朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第63回目の今日は、「観光名所だった精神病院」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/05/post_7b89.html#more
17,18世紀ヨーロッパでは、精神病院が一種の観光施設として見物料を取って公開していたエピソードを書きました。
ゴヤにも『サラゴーサ精神病院』という作品があるが、ホガースのイギリス的な皮肉な目とは違い、いかにも彼らしい一種異様な凄まじいエネルギーの放出される場として描いているのが面白い。
ところで5年ほど前、新聞に『まなざしの瞬間(とき)』という美術エッセーを20回連載しましたが、そのときゴヤの自画像についても書きました。以下はその再録ーー
ゴヤ『おれはまだ学ぶぞ』(1824年、黒コンテ、プラド美術館蔵)
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)最晩年のデッサンで、一種の自画像と考えられている。右上に「おれはまだ学ぶぞ」。このタイトルの意外性が驚きと感銘を呼ぶ。
ただし現実のゴヤがこういう姿(背を丸め、2本の杖をついてようやく立っている白髪白ヒゲの老人)だったわけではない。生身の彼がこれよりはるかに若々しく精悍だったことは、同時期の肖像画が証拠立てている。同僚の宮廷画家ロペースに描かれた80歳のゴヤは、ヒゲを生やしてもいないし、背をまるめてもいない。杖ならぬ絵筆とパレットを持ち、押し出しのよい頑健そうな肉体と、老いを拒否した倣岸そのものの面構えで、こちらを睨みつけている。
このころ彼は、我が子より年下の愛人を連れ、フランスに亡命中だった。相変わらず好奇心の塊で、見るもの全てを咀嚼せずにはおかないとばかり、多くの石版画、静物画、肖像、細密画、そして2冊のデッサン帳を残している。眼鏡をかけた上に拡大鏡を使っての制作だった。
3度の大病を耐え抜いてきたゴヤは、自分が死ぬとは思えなくなっていたらしく、「ティツィアーノみたいに99歳まで生きるかもしれない」と息子宛てに書いている。本デッサンは、したがって遠い未来の自分の姿を描いたのだろう。彼なら間違いなく、どれほど高齢になろうとも眼の光だけは失わず、「まだ学ぶ」に違いない。
ゴヤがゲーテと同時代人なのは不思議な気がする。優雅で恵まれた宮廷生活を送った文豪ゲーテには、ゴヤより後世の人間というイメージがある。実際には3歳年下なだけなのに。
つまりそれだけゴヤの生きたスペインが荒々しかったし、ゴヤ自身もまた死ぬまで洗練とは程遠かったということだろう。
彼は片時も女性なしではいられず、妻に20人も子を産ませたばかりか何度も激しい恋をした。貧しい出自にもかかわらず宮廷画家に成り上がり、王が何人代わろうと巧みに世渡りして地位と財産を守った。
その一方で、描きたい絵(反戦画や異端審問告発画、裸体画)なら、命の危険を冒しても描いた。決して妥協しなかった。火の球のごときエネルギッシュなゴヤは、枯れた老人になる前に、雄牛がどうと倒れて死ぬように死んだのだ。
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」
☆新訳『マリー・アントワネット』(画像をクリックするとアマゾンへとびます)
☆☆アントワネットとも同時代のゴヤが、彼女の肖像画を描いていたらどうなっていただろう?ただきれいきれいのルブランのような絵ではなく、アントワネットの本質に迫る作品が残されたに違いない。見てみたかった!
◆マリー・アントワネット(上)(下)
シュテファン・ツヴァイク
中野京子=訳
定価 上下各590円(税込620円)
角川文庫より1月17日発売
ISBN(上)978-4-04-208207-1 (下)978-4-04-208708-8
17,18世紀ヨーロッパでは、精神病院が一種の観光施設として見物料を取って公開していたエピソードを書きました。
ゴヤにも『サラゴーサ精神病院』という作品があるが、ホガースのイギリス的な皮肉な目とは違い、いかにも彼らしい一種異様な凄まじいエネルギーの放出される場として描いているのが面白い。
ところで5年ほど前、新聞に『まなざしの瞬間(とき)』という美術エッセーを20回連載しましたが、そのときゴヤの自画像についても書きました。以下はその再録ーー
ゴヤ『おれはまだ学ぶぞ』(1824年、黒コンテ、プラド美術館蔵)
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)最晩年のデッサンで、一種の自画像と考えられている。右上に「おれはまだ学ぶぞ」。このタイトルの意外性が驚きと感銘を呼ぶ。
ただし現実のゴヤがこういう姿(背を丸め、2本の杖をついてようやく立っている白髪白ヒゲの老人)だったわけではない。生身の彼がこれよりはるかに若々しく精悍だったことは、同時期の肖像画が証拠立てている。同僚の宮廷画家ロペースに描かれた80歳のゴヤは、ヒゲを生やしてもいないし、背をまるめてもいない。杖ならぬ絵筆とパレットを持ち、押し出しのよい頑健そうな肉体と、老いを拒否した倣岸そのものの面構えで、こちらを睨みつけている。
このころ彼は、我が子より年下の愛人を連れ、フランスに亡命中だった。相変わらず好奇心の塊で、見るもの全てを咀嚼せずにはおかないとばかり、多くの石版画、静物画、肖像、細密画、そして2冊のデッサン帳を残している。眼鏡をかけた上に拡大鏡を使っての制作だった。
3度の大病を耐え抜いてきたゴヤは、自分が死ぬとは思えなくなっていたらしく、「ティツィアーノみたいに99歳まで生きるかもしれない」と息子宛てに書いている。本デッサンは、したがって遠い未来の自分の姿を描いたのだろう。彼なら間違いなく、どれほど高齢になろうとも眼の光だけは失わず、「まだ学ぶ」に違いない。
ゴヤがゲーテと同時代人なのは不思議な気がする。優雅で恵まれた宮廷生活を送った文豪ゲーテには、ゴヤより後世の人間というイメージがある。実際には3歳年下なだけなのに。
つまりそれだけゴヤの生きたスペインが荒々しかったし、ゴヤ自身もまた死ぬまで洗練とは程遠かったということだろう。
彼は片時も女性なしではいられず、妻に20人も子を産ませたばかりか何度も激しい恋をした。貧しい出自にもかかわらず宮廷画家に成り上がり、王が何人代わろうと巧みに世渡りして地位と財産を守った。
その一方で、描きたい絵(反戦画や異端審問告発画、裸体画)なら、命の危険を冒しても描いた。決して妥協しなかった。火の球のごときエネルギッシュなゴヤは、枯れた老人になる前に、雄牛がどうと倒れて死ぬように死んだのだ。
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」
☆新訳『マリー・アントワネット』(画像をクリックするとアマゾンへとびます)
☆☆アントワネットとも同時代のゴヤが、彼女の肖像画を描いていたらどうなっていただろう?ただきれいきれいのルブランのような絵ではなく、アントワネットの本質に迫る作品が残されたに違いない。見てみたかった!
◆マリー・アントワネット(上)(下)
シュテファン・ツヴァイク
中野京子=訳
定価 上下各590円(税込620円)
角川文庫より1月17日発売
ISBN(上)978-4-04-208207-1 (下)978-4-04-208708-8
楽しく興味深く読ませていただきました。
美術も全く解りませんが、絵画から受ける印象は「肉体と精神の調和した逞しい美しさ」「力強い生命の輝き」です。
とてもパワーを感じました。
「枯れるはかなげな美」もあれば、最後まで突き進む「力を感じる美」もあるのですね。
私もこのように最後まで力強くありたいと思います。
スペイン人は、あの皮肉な冷徹より、疾走しますね。風土の所為でしょう。ゴヤ、ピカソ、生命力の奔流に圧倒され、苦手です。英国の皮肉の方が好きです。
といっても、私は絵画のことはなんにもわからないんですけれどね。数年前プラドで見たときに、なんとなく恐さのようなものを感じたので。。
「マリッジ・ア・ラ・モード」ときたら絶対ホガースですね。同じタイトルの8枚組連作がありますし。
マンスフィールドは昔「園遊会まで」などを読んだ記憶が・・・
ゆうひさん
プラド美術館でご覧になったのは「黒い絵」シリーズではないでしょうか?あれは彼が耳が完全に聴こえなくなってからの地獄のような連作で、どうしてこのようなものを描かざるをえなかったのかな、と胸を打たれます。