日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「ユナイテッド航空の乗客引きずり事件」で考えること

2017-04-12 11:44:56 | アラカルト

昨日、ユナイテッド航空機内で起きた「乗客引きずり出し事件」。
この事件をユナイテッド航空が起こした事件を、様々な視点で考えてみると「今の社会」が見えてくるような気がする。

Huffington Post:ユナイテッド航空機「オーバーブッキング」、警官が乗客をボコボコにして引きずり出す(動画)

まず事件の発端は、自社の4人の社員移動の為にオーバーブッキング状態にしてしまった、ということのようだ。
航空会社にとって「オーバーブッキング」そのものは、特別なコトではないらしい。
なぜなら、キャンセルが発生するコトを見込んで予約を取る、と言われいるからだ。
ところが今回は、キャンセルが発生せず予約で満席になってしまったため、社員4人が搭乗するための席を確保するために、このような事態が起きてしまった、という。

多くの人が感じていることだと思うのだが、「自社の社員の為に予約乗客を降ろす」という発想と行動を航空会社がする、という日本企業(だけではないと思うが)では考えられない対応だ。
通常であれば、自社社員を別便に搭乗させれば良いだけの話で、何が何でもこの事件が起きた便でなければいけない、という理由があったのだろうか?という点だろう。
警官によって引きずり降ろされた乗客は、予約をし正規料金を支払っているのだ。
企業側にとっては「利益を生み出してくれている人」だ。
「お客様は、神様です」という発想のない国だとしても、信じがたい行動だと言わざる得ない。

もう一つ考える必要があるのは、今回、自社社員の代わりに降ろされた人たちというのが、「白人ではなかった」という点だ。
「任意で降りてもらう人を選んだ」と、ユナイテッド航空側は説明しているが、選ばれた4人が4人とも白人ではない、というのは何か意図的なモノを感じる。
そのような行動が自然発生的に起きたとすれば、それは「無意識の中にある差別」だろう。
「公民権運動」が激しかった時代なら話はともかく、今でもこのような行動が起きるということは、人の中にある「無意識の差別」は、とても根強いモノである、ということだろう。
「他者を「差別」や「侮蔑」することで、自己存在を確認する」ということだろうか?
それとも、「社会の中で何気なく、継続的差別的発言や行動が行われている」のか?
トランプさんが登場してから、その「何気ない継続的差別」が表面化してきている、ということになるのだろうか?

「社会的変化」という視点で考えると、このニュースの切っ掛けとなったのが、居合わせた乗客がスマホで撮影をした映像で、SNSであっという間に拡散した、という点だ。
これまでも、社会を大きく揺るがすニュースの幾つかは、「たまたま居合わせた市民」がSNSなどを通して発信したモノがある。
「報道」の発信者がプロの記者ではなく市民になってきている、を可能とさせているのは紛れもなくSNSという、今の時代ならではの出来事だったと思う。
それだけではなく、スマホの画像の質が格段に上がり、鮮明な画像が撮影できるようになった、ということも関係している。

今日になって、ユナイテッド航空側は謝罪声明を発表しているが、「時既に遅し」感がある。
自社が行ったイメージダウンは、今後どれほどの影響を与え続けるのかは、ユナイテッド航空側もわからないだろう。
それほど、今回の「乗客引きずり事件」は大きなインパクトがある出来事だった。
様々な企業は「利益を上げる」のが、企業の使命ではなく社会の一員として、生活者が何を期待し、その期待にどう応えるのか?ということを、改めて考える必要があると思う。
当たり前と言えば当たり前のコトだが、企業リスクを減らす最大の思考だと思う。



多様な価値観を感じさせる「スパゲッティ入りピザ、トッピングにパイナップル」

2017-04-10 14:54:53 | ライフスタイル

今朝FMを聞いていたら、ニュージーランド首相のFacebookに投稿した内容が思わぬ波紋を呼んでいる、というニュースを聞いた。
「思わぬ波紋」というのが、タイトルとなっている「スパゲッティ入りピザ」だ。
AFP:ピザにスパゲッティとパイナップル!NZ首相に批判殺到

市販のピザ生地に缶詰のスパゲッティをのせ、トマトやベーコン、パイナップルなどをトッピングしている、イングリッシュ・ニュージーランド首相自慢の特製ピザのようだ。
確かにハイカロリーすぎるように思えるし、見た目も「・・・(ガッカリ)」な印象のピザだ。
非難をする人達が言う「残飯(のよう)」と言えば、そのように見えなくもない。
「食」がその国における大切な文化だと考えれば、「ピザにスパゲッティをのせることは、イタリアに対して失礼!」という意見も、分からなくもない。
イタリア大使館からは「復讐」として、ニュージーランドの人たちが愛してやまないデザートに山もりサラミをのせた写真をTwitterに上げて、対抗したようだ。

だからと言って、首相としての能力まで問われることなのか?という、疑問もある。
なぜなら、政治手腕と料理のセンスは全く別だからだ。
批判した人達も半分ジョーク・・・ということであれば、ことは穏便に済む話だろうし、イタリア大使館の「復讐」もチョッとした「悪乗り」程度だと思えば、目くじらを立てるほどではないように思う。

ただ、「ピザにパイナップルのトッピング」に抵抗感が強い人が多いということは、注目しても良いのかもしれない。
イタリアではなくアイスランドのグネス・ヨハンネソン大統領は、今年の2月に「パイナップル入りピザを禁止したい」という発言をし、波紋を呼んでいたからだ。
Huffington Post:「パイナップル入りピザを禁止したい」アイスランド大統領の発言が波紋
こちらも、余りの非難で釈明に追われるコトになったようだが、アイスランドとニュージーランドとでは、随分「トッピングとしてのパイナップル」の立場が違うようだ。
日本における「酢豚にパイナップル」と、似ているのかもしれない。

「たかが(トッピングの)パイナップル。されどパイナップル」ということになると思うのだが、違う見方をするなら、人は「食」に対してこだわりが強い、ということになる。
子どもの頃から慣れ親しんできた「味」は、大人になってから大きく変化することはない、ということだろう。
「食」対するこだわり感は強く、「多様な価値観」と頭で理解できても、心で納得できないのかもしれない。
しかも、アイスランドとニュージーランドでの真逆の反応を考えると、「食」そのものが、国の文化の一つなのだな~と、改めて感じさせる。

アイスランド大統領もニュージーランド首相も、「ピザ」という庶民的な食べ物で批判されるという点で、親しみを感じたのは私だけだろうか?


 


「デジタルチケット」の普及には、何が必要?

2017-04-09 21:10:18 | ビジネス

昨日Yahoo!のトピックスを見ていたら、「ジャニJr.公演 チケット混乱」という、見出しがあった。
トピックスの内容見出しを見るとますます、わけがわからなくなってしまった(苦笑)。
ねとらぼ:「席がない」手書きチケット配布」ジャニーズJr.祭りデジタルチケットに不具合(?)混乱続々
記事を読むと、どうやらジャニーズJrの公演チケットが、デジタルチケットで、その運用がうまくいかずに大混乱を招いている、ということらしい。

たぶん、私が初めて「デジタルチケット」という言葉を聞いたのは、Jリーグの試合のチケットだったように思う。
今だにガラケー利用者の私としては、縁のないチケット販売と思い、さほど気にせずにいた。
ただ、「デジタルチケット導入のメリット」などを読むと、入場時の混雑が避けられ、スムーズに予約をした席へ行ける・・・という気がしていた。
しかし、このジャニーズJrの公演の混乱を見ると、決してスムーズに席に着けるというわけでもなさそうだ。
何より、自分が予約した席が当日までわからない、というのは公演を見に行くファンは、不安で仕方ないだろう。
Jリーグの試合とジャニーズでは会場規模も違うので、同じだとは思わないが、記事を読む限りはお粗末な対応をしているような印象がある。

チケットそのものは、事前に抽選をし、当選者のみにデジタルチケットのデータがスマホに送信されてくるようだ。
そのデータを入場時に読み取り機(?)にかざし、席表示がされるようだが、それで終わりではない。
実際の順番としては、どのような順番でチェックがされるのかは不明だが、本人確認資料の提示が必要らしい。
自動車免許を持っている人は、免許の提示となると思うのだが、ジャニーズJr.のファンの年齢層を考えると、免許証そのものを持っているファンは、あまり多くはないのでは?
とすると、顔写真付きの学生証+健康保険証などの提示が必要ということになるのだろうか?
この「本人確認」が必要とされるのは、デジタルチケット導入による混乱とは別の理由(=チケットの転売防止)があるようだが、せっかくデジタルチケットを導入しているのだから、チケットそのものに本人確認ができるようなデータを、入れることはできなかったのだろうか?
例えば「生体認証システム」のようなモノだ。

最近では、クレジットカードやキャッシュカードなどにも「生体認証データ」が導入されるようになってきている。
デジタルチケットなどの決済が、クレジットカードやデビットカードでできるのであれば、クレジットカードなどの決済時に生体認証データも、一緒に取り込めるようにすれば良いのでは?

このようなデジタルチケットの普及の背景には、2020年の東京オリンピック、パラリンピックの開催に向けての準備という一面もあるのでは?と、考えている。
世界中(実際は、日本国内とアジア圏が中心だと思われるが)から、観戦者を迎え入れるためにはスムーズなチケット確認が必要になる。
2002年のW杯の時のような、失敗は許されない。
しかも、現在の世界情勢から考えれば、テロリストのような反社会的な人をスタジアムは当然、入国も許すわけにはいかないだろう。
そこで必要になってくるのは「精度の高い本人確認」ということになる。
だからと言って、いくつものセキュリティーチェックをしていては、混乱が起きるばかりになってしまう。

そのような問題を解決できるとすれば、デジタルチケットそのものに「生体認証」のような精度の高い本人確認データを取り込むコトだと思うのだ。
単にサーバーを増やすなどの対策だけではなく、スムーズに大勢の人を誘導し、安全で安心できるシステム構築をすることが、最優先なのではないだろうか?


ヤマトの「Amazon 即日配達撤退」で、生活者の意識は変わるのか?

2017-04-07 19:50:01 | アラカルト

毎日新聞が、ヤマト運輸が扱っているAmazonの即日配達から撤退をする、というニュースを報じている。
毎日新聞:ヤマト「Amazon即日」撤退・・・配送負担軽減へ検討

そもそも、通販で購入した商品が注文をしたその日のうちに届く(深夜に注文しても、翌日に届く)ということ自体、凄すぎることなのではないだろうか?
プライム会員になれば、送料も無料となるというのは、至極便利だ。
だが「凄すぎること」ということは、逆に考えれば「普通では考えられないこと」だともいえる。
その「普通では考えられないこと」の為に、どれだけの人の手が余分にかかり、余分な時間をかけているのか?と、考えると「凄すぎるサービス」は、「過剰すぎるサービス」だともいえるような気がする。

そもそも「即日配達」を希望するほどの商品を購入したいのであれば、以前であれば実際に買い物へ出かけていたはずだ。
「突然買い物をしたくなる」という程度の、成り行きというか、行き当たりばったりの買い物というわけではないと思う。
確かに、市中の百貨店やスーパーで手に入らないような商品が、Amazonにはある。
そのような商品を購入するためには、やはりAmazon頼りになってしまうのは仕方ない。
実際私も、先日絶版になってしまった本をAmazonで購入した。
購入したが、即日配達などは利用をしていない。
なぜなら、商品が到着するまでの時間も含めて「通販の楽しみ」だと思っているからだ。

上述した通り「即日配達」を希望する商品というのは、どのような商品なのだろうか?
昨今は、都市部のスーパーやコンビニを中心に「買い物に出かけられない・出かけにくい人向けサービス」として、「ネットスーパー」と呼ばれるサービスも一般化してきた。
「日配品」と呼ばれる商品や食品などは、早く欲しい!という商品だと思う。
Amazonも「パントリー」と呼ばれる、食品も扱ってはいるが、あくまでも長期保存ができる商品に限られている。
東京の中でも限定地域では、鮮度を重視するような食品も扱ってはいるようだが、あくまでも限定的なサービスであり、試験的なものだと思っている。

プライム会員と呼ばれる会員をAmazon側が増やしたい理由は、よくわかる。
このプライム会員の特典というのが、一般購入者との差別化を図り、顧客の囲い込みをするために設けられた特典である、ということはよくわかる。
プライム会員でなくても、一度Amazonで何等かの商品を購入すると、しつこいくらいに「あなたのお買い物傾向からおすすめ商品」という、要らぬ表示がされる。
プライム会員になれば、Amazon側としてはより顧客の情報を得やすくなり、それらの情報を基に様々な仕掛けがしやすくなる。
Amazonがしきりに「プライム会員」特典を強調するには、それなりの理由があるのだ。
言い換えれば、それは自ら個人情報だけではなく自分の生活の一部の情報をAmazonに提供している、ということにもなっている。

買い物をしたら、すぐに自分の手元に来て欲しい!という、購入者の気持ちはわからない訳ではない。
しかし、そこまでして欲しいものであれば、やはり「買い物へ出かける」という行動もまた、必要なのだと思う。
それにしても、一般利用者であってもある一定金額の商品購入で、無料配達になるのは嬉しいが、何故日にちや時間指定には、別途費用が掛かるのだろう?
「即日配達」よりも、そちらを無料にしたほうがはるかにユーザーメリットになると思うのだが・・・。


伊藤園の「大茶会」商標登録に、思うこと

2017-04-06 20:51:36 | ビジネス

Yahoo!のトピックスを見てたら、こんな商標登録ってありえるの?と思うニュースがpickupされていた。
Yahoo!トピックス:「大茶会」商標登録困惑の声

桜が咲き、各地で「野点」がふるまわれる季節になってきた。
日ごろ、茶道に興味がない人でも、郊外に花見などに出かけたついでに「野点」などを楽しむ、という経験はあると思う。
茶道の作法は知らなくても、なんとなく緋毛氈が敷かれた開放的な場所で、ゆったりと自然を愛でながらお薄を頂くというのは、なんとも贅沢な時間を頂くという気分になる。
そのような場所には、大体「茶会」という看板が立てられている。

「茶会」と言っても、規模は様々だが大きな流派の一門が集まるような茶会となれば「大茶会」ということになるだろう。
その「大茶会」という言葉を、お茶の伊藤園が商標登録をした、というのが、問題になっているという。

そもそも「大茶会」という言葉は、商標登録できる言葉なのだろうか?
一般名詞として定着しているような言葉は、商標登録の対象とならなかったような記憶がある。
確かに「大茶会(あるいは茶会)」という言葉は、日常的に使われる言葉ではないかもしれないが、茶道をたしなむ人たちからすれば、普段から当たり前のように使っている言葉なのでは?

伊藤園側としては「お茶の普及などのために使う」ということのようだが、商標登録をする必要まであったのだろうか?
昨今、中国などでは日本の県名や特産品などの名前を商標登録をし、日本の企業や農業組合などが中国に進出しようとしたら、既に商標登録をされていて使うことができなかった、ということが問題になってはいるが、この「大茶会」は、そのような伊藤園が海外進出するときのトラブルを回避するためという考えがあったのだろうか?
とすれば、それはそれで納得はいくのだが、記事の説明を読んでみると違うらしい(と感じる)。

上述したように、特許庁も何故一般的に使われいる可能性のある言葉を、商標登録してしまったのか?という、疑問もある。
「茶会」という言葉は、一般的だが「大茶会」は一般的ではない、ということだろうか?
商標登録された言葉を使用するとなると、当然のことながら商標を持っている側に使用する許可を得る必要がある。
これまで当たり前のように使ってきた「大茶会」という言葉を使って、案内状などが作れなくなるというのは、果たして「お茶」という産業にメリットがあるのだろうか?
秀吉が北野天満宮で開いたと言われる「大茶会」の説明にも、使用許可を得て、使用のための料金を支払うことになるのだろうか?
伊藤園側の説明を読んでも、モヤモヤする商標登録だ。



ペットボトル入りコーヒー飲料の市場はできるか?

2017-04-05 19:03:05 | マーケティング

サントリーのサイトを見ていたら、新しいペットボトル入りコーヒーが登場する(した?)ようだ。
サントリー:CRAFT BOSS

手軽なコーヒーと言えば、缶コーヒーが定番だが、缶コーヒー―の難点は「飲みながら仕事や作業をする時に、気を遣う」という点があった。
「ペットボトル飲料のように、スクリューキャップで飲み口をしめることができれば、机で仕事や作業をしながらでも安心して飲めるのに・・・」と、思っている人も多かっただろう。
何より、紅茶にはペットボトル入り飲料が当たり前のようにあるのに、コーヒーには無いという点で、不満に思われていた方もいらっしゃったのではないだろうか?
その問題点を解消したのが、ボトル型の缶コーヒーということになると思う。
ただ、ボトル型の缶コーヒーでは、自分の飲んだ量(あるいは残りの量)が分らないという問題がある。
そこで登場したのが「CRAFT BOSS」ということになる。

マーケティングの重要な視点の一つが、「(生活者やユーザーの)問題解決」がある。
この「CRAFT BOSS」は、「机で仕事や作業をしながら安心して飲める」という問題を解決している。
同業他社が、このような商品を出せなかったのはなぜ?と思う部分がないわけではないし、昨今ではブラックコーヒーではないが、カフェオレのような商品ではペットボトル飲料は発売されていたと思う。
何より、既に「ホームサイズ」と呼ばれる、家庭向けサイズのペットボトル入りコーヒーは一般化しており、個人向けの少量のサイズが発売されていなかったことが、不思議な気がする。
ペットボトル飲料とするためのコストの問題があった、ということなのだろうか?

ペットボトル飲料のメリットは、何といっても「軽さ」がある。
ボトル型の缶コーヒーよりも、おそらく重量はペットボトル入りのほうが、軽いと思う。
運びやすくなった、という点はメリットだろう。
リサイクルのしやすさという点でも、メリットがあるのかもしれない。
ただ、それだけでペットボトル入りコーヒーの市場が、広がるとは思えないのだ。

「手軽さ、運びやすさ、残量がわかる」等のメリットだが、反面デメリットもある。
これはペットボトル入り飲料だけにいえるコトではないのだが、「ぬるくなる」という点だ。
CMにあるように飲み始めてから2時間も経過すると、冷たかった飲み物は常温になり、温かかった飲み物も常温になってしまう。
今回サントリーが発売するボトルを見ると、チルド~常温のタイプのようだが、やはりコーヒーは熱い(または温かい)ほうが、飲む側としては嬉しいのではないだろうか?
しかも「飲み終わるまで温かい」というのが、理想だろう。
サントリー:CRAFT BOSS CM

以前から感じていることなのだが、ペットボトル専用の「保冷・保温容器」というモノがあれば、もっと飲みやすくなるのでは?と思うのだ。
実際1ℓくらいのペットボトルを保冷する容器は、夏場になると見かけることがある。
ところが個人用というか、350mlくらいの手ごろなサイズの容器を見かけたことが無いのだ。
せっかく、ペットボトル入りのコーヒーを発売するのだから、そこまで考えてほしかった・・・というのが、本音だ。


エルモの嘆きと子ども保険

2017-04-04 20:49:03 | 徒然

3月下旬、Huffington Post「エルモが・・・クビになっちゃうの?」という、記事が掲載されていた。
Huffington Post:エルモが・・・クビになっちゃうの?トランプ政権に翻弄される悲しみの声を聞いてみよう

ご存じの通り、エルモは米国の幼児教育番組「セサミストリート」の人気キャラクターの一つだ。
その「セサミストリート」から、エルモが解雇される・・・?というのが、記事の内容になっている。
エルモだけではなく、クッキーモンスターなどの人気キャラクターも解雇されてしまい、エルモが将来に不安を抱え、嘆いている、という内容だ。

「セサミストリート」を制作をしているのは「Children workshop」という、非営利の団体で米国の大手ケーブルテレビ局と提携しているのだが、ここで問題にしているのはトランプ氏が打ち出した、貧困層の子供向けの教育プログラムなどに対する予算削減について。
そもそも「セサミストリート」という番組が作られるようになった背景には、1960年代、米国の貧困家庭に本は無くてもテレビがある、という点に注目したコトに始まる、と言われている。
当時の米国内には、黒人の貧困家庭を中心に満足な幼児教育を受けられない子供たちが、沢山いた。
人種差別などにより、教育機会を得られないまま思春期に犯罪に手を染めるような若者たちも、数多くおり(この点は、今でも変わっていないような気がするが)「家庭環境、特に経済的問題による教育機会を失うことがないように」という考えから始まり、時代の変化と共にヒスパニック系やアジア系の子どもたちも番組に登場するようになってきた。
「セサミストリート」という番組は、「教育機会の格差をなくす」のではなく「様々な偏見などにより子供たちの教育機会を得やすい環境をつくる」という、目的で制作された番組なのだ。

何故「教育機会を得る不公平を無くす」必要があるのか?と言えば、それは資本主義と民主主義の基本だからだろう。
一見相反する「資本主義」と「民主主義」だが、教育という視点では共通する点がある。
「教育」がきちんとされないと、優秀な労働力(という表現は好きではないが)として経済活動の一員になれないだけではなく、社会の様々な問題を考え・行動できる人になれないからだ。

その視点で考えた時、トランプ政権ほどではないにしても日本でも同様の問題を抱えているのでは?と、感じるコトがある。
例えばOECDの中で、日本は国が教育にお金をかけない国の一つとして挙げられる。
OECD:2016年教育データ日本
高等教育という点だけに注目すると、どうしても「給付型奨学金の創設」などが考えられるのだが、今問題になっている「ひとり親家庭」などにおける「子どもの貧困」という視点で考えると、「セサミストリート」のような「早期教育」も注目する必要があると思う。
そこに着目した(?)のが、小泉進一郎氏などが提案した「子ども保険」ということになるのだろう。

確かに、これまでの政策は「高齢者偏重」と言われる傾向が強かった。
ただここ2,3年の政策は「高齢者にも相応の負担」という考えに変わってきている。
財政的安定を考えれば、出産後も女性に働いてもらいたい!が、その環境が整っていない・・・という現実がある。
その解消策としての「こども保険」という発想は、社会保障として「子育てを支える」という明確な政策だと思う。
それが公的な教育費として使われるのであれば、検討される余地はあるのではないだろうか?


新年度と企業

2017-04-03 19:20:10 | ビジネス

月開けが土日となったために実質今日からが、新年度スタートとなったのではないだろうか?
毎年の事だが、新年度スタートと共に社名を変えたり、これまでの企業イメージを一新するような企業は多い。
それらを告知するように、今日の新聞にはいくつかの企業の「刷新広告(というべきか)」が、掲載されていた。
その中で、目を引いたのが社名変更した「SUBARU」だ。

ご存じの方も多いと思うのだが「SUBARU」というのは、一種の企業ブランド名だった。
企業名としては「富士重工業」だった。
「SUBARU」という、ブランドネームが定着すればするほど、「富士重工業」という本来の社名の印象は薄くなり、「富士重工業=SUBARU」だとわかる人も(案外)少なかったのではないだろうか?
実際、テレビCMでも「SUBARU」という名前を聞くことは多くても、最後のテロップで「富士重工業」と出るだけでは、なかなか結びつかないのも仕方ないことかもしれない。

その社名変更をした「SUBARU」だが、変えたのは社名だけではなかった。
SUBARU公式サイト:はじまるSUBARU
サイトには「モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ」というコピーが目に入る。
まず注目するのは、「モノをつくる」という表現だ。
マーケティングなどでは「物」という表現ではなく「モノ」という表現をすることが多い。
理由は「商品」という物質だけではなく、その「商品にまつわる様々な物事全てを指す」というニュアンスで「モノ」という表現をすることが慣習となっているからだ。
その意味では、「モノをつくる」という表現は、「自動車メーカーとして、自動車全般にまつわる様々な物事をつくる」という、ニュアンスを持っていたはずだ。
同様に「自動車あるいは車」と表現せずに、「クルマ」という表現をすることも多々ある。

SUBARUは、自動車メーカーなのだから、「モノをつくる」という表現をしても全く問題はないはずなのだが、今回のコピーは「笑顔をつくる会社」という、企業コピーを打ち出している。
公式サイトにも、そのコピーに込めた思いは書かれているのだが、「なぜ、自動車メーカーが笑顔というコピーにしたのか?」ということを考えると、これから先のSUBARUという企業のビジョンのようなものが見えてくるように感じる。

それは「クルマ」という道具が持っている危険性であり、危険だからこそ安全性を求める、それが社会に笑顔をつくり出す、という社会的企業の位置づけという考えのようだ。
確かに、ここ2,3年高齢者を中心に「判断ミス」による自動車事故の惨事が、目立つようになってきている。
SUBARUが持っている「自動停止技術」は、国内外の自動車メーカーの中でも群を抜いて高い精度と安全性を誇っている。
これから先、自動車の進化形として考えられている「自動運転」の実現には、「自動停止技術」が必要となってくるのは、明白だろう。
「高い自動停止技術」を持っているからこそ、クルマを運転する人だけではなくクルマに乗らない人にも「笑顔をつくりたい」という自信が持てるのではないだろうか。

自動車メーカーなのに、クルマの事ではなく「(人と社会の)笑顔」という企業コピーには、そのような強い意志のあらわれなのだと思う。