先日、共同通信社が「社会に出たら理科は必要ない」と考えている高校生が多い、という趣旨の記事を配信し、話題となった。
同様の記事が、時事通信社にも掲載されていたので、どちらかの記事を目にした方も多かったのではないだろうか?
時事通信社: 「社会に出たら理科必要ない」日本の高校生、米中韓に比べ高くー青少年機構
確かに、高校での理科科目は理・医薬系の大学に進学しないと、大学入試共通テスト対策で勉強する位だろう。
元々、「受験対策」の為の勉強なので、その場限りと言っては乱暴だが、そのような感覚で高校の勉強をしている生徒は、案外多いのでは?と、想像している。
何故なら、私の時代(今から40年以上前)も同じだったからだ。
だから「受験の為以外に勉強する必要ある?」と、現役高校生に聞かれたら「そうだね~」と、言葉を濁すだろう。
ただ、社会人になってからわかることなのだが、中高で学んだ理科分野の知識は、お金では買えない豊かな視点を与えてくれる一つのツールとなりえる、と言いたいのだ。
高校生にとって、自分の未来像を描くことはできないかもしれない。
そもそも、高校で学んだ化学式で豊か視点を与えてくれるのか?と疑問に感じると思う。
では視点を変えて、次世代型EV車と言われている「水素燃料車」についての情報を得た時、「水素燃料とは何か?」ということが分からないと、「水素燃料車が社会をどのように変えるのか?」という想像ができない。
まして、突然「水素燃料車が自然環境に優しい理由は、排出されるものが水だからだ」と言われても、ピンとこないことになる。
いくら新聞やネットで文章を読んでも、言葉としての意味はある程度理解できても、内容理解には至らない。
ビジネスの場面では、このようなことが度々起きるのだ。
「気候変動」という話題にしても、何がどう変動しているのか?という理解をする為には「理科的知識」が必要になるだけではなく、「地図が読める」、「人々の生活を調べる」という力も必要になる。
学科で合否判定がされる大学受験とは違い、社会人として必要とされる「学力」は、より総合的なモノであり、その中には当然のことながら理科系分野も含まれている。
ビジネスで人と会った時、とても残念に感じる方がいる。
有名大学出身のはずなのに、大学で学ぶべき内容理解が十分にされていない、と感じるというよりも、それ以前の中高で学んだはずなのでは?という知識を持っていない方たちだ。
大学受験が、学ぶゴールと定め、合格後の大学生活を何となく過ごしてきた、という方に多いように感じる。
「物事に対して、疑問を感じ、その疑問に対して探求する力」の源泉の一つが、理科にとって重要な視点でもある。
単に、化学式を暗記すれば良い、とか物理の数式の解き方を覚えれば良い、という周囲からかけられた「圧」によって、学ぶ楽しさを失ってしまっているのが、現在の高校の授業であるとすれば、それは生徒たちにとってとても不幸なことだと思う。