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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2019-10-21 23:12:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師のご講演中のものを学びの友の方が
カメラに収めたものですが、御覧のように恩師が
幽体離脱(肉体離脱)をされています。

被写体全部が移動していますと、
カメラのブレと思われる方もおありかと
思いますが、御覧のように恩師の前の
演台は少しもブレていません。

このお写真について、恩師ご自身が後のご講演で
幽体離脱であることを説明されておられました。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~

                    講演 七

「肉体先祖に報恩供養の心を忘れず」

先の続き・・・

神様の御心を表すにはどうしたらいいか、
それは今日まで何回もお話し、
テープでも聞いていただいていますように、
「神様を知りたければ、あの太陽を見なさい」、お日様のお姿こそ、
ほんとうの神様と思えばいいのですね。

そして、ほんとうの神様を知った時、
私たちはその真似をしたらいいのです。
お日様のように自分を犠牲にして自分を燃え上がらせたらいいのです。
つまり、自分の肉体を使って、人様のために働かせてもらうのです。

「ああしたい、こうしたい」という時間をちょっと横に置いて、
人様の喜びのために肉体を動かす、これでいいのです。
そして「あの人は好き、この人は嫌い」と言わないで、
どの人も皆好きになることです。

嫌な人一人を一人作りますと、一つ、二人嫌な人を作りますと、
二つ苦しいのです。
世の中の人が皆好きになれば、神様の御心を行うことになります。 

また、自分にとって都合の悪いことをされた時、
「よくもやったな」と腹を立てて、
一つの不都合に対して三つお返しをしてやろうか思うのが
私たちですが、これは絶対にしてはなりません。

お日様がなさらないこと、つまり神様がなさらないことを、
私たちは決してしてはならないのです。
人が自分の悪口陰口を言ってくれても、
自分の持っているものを盗んだとしても、これを許させてもらい、
責め裁かないことですね。

イエス様は、「自分が裁かれないために、人を裁いてはならない」と、
おっしゃっています。
お日様が裁くことをいっさいなさらないのですから、
私たちも裁いてはなりません。
また責めてはならないのです。

といいましても、肉体を持っていますと、
都合の悪い時にはむくむくと怒りが起きてきますが
この思いを早く捨て去ることです。
そういう思いが起きて、「これはいけない」と思えば、早く捨てて、
正常な心に切り換えることです。


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