はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  B級横浜散(496)  中華街昔話し

2019-12-11 19:48:17 | 日記
前にも書いたが
10年ひと昔、
10年も経つと人間の外観の様子が
大分変わってくる
そう、ジジィ化してくるのである
もちろん外観だけでなく
体自体の機能もだいぶ
劣化してくる

人間歳をとるのは平等であり
どんな高学歴高収入で頂点を極めている人も
低学歴低収入はげ頭で底辺を極めている人も
ジジィ化してくるのである

時間は平等だから
上流も下流も同じジジィ化してくるのだ
なぁんて考えてみるってーと
下流はげまるなんぞは
嬉しくなってニンマリとしてしまう

人は10年時間が経っと
辛いもんであるが
写真はそのあたりは逆で
10年ひと昔あたりに撮った写真は
はげまるのハゲ頭同様
どんどん輝きを増してくる




10年以上前に撮った写真
northern light

今では影も形もないが
中華街で女性が接客する最後のバーの写真

昔の中華街のバーの大半は
カウンターの中にそこそこモダンで
英語堪能な女性が水割り作ったり
会話をしてくれるのが一般であった

レッドシューズではげまるが
バンド演奏していた
ベトナム戦争真っ盛りの頃
中華街の表通りはもちろん脇道あたりにも
外人相手のバーなんぞが軒を連ねていた

はげまるが何度となく通った
ストーククラブ(ピアノバー)なんかも
そんなスタイルであった



northern light

ここnorthernlightは
中華街の昔を知る数少ない生き残り
ヘロちゃんがよく通っていたバーであり
ここで働いていたハーフの女性がいた

なんたって初代ゴールデンハーフにいたから
美人であり

モゥ〜大変なんですから常態!

この女性と
ぬぁんとぬぁんとぬぁんと
3連発‼️
埼玉屋さんでヘロちゃんが
偶然何度か遭遇した

ヘロちゃんはいつも
そっぽ向いて下向いて
顔隠していた

なんか昔からの縁があるみたいで
はげまるがネチネチと
厳しい取調べをしたら
ヘロちゃんは
なんの世話か知らねぇが
その昔お世話になったそうである

そう言えは、エディさんも埼玉屋さんで
その女性と会ってびっくりしてたもんなぁ〜

やはりエディさんも
なんの世話か知らねぇが
その昔お世話になったそうである

なんの世話なのかは
ラッキーズあたりで飲んでいると
風の噂でそのあたりの事が
耳に入ってくる

この女性
埼玉屋さんの近くに住んでいて
今年の夏過ぎあたりに
亡くなったそうである

生きてりゃ〜
いろいろあるのが人生である

テナ事で
さて、次に行くか





この店も中華街その昔のバーみたいである
50年位昔の中華街の地図を見てみると



地図の217あたりに
チェッカーズクラブの名前が確認できる

地図には、はげまるが10代後半に出ていた
レッドシューズやらジャズピアノバー
ストーククラブ
(ビルエバンみたいな松本ケンセイさん
なんかがピアノ弾いていた)
ステーキのジャックスなんかの名前もあるぞー

このあたり何軒か入った店があるが
忙しいので次に行く事にする




深夜遅くまでやっていた
日本蕎麦の「ハクバ」




中華街で深夜の時間にやっていた
唯一の日本蕎麦屋さん
蕎麦屋と書くと
なんか本格的な手打ち蕎麦でも
出てくる感があるが
とんでもねぇ!
コシもへったくれもねぇ!
コシなんか遙か彼方に消え去った
へたれそば

天ぷらなんぞは口の周りが油で
ベトベトになる天ぷらでぃ!

とてもしらふでは入らない
酒の飲んでヘロヘレになったついでに
入る店であった
(ヘロちゃんも同じ事言ってた)

一度日本酒のツマミで
マグロの刺身なんぞ食べたら
どえりゃ〜思いをした記憶がある

とにもかくにも
へんな天ぷら食べて気持ち悪くなり
「ハクバ」の外の木の植え込みに
ゲロを吐く奴も多々いて
いつも外の木々が枯れていたそうである
(ヘロちゃん談)

「ハクバ」のハクは
ゲロをハク
ゲロをハクバ〜

その由来から名前が付いたのかは
よく知らない






あー懐かしの
パンアメリカンホットドックコーナー
名前の由来はよく知らない




中華街最後の連れ込み旅館




旅館オリエンタル

きっとベトナム戦争時代なんぞは
忙しくて
モゥ 大変なんですからぁ〜
(林家三平師匠)




このドアの手すりがたまらない




昼間のオリエンタルホテル




このホテル、今では影も形も無い

ひと昔前に撮った写真は素晴らしい。



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