先日、お昼ご飯を食べながらテレビを見ていたら「それって、違うんじゃないの?」と思うコトがあった。
見ていたテレビ番組というのは、お昼のニュースの前に放送されている内閣府の番組。
放映時間とすれば、5分もないようなスポット番組だ。
内容は、「地域活性化プログラム」について。
そのプログラムというか、審議会の委員をしている某大学の女性教授が登場し、説明をしていた「地域事情に合わせた、行政を進めている」という一例としてあげられたのが、「託児所」だった。
現在都市部を中心に、保育園に通いたくても通えないという「待機児童」がたくさんいる。
その「待機児童」の解消のために、これまで決められていた「ほふく運動面積(?)を変更する」などが考えられるというのだ。
「ほふく運動」というのは、一人の赤ちゃんが自由にハイハイすることができる面積のことらしいのだが、都市部ではその運動面積を確保することが難しいので、その面積を小さくしようというコトらしいのだ。
このお話を聞いて「それって、違うんじゃない!」と、私は思ったのだ。
面積を小さくするのではなく、保育所の数を増やし、1保育所当たりの受け入れ幼児の数を減らすというコトの方が、子供を預ける親ごさんからすれば安心なのではないだろうか?
行政側としては、申請や認可などの手続きが大変になるのかもしれないが、自宅の駅近くにいくつかの保育所があれば、送り迎えなどにも便利だろうし、設備という点でも安心するのではないだろうか?
なのに、今ある保育所だけのことを考え、待機児童を受け入れるために設備内容などの質を下げるという発想という気がしたのだ。
審議会の委員をしている方は、それはそれは華々しいキャリアをもっていらっしゃる方で、もしかしたら子育て経験もあるのかも知れない。
一方、私などはいつまでたっても売れないマーケターで、子育て経験もない。
でも、なんとなく親ごさんの思っている感覚は、私の感覚に近いのではないだろうか?
もちろん、保育所自体が小さいモノになればそれなりの人件費や設備費などと保育料などの収支バランスという問題もあるとは思う。
だからといって、都市部の保育所は乳幼児が十分遊べるスペースを確保する必要はない、というのは、どこか違っているような気がするのだ。
そして、もうひとつ感じたことは「発想の違いは何か?」というコトだ。
キャリアやこれまでの社会・人生経験などの違いはあるにしても、子供について見るという点では同じだと思うのに、まったく違う発想を持ってしまう。
お偉い大学の先生と売れないマーケター、どちらが正しいというのではなく、その違いを述べ合うことから、このような論議は始まるのではないだろうか?
ただ、私のやっかみも含めてこの先生のお話は「上から目線」という気がしたのも、事実なのだ。
見ていたテレビ番組というのは、お昼のニュースの前に放送されている内閣府の番組。
放映時間とすれば、5分もないようなスポット番組だ。
内容は、「地域活性化プログラム」について。
そのプログラムというか、審議会の委員をしている某大学の女性教授が登場し、説明をしていた「地域事情に合わせた、行政を進めている」という一例としてあげられたのが、「託児所」だった。
現在都市部を中心に、保育園に通いたくても通えないという「待機児童」がたくさんいる。
その「待機児童」の解消のために、これまで決められていた「ほふく運動面積(?)を変更する」などが考えられるというのだ。
「ほふく運動」というのは、一人の赤ちゃんが自由にハイハイすることができる面積のことらしいのだが、都市部ではその運動面積を確保することが難しいので、その面積を小さくしようというコトらしいのだ。
このお話を聞いて「それって、違うんじゃない!」と、私は思ったのだ。
面積を小さくするのではなく、保育所の数を増やし、1保育所当たりの受け入れ幼児の数を減らすというコトの方が、子供を預ける親ごさんからすれば安心なのではないだろうか?
行政側としては、申請や認可などの手続きが大変になるのかもしれないが、自宅の駅近くにいくつかの保育所があれば、送り迎えなどにも便利だろうし、設備という点でも安心するのではないだろうか?
なのに、今ある保育所だけのことを考え、待機児童を受け入れるために設備内容などの質を下げるという発想という気がしたのだ。
審議会の委員をしている方は、それはそれは華々しいキャリアをもっていらっしゃる方で、もしかしたら子育て経験もあるのかも知れない。
一方、私などはいつまでたっても売れないマーケターで、子育て経験もない。
でも、なんとなく親ごさんの思っている感覚は、私の感覚に近いのではないだろうか?
もちろん、保育所自体が小さいモノになればそれなりの人件費や設備費などと保育料などの収支バランスという問題もあるとは思う。
だからといって、都市部の保育所は乳幼児が十分遊べるスペースを確保する必要はない、というのは、どこか違っているような気がするのだ。
そして、もうひとつ感じたことは「発想の違いは何か?」というコトだ。
キャリアやこれまでの社会・人生経験などの違いはあるにしても、子供について見るという点では同じだと思うのに、まったく違う発想を持ってしまう。
お偉い大学の先生と売れないマーケター、どちらが正しいというのではなく、その違いを述べ合うことから、このような論議は始まるのではないだろうか?
ただ、私のやっかみも含めてこの先生のお話は「上から目線」という気がしたのも、事実なのだ。