
本当は一人で濁河温泉側のルートで前回のリベンジを
するつもりでしたが、子供達に一緒に行きたい。と言われ、
のんびり紅葉狩り登山にすることにしました。
ルートとしては子供達もいたので御嶽山の全容を
眺めながら登れる王滝口登山道にすることに)

駐車場で車中泊し、
朝6時30分頃に王滝口登山道から登山開始。

最近ではあまり出会えなかった快晴で、
御嶽山も本当に綺麗に見えていました。

紅葉も本当に素晴らしく、
老若男女、たくさんの登山者で賑わっていました。

途中、雲海とそれを貫く山々の姿に感動を覚えながら、
今日は本当に最高の登山日和だ!
と感じたのを覚えています。

小さい子供連れということで、
たくさんの登山者の方に声をかけて頂き、
子供達もその応援に力をもらいながら、
楽しんで登っていました。

子供に合わせたゆっくりしたペースで、
休憩も多めに入れて写真やビデオを取りながら、
4時間ほどで「王滝頂上」に着きました。

王滝口頂上奥社でお参りをして、
「剣ヶ峰」の姿を見る為に、頂上奥社の裏手へ。

このまま「剣ヶ峰」に登る事も出来ましたが、
昼食、下山を含めた時間的な事、子供達の体力の事…
いろいろな事を考えて、先に昼休憩をとることに。

この時点で子供達には言いませんでしたが、
ゆっくり昼食をして、「剣ヶ峰」には行かずに
下山しようと考えていました。

どこかで昼食を取ろうと思い付近を探しましたが、
「八丁ダルミ」周辺は風が強く、地獄谷からの硫黄の匂いも
キツかったため、一旦「王滝頂上山荘」の南側の広場まで戻り、
風の影響を受けない建物の近くで昼食にすることに。

近くにはトイレの入り口もある為、
(子供達が行きたいと言っても連れて行きやすいし…)
そんなことを考えながら。

朝と比べるとガスも出てきて、
絶景という訳には行きませんでしたが、
子供達は山ご飯にハシャギながら、
1時間ほどゆっくりとした昼休憩を過ごしました。

周りには同じように昼食をとる登山者の方も多く、
私は登ってきた登山道が見える東側斜面にいましたが、
西側の地獄谷が見える少し上の広場には、
山荘から離れた場所までたくさんの方がいたのを記憶しています。

昼食をとりながら、山荘の方を見ていると、
ちょうどトイレの真下にあたる部分に、
何か入り口のようなものがあることに気付きました。

この時は

(あの入り口は何だろう?)

と思ったくらいで、特にそれ以上は考えてもいませんでした。

角度的にも私のいた場所からでないと、
その入り口を確認する事は出来ず、
他の方達はその場所に空間がある事すら知らなかったと思います。

昼食をとりながら子供達に

「今日はこれで下山するよ」

と言ったところ、

「やだ!頂上まで行きたい!」と…

「今から頂上まで行って下山すると、
時間が遅くなるから…」

「やだ!早く登るから行きたい!」

そんなやり取りをしながら、
(ここまで行きたいなら、頑張って行かせてみようか…)
と内心迷いもありました。

昼食が終わり、荷物をまとめながら、
もし頂上に向かった場合の下山までの時間や
子供達の体力的な事を考えていました。

(本当に行かせられるか?)

(ここで下山した方が時間的にも余裕があるし…)

考えながらゆっくり荷物をまとめ、
全員がザックを背負った瞬間…

「バリバリバリ、ドカーン!!!!」

ものすごい音が…

カミナリか!?

と一瞬思い、その音がした地獄谷の方を見ると、
目の前の谷から大きな噴煙が立ち上がりました。

えっ …… 噴火…???

周りにいた登山者全員が状況を把握できず、

「写真!写真!」

という声が聞こえてくるなど、
その瞬間は恐怖を感じる事も出来ない程、
誰もが状況を把握していませんでした。

しかし最初の噴火から10秒弱…

「ドドドド…ドカーン!!!!」

という爆音とともに、最初の噴煙とは比べ物にならない
大きな噴煙の柱が空高く舞い上がるとともに、
もの凄い早さで自分たちのいる方に向かってきました。

「ワーー!!!!」「キャー!!!!」

うってかわって叫び声や悲鳴が飛び交う中、

(ヤバい… どうする? 逃げても間に合わない。

どこかに隠れなきゃ… 子供達をどこかに…

何かの陰に隠れる? ダメだ。あれに巻き込まれたら、

絶対無事では済まない。どこか安全な空間に入らないと…

山荘は? ダメだ。山荘の入り口まで走っても間に合わない…)

一瞬で様々な事が頭を駆け巡り、

(あそこは??)

さっき昼飯を食べながら気付いた、
トイレの真下にある入り口が頭に浮かびました。

すぐさまその入り口が見えるところまで行き、
中に空間がある事を確認し、

「ここに入るよ!!こっちにおいで!!」

子供達に声をかけ、その空間に誘導しました。

その時の私の声に反応して下さったのか、
近くにいた別のグループの方々もこちらに向かって
走ってきました。

その方々の後ろには、
もの凄い早さで噴煙が迫ってきていました。

(もうヤバい!)

私が空間に入ると、
すぐにそのグループの方が駆け込んできました。

「扉を閉めて!!」

木製の引き戸を両側から閉めようとした瞬間…

「!!!」

一瞬で外が薄暗い噴煙に巻き込まれ、
その噴煙が空間の中に流れ込む寸前で、
扉が閉まりました。

木製の古い引き戸なので閉まりが悪く、
数ミリ隙間が出来ており、
そこから凄い勢いで噴煙が吹き込んできました。

すぐに子供達に鼻と口を服の袖でふさがせて、
吸い込まないように言いました。

それでも全員が吸い込んで咳をしていましたが、
一応閉め切った空間のおかげで、
全員が噴煙の直撃を免れました。

2回目の大噴火から、
私のいた場所が噴煙に巻き込まれるまで、
おそらく十数秒しか無かったと思います。

他の人は!?

頭に浮かびましたが、
それを打ち消すように事態は悪化します。

扉を閉めて真っ暗な空間。
薄暗い噴煙とはいえ、数ミリの隙間から
外の光が届いていたのに、

「ゴォー!!」

という音とともに外が真っ暗になりました。

夜とも違う、光が全く届かない
まさに暗黒という感じでした。

それと共に、空から何かが降ってきて、
それが地面や小屋の屋根にぶつかる
凄まじい音が鳴り始めました。

そして噴煙だけではなく、
硫黄のキツい匂いが充満してきました。
それと共に熱を持った空気が室内に入ってきている感じがしました。

(このままではヤバい!)

ザックの中にタオル等があることを思い出し、
腕時計のライトを付けてザックの中のタオルを
探し出しました。

すぐに子供達にタオルを渡し、
目を閉じて顔全体をタオルで押さえるように
言いました。

自分も防寒用のフェイスマスクをかぶり、
鼻と口を押さえました。

タオル等で押さえていても息が出来ない程の
ガスが充満してきて、ここで本当に死を意識しました。

(コレが続いたら、絶対に助からない…)

(どうすればいい…)

(こんなところで家族で死ぬのか…)

(子供だけでも何とかして助けられないか…)

本当にいろいろな事が脳裏をよぎり、
何とも言えない気持ちになりました。

子供達は泣き出し、それを落ち着かせて…
その繰り返し。

数分するとその強いガスが収まってきて、
何とか息が出来るようになってきました。

外もまた薄暗さにかわり、
少し落ち着いたようにも感じました。

「みなさん、大丈夫ですか?」

空間に一緒にいるはずの、
他の方々に声を掛けると

「大丈夫です」

との声が聞こえ、少し安心しました。

ここで私たちの他に5名のグループの方が
一緒にいる事が分かりました。

そのグループの女性の方が、
すぐに消防に連絡を取ってくださり、
私たちの位置と人数を伝え救助要請。
さらに今後どうすればいいのかを聞いてくれました。

消防はこの時点では噴火は確認しているものの、
状況把握が出来ていないという事で、
今はそのまま外には出ないで待機してくださいと
指示を受けました。

ここで一旦全員が落ち着きを取り戻し、
「外の人は大丈夫かな?」
「この先どうなるんだろう」

いろいろな事を話しながら、
外の様子に気を配っていました。

私は自分のいる空間を確かめる為に、
腕時計のライトで周りを照らし、
何があるのかを確認しました。

私たちのいる空間は、
天井1m40㎝ほどの低い空間で、
トイレの真下。汚物タンクの置き場でした。

幸いしっかりした汚物タンクで、
匂いが漏れるような事もなく、
物置としても使われていました。

(何か使えるものは無いか?)

そんな事を思いながら隅々まで確認しました。

落ち着いたと思っていたら、
また轟音と共に真っ暗になり、
噴石が落ちる音、ガスの充満…

そして落ち着いて…

これを5回以上は繰り返したと思います。

途中、今までに無い激しい音と共に何かが屋根に落ちるのを聞いて、
「まさか人じゃないよね…」
「岩だとしたら、屋根を突き抜けてくるかもね… 
でもここはトイレのさらに下の床下の空間だから、少しはマシかな…」

と会話したり、また
真上のトイレから足音と男の人が激しく咳き込み
苦しむ声が何度か聞こえてきて、
「上に人がいるね。大丈夫かな…?」
そんな会話もしていました。

確認しようにも、私達の入り口とトイレの入り口はちょうど建物の反対側。
外に出られない状況では他の人の確認に行けるような状態ではありませんでした。

そんな中、本当に色々考えました。

(おそらく外は大変な事になっているだろう。
 逃げ場が無く外にいた人達はきっと… )

(救助要請しても、噴火が続く限りヘリでここに救助に来ることは出来ない。
 ここは噴火口に1番近い所だろうから…)

(となると、このまま噴火が収まらなければ
 誰も救助には来れないかもしれない…)

(状況がこのままなら、この空間でしばらく過ごさないといけない… 
 水は? …ある。
 水分補給用と昼飯用の残りがまだ1リットルと少しはある。 
 食料は? …少しなら。
 アルファ米と行動食、それに子供達のお菓子が少し… 
 どうやって消費するか計画しないと…)

(でもこのまま噴火が続き、もしこの山小屋に火がついたらどうする?
 外にも出れないし、ここで焼け死ぬしかないのか…)

(さっきよりも噴火が激しくなって、
 息が出来ないガスが充満し続けたらどうする?)

(少しでも落ち着いたら、何とか下山出来ないか… 
 一刻も早くこの場を離れないと…)

(下山するにしても、登山道は無事なのか?
 人が下りれる状況なのか?)

(外に出たら… 登山道を下りたら… 
 助からなかった人達があらゆる所に倒れているんじゃないか…? 
 そんな所を子供達を連れて歩けるのか?)

(子供を連れての下山にかかる時間を考えると、
 14時くらいには下りないと暗くなってまた危険になる)

(下山を始めた後に、またあの大きな噴火があったらどうする?
 もうこの安全な逃げ場はないから、次巻き込まれたら死ぬ…)

どうする… どうすればいい…

窓一つない空間で、聞こえる音と数ミリの隙間からしか
外の状況を把握出来ない私達には、耐える以外に方法がありませんでした。

緊迫と落ち着きを繰り返す中、そんな事を考えながら、
グループの方と色々話すうちに1時間半?程その場で耐えたでしょうか…

繰り返されてきた緊迫の状況が起こらなくなりました。

外は薄暗いものの、静かに唸る噴火口?の音と
細かい何かが降り注ぐ音以外には何も聞こえませんでした。

他の人の声が一切聞こえないことに、
言い様のない不安にもなりましたが、
扉を開けて外の状況を確認する事になりました。

外は写真のとおり、一面真っ白に火山灰が積もった状態で、
噴石により目の前のウッドデッキに大きな穴も空いていました。

積もった火山灰の量も凄く、さっきまでいた山の景色との違いに唖然としました。

ここでグループの方と下山について検討…

今なら下山出来るかもしれない…

下山途中にまた噴火が起こったら、助からないかもしれないけど…

でもこのままここにいても、助かる保証は何も無い…

下山するならもう今がタイムリミットだろう…

どうする…

みんなで話し合った結果、

「下山しよう」

そう意見が一致しました。

そう決まればすぐに出発の準備。

荷物を整理して、子供達には帽子とフードを被せて、
自分達もレインウェアやフード付きジャケットを着込んで…

また噴火したら…

登山道はあるのか…

途中助からなかった人達が倒れていないか…

色々考えた上で、覚悟を決めて9人全員で出発。

火山灰は30㎝は積もっているだろうか…

フカフカで少し滑りそうだけど歩ける。

山荘を回り込んで、山荘の入り口に着くと、
少し前までたくさんの人がいた形跡が…

中にはオレンジのヘルメットがまだ残っていたので、
子供も含めて全員それを装着。

山荘入り口から下山道にはたくさんの人が歩いた跡が…

「みんな先に降りたんだ!急ごう!」

そう言って、下山開始。

大量の火山灰が積もっているものの、
先行した登山者の踏み跡もありルートも明瞭。

少しでも大きな音がすると不安になり、
振り返り噴煙を確認しながらの下山。

とにかくみんなで
「安全に、早く」
を合言葉に足もとを確認しながら…

長女は1人で問題無く大人のペースについて行ける。

しかし次女にはこのペースは無理だ。

気を遣ってグループの方が最後尾に付いてくれる。

本当にありがたい…

でもみんな少しでも早く下りないと…

そこで、長女には
「皆さんに付いて先に下りなさい。」
そう言い聞かせ、
グループの方に長女をお願いして、
ペースを上げて先に下山してもらえるように…

次女は私と嫁で交互にサポートしながら下りることに。

精神的にも肉体的にも厳しい下山でした。

しかし、
しばらく下りると火山灰の影響も少なくなってきて、
視界も開けてきた。

ルートの先を見ると、
同じオレンジのヘルメットを被った100人近い登山者が下山する列が見える。

ここで少し安心。

さらにこの辺りに来ると、山小屋のスタッフが何人も間隔を空けて
ルート上に待機してくれて、サポートをしてくれました。

若い女性のスタッフはずっと次女を励ましながらサポートしてくれて、
さらに男性のスタッフと会った時は、
「私が娘さんを背負っておりますよ!」
とまで言っていただきました。

次女は疲れ果ててクタクタなのに、
その言葉に何故か断固拒否(ーー;)

いや…ここはそうしてもらいなさい。
と言っても全く聞き入れない…

すると男性スタッフが
「じゃあお父さんの荷物は僕が背負いますよ。
そうすれば娘さんをサポートしやすいですから」
と言って、私の重い荷物(実はテン泊のトレーニングの為に
使わない荷物も含めてあえて重量を持って登ってました^^;)
を軽々と背負い、下まで荷物をおろしてくれる事に…

慣れない重量で体力的にもキツかった私にとっては、本当に助かりました。

この時には長女も含めたグループの方々はもう見えなくなっていましたが、
荷物が無くなり負担が減ったので少しペースを上げて下山。

大江権現を過ぎ、遥拝所まで戻ると、
消防と救急の方が待っていてくれて、
すぐに体調を確認すると共にうがい用の水をくれました。

そしてまだ少し距離があるから、と
ここからは軽トラックの荷台で乗せて行ってくれるとの事。

この軽トラックの荷台に乗った瞬間に、
(やっと終わった)という安堵感に包まれました。
後ろを振り返ると、未だ噴煙を激しく上げる御嶽山の姿が…

そして登山道入り口へ。

そこには物々しい数の
警察、消防、救急の方々が…

事態の大きさを改めて感じました。

軽トラックから下りた瞬間、
長女が駆け寄ってきました。

その後ろには一緒に避難し、
長女を下までおろしてくれたグループの方々が。

長女の顔を確認し触れた途端、
涙が溢れそうになりました。

「よく頑張ったね。1人だけ先に行かせてゴメンね… 寂しかったよね」

そう言って抱き寄せました。

長女を無事に下ろしてくれたグループの方々には言葉に出来ない程の感謝をしています。

短い時間でしたが、生死の瞬間を共に過ごし、
一緒に避難したのがあの方達で良かった。
本当にそう思います。

偶然にもグループの中の一人の方が同じ安城市に住んでいる事が分かり、
自分たちの身に起こった奇跡とともに、本当に何かの縁を感じました。

そして下山のサポートをしてくださった山小屋スタッフの方々。
お名前をお聞きする事も出来ませんでしたが、
いつか改めてお礼を伝えたいと思います。

山小屋のスタッフをはじめ地元のボランティアの方々、
警察や消防の方々、そして自衛隊の方々、本当に多くの方々が
今も救助活動を行っています。

今の時点で30数名の方が心肺停止で見つかりました。

時間的にもその中には私たちを追い越し、
子供達に声をかけてくださった方々も
含まれているかもしれません。

(あの夫婦は無事だろうか…)
(あの親子連れは無事だろうか…)
(あの若い男女のグループは無事だろうか…)

自分の記憶にある、声をかけ合った人たちが、もしかしたら…

それを考えると何とも言えない気持ちですし、
想像するだけで心が痛くなります。

報道などの噴火の映像を見るたびに、
本当にあの状況では誰が同じように
なってもおかしくなかった。

あの場所にいて今生きている事に、
まだ不思議な感じです。

私たち自身、

もう少しペースを上げて登っていたら…

あのまま剣ヶ峰を目指していたら…

昼食の場所をあの場所にしていなかったら…

あの入り口に気付いていなかったら…

剣ヶ峰を目指す為に昼食を早めに切り上げて、歩き出していたら…

昼食が終わり、荷物を背負った瞬間の噴火でなかったら…

少しタイミングがズレただけで、
逃げ場となる山小屋などが無かったり、
間に合わなかったりして、
噴煙、噴石、火山ガスの直撃を受け
最悪のケースになっていたかもしれません。

それこそ噴火が水蒸気爆発ではなく、
高温の火砕流を伴うマグマ噴火であれば、
山頂にいた数百人全員が助からなかったでしょう。

本当に小さな奇跡が重なって、
今こうやって無事でいられる事に、心から感謝です。

もちろん反省材料は沢山ありますが、
今回の事で改めて感じたのは、
自然と共に生きている以上、
登山に限らず、災害というのは
いつ、誰の身に起こっても不思議ではないという事。

絶対的な運に左右されるのはもちろんですが、
問題はその場に直面した時に、
いかに冷静に、生きる為の判断が出来るか、
そして必要なものを持っているのかどうか。

今回の経験で、本当にいろいろな事を考えさせられました。

生かされた命。

その意味を考えて生きていこう。と

ただ今は
犠牲になられた方へ心からのご冥福を。
怪我をされた方の一日も早いご回復を。
そして安否確認がとれない方がご無事である事を祈るばかりです。

朝6時30分頃、登山開始。  雲一つない快晴で、御嶽山も綺麗に見える。
 
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規制緩和か強化か?

2014-09-15 06:47:18 | 今日のニュースから

今日の道新の一面は高齢者ホームに無届けが多いという話題でした。 私の世代としては反応する記事です。

設置基準に合致していない無届けは高齢者下宿のような小さな施設のようです。 2、3年前でしょうか基準に合致していない高齢者ホームが火災となり30名ほどが亡くなったという悲惨な事故がありました。それを経緯に国は基準を1名以上の施設として部屋の大きさやスプリングラーの設置など規制強化しました。 今回はその現状調査だったと思います。

突入している高齢社会。 基準を強化することで安全や福祉サービスの向上を図れるでしょうが、経営する方も入居するほうも「お金」の問題があります。 このあたりの補助もあってのことでないと、低所得者のケアは劣化することになりかねない。

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今、ガサで起こっていること

2014-07-26 08:21:00 | 今日のニュースから
Facebookで戦場カメラマン、ジャーナリストの志葉玲さんと知り合いました。
イスラエルとパレスチナの間で起こっていること。 その発端は、第二次世界大戦後に国連がユダヤ人の国を中東に認めたことにある。 
 
私には、まだよくわからない。 そのまた大昔、そう、それはモーゼの十戒の頃なのだろうが・・・、エジプトやアラビァ系の人々とヨーロッパ系の人々が支配権を争っていた頃のことは。 しかし、イエス・キリストが突然に現れ、キリスト教が生まれた頃からその勢力図が変わって行ったことは、なんとなく知っている。
 
今、何が過去の真実だったか・・・わからないし、それを突き詰めても仕方がない。
真実は、今、起こっているイスラエルのガサへの侵攻で、数多くの子どもや一般市民が殺されていることだ。 
 
圧倒的な武力を持ってイスラエルが、パレスチナの市民に紛れ込んでいる「身体を張った」武力勢力と戦争している自体だ。
 
安倍政権は武器三原則を緩めて、軍事的工業製品や技術をアメリカ・イスラエル側勢力に輸出できることを決めた。 そして、イスラエルの有力企業と日本のベンチャー企業とのビスネス提携を後押しすることにした。そして、つい最近に、30社ほどの日本の企業がイスラエルへ日本政府と共にビジネスミッション団を送り込んだ。
 
これは何を意味するのか・・・・。  日本はイスラエル側に立ち位置を明確にしたということだ。
中東で戦火が広がり、アメリカがアメリカ的正義を振りかざした時には、「参戦すること」、安倍政権は暗に世界にアッピールしている。  これが真実だ。
 
アメリカは、地中に紛れている燃料となる物質を(シエール)取り出す技術を獲得した。その物質はアメリカ大陸に無限に近いだけあると推測されており、近い将来、アメリカは中東に頼らずとも莫大な量のエネルギー資源を獲得する。 中東を力づくで勢力圏においてゆく必要はなくなる。 これも真実だ。
 
だから、軍事力を持った日本との安全保障条約の強化にやっきになっている。 対中国問題ではない。アメリカは、むしろ、巨大市場の中国とは仲良し関係を築きたいのだ・・・。  これが真実だ・・・。
 
****以下、志葉さんの・・・昨日のfacebook投稿です。 志葉さんにお断りして、全文掲載です***
 
ガザ入りの許可は得たものの、最終的な調整で結構時間がかかっており、非常にもどかしい。早く、現場で仕事がしたい。こんな時でも休日はしっかり休む現地の役所にイライラする。さて、少し時間が空いたので、この間、よく見聞きした議論について一言。すなわち、

戦争の現実をどう伝えるか。

Facebookでも、現地でのあまりに凄惨な画像が、よくアップされている。それに対して、抵抗感や嫌悪感を抱く人々も少なからず、いるのだろう。戦場取材が続くと頭のネジが何本か飛ぶのか、志葉は多少のグロには抵抗力があるが、そうではない人々も多いのだろう。ただ、現場を見てきた人間からすれば、これが現実なんだと知ってもらいたい、とは思う。日本の人々には、もっともっと本気で戦争や平和のことを考えてもらいたい、自分たちが加害者になり得ることを真剣に懸念してもらいたい、という、憤りに近い気持ちもある。

戦場ジャーナリストが問う「武器輸出三原則」撤廃の行方-「死の商人」化する安倍政権(志葉玲) - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sh...ivarei/20140401-00034122/

戦争というものを知らず、ぬるま湯の中でのみ物事を見てきた、ある意味幸せで、ある意味、無邪気すぎる多くの日本の人々に、どう戦争を伝えるのか。よほど関心を持って気をつけてないと見えづらい、日本の我々と各地での紛争での悲劇の関係をどう伝えるのか。課題はいろいろあるね。凄惨な写真・映像だけでは、単に拒絶反応を引き起こす人々には伝わらないかもしれない。目を背けたくなる様なショックの強さに頼らずとも、如何に戦争というものが酷いもので許しがたいのか、また、我々に何ができるのか、戦争の問題点をいろいろな方法で伝えることは必要だ、とも思う。例えば、現地の人々の気持ちを伝える、という方法もある。

美人すぎるガザの活動家が歌う、パレスチナの人々の想い(志葉玲) - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20140717-00037465/

上記リンク先をご覧いただければ、ご理解いただけるだろうが、凄惨さとは真反対の、むしろ何度も観たくなる動画だ。しかし、それでありながら、イスラエル建国の1948年以来、抑圧され、殺され続けてきたパレスチナの人々の心情が美しい歌声と共に伝わってくる、と思うのは、志葉だけだろうか。

自分としては、もっと写真の腕を磨きたい。別に手足が吹き飛んでなくとも、頭が割れて脳みそが飛び出していなくとも、戦争の悲惨さを写真で伝える方法はある、と思う。本投稿の写真は『ガザ通信』(アブデルワヘード・サイード著 志葉玲写真/青土社)の表紙となった写真。今まで自分が撮った写真の中でも、もっとも印象深いものの一つだ。撮影している時、写真の少女=ザイナブの射るような鋭い視線が非常に印象的だった。彼女の怒り、悲しみが視線から伝わってくる。ザイナブは、08年末から09年頭のイスラエル軍のガザ侵攻の際、目の前で両親を失っている。父親は首から上が吹き飛び、母親は腹が破れ、内臓をまき散らして死んだ。

ともかく、別に見たくなければ、死体写真等を見なくてもいい。だが、その代わり、安倍政権が武器輸出三原則を撤廃し、イスラエルにも兵器を輸出できるようにした意味を、真剣に、そして深刻に考えてもらいたい。
昨年4月、再会したザイナブは、こう、志葉に語った。
 
「日本の人々はいい人達だと思う。米国やイスラエルに武器を売らないで欲しい。その武器が私たちを殺します」。 もっと見る
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拡大解釈始まる。

2014-07-15 21:06:33 | 今日のニュースから

北海道新聞の第一面。

随分と報道内容が切り込んでいる。 しかし、今日の報道ステーションではこのことに触れなかった。

記事内容 民主党の岡田克也氏の集団的自衛権に関する質問と答弁

我国が集団的自衛権を行使できる新たな「武力行使の3要件では、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合などに武力行使が許されるとした。 首相は答弁で、日本が攻撃をされていなくても米軍が攻撃を受けた場合について、

「日米同盟の関係で起こりうる事態は、要件に当てはまる可能性は高い」と述べた。また、3要件に該当するかの判断基準については、

「わが国に戦禍が及蓋然性、国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから判断することになる」とした。

****

事実上のアメリカの戦争への参戦の判断についての言及だ。

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リチウムを海水から分離成功

2014-02-14 07:35:36 | 今日のニュースから

蓄電にも大きな役割があるリチウムを海水から抽出する技術に日本が成功したそうな。

電気自動車をはじめ蓄電池の分野で利用量が急増しているリチウムはレアメタルに分類されていて、日本では100%を輸入に頼っているのが現状だ。その貴重なリチウムは海水に無尽蔵にあるが、その抽出技術開発が課題だったが、その分離・回収することに世界で初めての快挙。 

しかし、それを開発したのは、あの曰くつきの高速増殖炉もんじゅを担当している日本原子力研究開発機構なんだなあ。 なんでも核融合にもリチウムが必要らしい・・・。

これを契機に平和利用してもらいたいもんだ。

http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1402/12/news036.html

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日銀の経常利益

2013-10-10 06:52:22 | 今日のニュースから

へぇ~。 日銀は半官半民の機構なのか。 資本金は1億円。55%は政府が保有。民間からは45%。 その45%は誰かは公表しないらしい。 株式会社の株主総会のような権限は株主にはないが、大株主がいれば、日本の資本主義ピラミッド構造のトップな人?会社?団体なわけですね。

https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/outline/a12.htm/

それにしても金本位制でない管理通貨制度では・・・今の資本主義の紙幣(お金)の価値、つまり市場に対するお金の供給量は中央銀行が決めているのだな・・・。

しかし、日本の中央銀行である日銀にも株主配当があるとのこと。 いったいどの位の配当があるのだ???

 日銀のHPによると・・・日銀も経常利益を出しており、株主配当を行っている。

http://www.boj.or.jp/about/account/index.htm/

***

2)損益の状況

平成24年度の損益の状況についてみると、経常利益は、前年度比5,956億円増益の1兆1,316億円となった。これは、為替円安に伴い外国為替関係損益が大幅益超に転化したことを主因とするものである。

特別損益は、外国為替関係損益が益超となったことを受け、外国為替等取引損失引当金の積立てを行ったこと等から、▲2,950億円となった。

以上の結果、税引前当期剰余金は、前年度比2,913億円増加の8,366億円となり、法人税、住民税及び事業税を差し引いた後の当期剰余金は、前年度比469億円増加の5,760億円となった。

***

なんと、経常利益は1兆円以上!!! 法人税、住民税も払っているのだ。 資本主義の根幹である中央銀行もやはりビジネスをしているのですね。 複雑怪奇な管理通貨制度。

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原発・除染労働にからめて・・・

2013-10-08 10:48:20 | 今日のニュースから

除染作業労働に暴力団の関与を摘発。 河北新聞

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/10/20131008t73012.htm

北海道開拓期の鉄道、鉱山にあったような話が、あまりの労働力不足のために復活している・・・。仕事のない生活に困窮する人々を前賃金を払って開拓労働に送り込み、食事・購買は寄宿飯場でお金をとる、手元に残る金はなく、借金が膨らみ、開拓労働から抜けられなくなる構図・・・。  そんな話が現実的に再び起こり始めている・・・。

2020年に向けて建設労働が膨らみ、事故を起こしていない原発の補修工事、巨大堤防工事・・・、より安全な建設に労働力は流れ、はたまた、テロリスクマージメントの観点から原発関係工事労働者の身元調査も厳格さされてゆく・・・、ますます、原発事故現場の労働力不足が大いに懸念される。そんな中に、反社会勢力が暗躍を始める・・・。  

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B3%E9%83%A8%E5%B1%8B%E5%8A%B4%E5%83%8D

一方、自民党のTPP対策委員長からも、ついに関税撤廃反対聖域項目にも容認発言が飛び出し、ついに現政権は計画どおり???「ね、国民の皆さん、国際情勢からTPPには反対できないのですよ」作戦変更が、予定通りの国民目くらまし戦略によって開始された。TPPの関税撤廃により、農作物の日本向け海外生産が高まる・・日本商社が介在して労働コストが低く、大規模生産ができる海外圃場での企業出資農業が広がる。 日本農業からも大量の失業が生まれかねない。

政治・経済の権力をあまりにもずさんに大きくし過ぎたのは、一応多数決民主主義の国なのだから、われら国民の選択であった。 デモで動かした脱原発社会への道も・・、先の選挙で原発推進自民党が政権を奪還し、国内で作れないなら海外へ技術輸出を経済再建案の要とし、もはや原発依存の経済政策転換は明白になってしまった。

デモで世の中を変えることは果たしてできるのか・・と、多くの国民にデモの効果に対する懐疑性を意識の中に埋め込んでしまった。反対は続け、意見を述べることの場では言い続けるが、ここ4年間は次の選挙までは、国民の多くは巨大権力に翻弄されざるを得ない・・・・。

できることは、社会の巨大崩壊にそなえて、小さな循環型社会を無数に生み出し、それらをネットワーキングする実践的努力を続けるしかない。 それが、せめてもの現実的な選択なのかもしれない。

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