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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2018-09-07 10:45:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:過信は身を亡ぼす。


先の続き・・・

自分だけを頼まず、
人のお蔭で生かさせていることを思う心、
人の為に力を尽くす心、調和を思う心、
これを忘れると、さっきの若者の
ようなことになりかねません。

人は誰でも過ちは犯します。
ただそれを気付かずにいるか、
悔い改めるかです。
キリストは、悔い改めよ、汝の罪は許される。
と、おっしゃっています。

お釈迦様は、先に過ちを犯すとも、
後に過ちを犯さざれば、
その人の世間を照らすこと雲を離れて
一人輝く満月の如し。
と、教えてくださっています。

そこに気付いた時、
人の心は宇宙や大自然を
お造りになった心と調和します。
そして、
あらゆる苦しみを和らげる力を自分の
心の中に見つけることができるのです。


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「御垂訓」

2018-09-07 03:43:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


                  講演 五

            「諸々の諸霊 みなここに集まれり」

諸々の諸霊、つまり霊格の高い方も低い方も中程の方も、
すべての霊はこの現象界の地球に集まって
魂の修行をしております。
お釈迦様は法をお説きになっていますが、
そのお釈迦様がまた「私は法を説いたのではない。
私の生まれる生まれないに関係なく、
法というものはこの世に存在するものである。
私の生まれる何万年も前から法は厳然として
存在しているものである」とおっしゃっておられます。

正法の時代、像法の時代、末法の時代について、
お釈迦様は次のようにお説きになりました。
正法の時代は光り輝いた金の玉のようなものです。
しっかり輝いた黄金の玉は、
いつまで経っても錆びることなく光り輝いています。

しかし長い間、何百年何千年と放っておきましたら、
人の心のゴミが溜まったきて、
金の玉かゴミの玉かどちらか分からないように
なってしまいます。
これが像法の時代です。
末法の時代になりますと、
もう煩悩の埃がいっぱい溜まって
金が分からなくなってしまいますが、
しかし金は中で光っています。

その埃によって金は埋まってしまったのです。
この末法の時代になると、
人はいったい何をしたらいいのか、
どのようにして生きたらいいのか、
その道が分からなくなってしまうのです。
親が子を殺したり、子が親を殺したり、
生徒が学校の先生を殴りつけて怪我をさせたり、
学校の先生が生徒を殺したり、

いろいろととんでもない不可思議なことが
起きてきます。
これは、人がどのように生きるべきかについて、
せっかくお釈迦様がお説き下さった正しい教え、
黄金の玉が、ゴミにまみれてしまうからです。


        ~ 感謝・合掌 ~



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