添付のお写真は恩師「長尾弘」先生が中国の黄山を登山された時に
カメラに撮られたものですが、ご覧のように恩師の左胸のあたりに
十字の光が見えます。
また、この黄山では雨雲のために景色が殆ど見えなくて、
恩師が手にしておられた登山用の木の杖を
天に高く上げられ”開け!”と叫ばれたら一瞬にして
その雨雲が払われて、山水画に出てくるような、
あるいはそれ以上のとても綺麗な自然(神)が作り出した
山水画の景色を見ることができたそうです。
この光景を見られた同行者の方の言われることには
あたかも天狗が大きな団扇で雨雲をバーッと払ったように
見えたそうです。
恩師が後日の講演会でそのようにお話しされておられました。
~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 七
「肉体先祖に報恩供養の心を忘れず」
先の続き・・・
若い時から、遊びを知りません。
人様に少しでも喜んでいただくように生きたいと、
これは若い時からの私の理想でございまして、
二十歳ぐらいの時から人様のお役に立たせてもらい、
少しでも喜んでいただけるような行いをしようと思って生きてきました。
それがいつの間にか、
このように望むことなしに与えられているのですね。
私から、どこそこへお話に行きたいとか、
或いは人様の前でこのようにお話をしたいとかは、
爪の先ほども思ったことはありませんが、必要とあれば縁ができます。
ご縁ができますと、招いていただきます。
これは、「神様が私をその場所に呼んでいただいているのだから、
何を置いても寄せていただかなければいけない」と思います。
もちろん、私には求める心は何一つありません。
電車賃がほしい、
私の日当を出してほしいなどとは爪の垢ほども思ったことはありません。
たださせていただきたいという思いだけです。
言葉の唯と無料の只を間違う人がよくあります。