◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

「ある」なのに「ない」と聞こえる。

2008-05-12 18:45:37 | ディクテーションについて
                   もしかしてエアロスミス・・・
 ディクテーションに使う録音媒体がデジタルになっても、そもそも話し手が明瞭に発音していない言葉をそう簡単に聞き取れるわけがありません。語尾の音があまりにも小さく、何回聞いても「ある」か「ない」か分からないことすらあります。「ありますね」と「ありません」はとても似ていて、「ある」と答えるだろうと思って聞くと「ありますね」と聞こえ、「ない」と答えるだろうと思って聞くと「ありません」と聞こえるのです。背景や話の流れを理解せずに音声だけを聞くとどちらか分かりませんし、ひょいっと「ある」が「ない」と聞こえることもあります。
 ということは、話を理解するということと言葉を聞き取るということは互いに影響する、理解しやすければ聞き取りやすい、理解しにくければ聞き取りにくい、聞き取りやすければ理解しやすい、聞き取りにくければ理解しにくい、当たり前のことですが、この当たり前のことを分かっていないのではないか、と思うことがしょっちゅうあります。分かっていれば、難しい話をぼそぼそ小さな声で話したりはしないでしょう。
 とても聞き取りにくい、それでも聞き取らなければならない、そうすると、話の流れをつかむことが必要になりますから、とりあえず聞こえないところはそのままにしておいて先へ進み、結論を聞いて、こういう流れならここはこうでないといけない、というふうに修正します。たとえ言葉は聞こえても、日本語そのものがおかしいとき、その部分だけでは判断できませんから、全体を把握してから、ここはこうでないとおかしいというふうに修正します。
 そうやって注意深く作業しても、間違いというのは一つや二つあるものです。だからこそ、別の人間がチェックして間違いをなくしていくという作業が必要になるのですが、他人が入力したものをチェックすると、言葉を聞き取るということがいかに大変か、脳の働きの不思議というのを感じます。
 話し手が「あります」と言っているのに「ありません」と入力してあって、割合はっきり「あります」と聞こえたんだけどなぁと不思議に思いました。でも、考えてみれば、チェックするときは入力するときの倍のスピードで作業しますから、入力よりも話の流れをつかみやすいのです。つまり、「理解」が「聞こえ」を助けるのです。
 さて、その後、先ほどの話題に関して聞き手が「○○はあるのですか」と質問し、話し手が「はい、あります」と、かなり明瞭に答えました。ところが、「いえ、ありません」と入力してあったのです。これには驚きました。「はい、あります」と「いえ、ありません」はだいぶ違います。
 幾ら何でもこれはおかしい。先ほどのところに戻って修正するのが嫌で「いえ、ありません」で押し通したのでしょうか。それとも、前に出た話題だということに入力作業者が気づかなかったのでしょうか。この話題に関しては「ない」だという先入観があったのでしょうか。事ほどさように他人の言葉というのは聞き取りにくい・・・のですよ。

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