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クローンビジネスといのち

2019-09-05 19:41:51 | アラカルト

AFPのサイトに「中国企業が、猫のクローン化に成功した」という、ニュースがあった。
AFP:中国企業、飼い猫のクローン化に初成功 次はパンダ?

このクローン猫の誕生の背景には、飼い主からの強い希望があった、という。
飼い主からクローン(=複製)したい!と思うほど、可愛がられた猫だったのだろう。
だが「可愛い」という理由で、クローン技術を使って動物を誕生させるのは、愛猫家としてどうなのだろう?

クローン技術で誕生した動物と言えば、羊のドリーを思い浮かべる方の多いだろう。
ドリーが誕生したのが1996年、病気や早老により安楽死をさせられたのが2003年だった。
ただ、ドリーと同様にクローン技術によって誕生した羊は、早老などが見られず今も元気だ、と言われている。
WIRED:クローン羊は、今でも元気に生きている

私たちは、生活を共にする動物であっても羊のような家畜とペットとでは、同じ感情ではない(と思う)。
愛猫家に限らず、ペットを「家族と同様」という方は数多くいらっしゃる。
しかし、家畜となると生活を共にしていながら「家族」ではなく、どこかで線引きをしているのでは?と、感じるのだ。
だからこそ、クローン羊のドリーが誕生した時の大騒ぎは、「クローン技術が夢物語ではなくなった」という驚きが、大きかったのではないだろうか?
ただ、「人が神の領域にまで踏み込んで良いのか?」という、議論も当時からあった。

しかし時代と共に「クローン技術」そのものは、植物の世界などでは一般的になり、動物においても様々な動物を対象に実験されるようになってきた。
「クローン技術」そのものが、ドリーが誕生した頃よりも一般的になった(=厳密性が揺らぎ、安価になった)、ということになるだろう。
10年、20年後には、亡くなったペットを「クローン技術」により、誕生させるビジネスが登場しているかもしれないし、そのようにして誕生させるペットを求める人もいるかもしれない。

だが、それで良いのだろうか?
上述したように「神の領域まで踏み込んだ」とも思える、クローン技術には常に「倫理観」というものが求められるはずだ。
単に「可愛かったペットをもう一度、飼いたい」というだけではなく、「生命体として存在してよいのか?」という問いかけだ。
もう一つ考える必要があるのは、「クローンペット」であっても、亡くなったペットとは同じではない、という点だ。

これは、先日出かけた「ゲノムとエピジェネティックス」の講話の中にもあったことだが、究極の「クローン」ともいえる「一卵性双生児」であっても、その性格や行動は違う。
同じDNAを持っていても、個体そのものに影響を与えると考えられているエピジェネティックス(あるいはエピゲノム)が違えば、違ってしまうのだ(という内容だった、理解している)。
クローン猫を依頼した愛猫家は、亡くなってしまった猫を大変大切にしていたのだろう。
だが、クローンで誕生した猫は、亡くなってしまった猫と姿かたちは似ていても、まったく別の個体である、ということなのだ。

様々な分野において、技術の進歩は目覚ましいものがある。
しかし今はその「進歩」を手放しで喜べる時代ではない。
昨日エントリした「DQ(良識指数)」というものが、強く求められる時代である、ということを私たちは知る必要があるように思う。



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