~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 七
「肉体先祖に報恩供養の心を忘れず」
先の続き・・・
悪魔といえば、口が裂け、角が生えた恐い奴だと思いますが、
実は私たちの自己保存、自我我欲こそが、
私たちを苦しみの中へ誘い込もうとするのであり、
これが悪魔の正体です。
私たちは常に自分の心を神の心に合わせて生活し、
満ち足りた心の一瞬一瞬を過ごすよう努めねばなりません。
このことが、先祖供養に繋がります。
感謝と安らぎと調和に満たされた心境になれた時、
ご先祖様に話かけて下さい。
「ご先祖様、お陰様で私は人にこんなに喜んでもらっています。
とても幸せでございます。
もし暗い世界におられるご先祖様がございましたら、
私のように幸せでしたでしょうか」と尋ねてみて下さい。
そうしますと、「幸せではなかった、あなたのようには生きなかった」と、
おっしゃいます。
これは具体的に生きる姿を見せるのですから、
すぐ気付いてくださいます。
私のように幸せでしたかと言われたら、幸せだったとは言えないですね。
これとは逆に、毎日の生活で喧嘩をして腹を立てていて、
お仏壇の前だけで「ご先祖様・・・」と言いますと、
「お前は何をぬかすか」と言って、
お灸を据えられます。
ご仏壇にはどれほどのものを供えても、
ご先祖様に食べていただくことはできませんし、
どれほどお経を唱えても、お経の意味を理解されることはありません。
お経の意味が理解できるような方は迷っておられません。
理解できないから迷っておられるのです。
理解できない方にお経を百万遍あげても成仏はできないのです。
戒名も同じことです。
お坊様がおられましたら商売の邪魔をしてご免なさい。
戒名、院号をつけると、お寺にとっては何百万円の収入になります。
「大院殿居士」をつけると三百万円から入るのですね。
何々院だけでも何十万円です。
あんなものはいくらつけても、
これはあとに残った者がいい格好をするだけのことで、
儲けはお寺さんのものです。
「いくら上等の戒名をつけても何の意味もないと」と、
あの世から出てきた方がおっしゃっています。
戒名というのは、
それを商売にするお寺さんが生活するためにできた制度です。
元来はお釈迦様の当時、
生きている時にお釈迦様の弟子になるために反省を重ねて、
過去の自分を捨てる意味において、名前をかえてつけたのが戒名です。